ゲイがつらつらと書くブログ。

髪を切る日

この春から職場の責任者が変わり、色々なことが目まぐるしく動いていった。

前の責任者は良くも悪くも空気のようで変化を嫌う人だったが、新しく就任したその人はビックリするほど頭の回転が早く、物事を即座に判断する。これまで停滞していたことが動き出したのは非常に良いことなのだが、そのスピードに付いていくのが物凄く大変だった。容赦なく私は怒鳴られ、同僚も先輩も怒鳴られていた。前々から知っているお局さん曰く「アレでもだいぶ丸くなったのよ」とのことらしいが、穏やかな海しか知らない港には荒れた波を受け止める防波堤は無いのである。飛ばされないように、流されないようにしがみつきながら、こういう感覚は久しぶりだなと感じた。

そんな責任者はだらしない私に「綺麗な格好をしろ」と言った。

特段汚い格好をしていたわけではなく、私としてはオフィスカジュアルを意識していたつもりだったが、どうやらだらしない服装に見えたらしい。ズボンにインしていたシャツが背中とお尻の間からはみ出すたびに、「シャツが出てる」と私に言う。

服装が割とちゃんとしている同僚に相談した私は、何年振りかにスーツを買いに行った。ブランドに相変わらず疎い私は、同僚からアレが良いだのコレが良いだの意見を貰いながら、少し高めのスーツを買った。思えばスーツだけでなく服も暫く買っていない。試着室に映る自分の腹を眺めて幻滅したが、これは怠惰が招いた結果なのだと、前よりもサイズが大きいスーツを観ながら反省した。

 

スーツを手に入れた私は髪を切ることにした。前に切ったのはGWなので1か月半切っておらず、ボサボサになってしまった。折角スーツが綺麗になったところでクシャクシャの頭ではサマにならないことくらいは、自分で理解できていた。

いつも行っている床屋に行き、バーバーチェアに座りながら、私はこれからのことを考えていた。

 

私と同時期に入社した同僚はこの春に昇進し、私よりも一つ上の立場になった。とはいえ偉ぶる訳でもなく私たちの関係は特に変わっていない。

同僚はきちんと目標をもっている人である。元々県庁所在地の市役所に居てそれなりのポストがありレールもあったのだが、何を思ってか転職し私と同じタイミングで今の会社に入社してきた。私とは採用ルートが違う、所謂キャリア組だ。会社を立て直すための、幹部候補生としての採用だった。なので私とは本来見ている世界が違うのだが、私の仕事ぶりを気に入ってくれ、目をかけてくれている。同僚は地方から単身赴任で上京し、バリバリ仕事をする。私が凄いねぇと言うと決まって「覚悟が違いますから」と言う。仕事に対して覚悟をしたことが無い私には眩しい台詞だった。

そんな同僚と夜中に2人で残業し、そのあと「奢るから」と言われ焼肉に連れて行ってもらった。同僚と言えどキャリア組の彼は私よりも給料をもらっていて、時々奢ってくれる。割勘にしようかとも考えたが、こういう時はいつも私に伝えたいことがある時だった。

ビールを飲みながら、彼から「来年本部に転勤する希望を出した」と告げられた。続けて「あと5年でここの責任者になってほしい」と。

いま会社のグループ全体で、幹部の世代交代が進んでいる。4月の人事異動で、各地区の責任者が半分次の世代に入れ替わった。同僚の昇進もその一つだ。おそらくあと5年でグループのトップが入れ替わる。おそらく今の責任者がグループのトップになる。その時右腕として本部で支えるのが同僚の役目なのだろう。本部にいる同僚が動くうえで、私が責任者であったほうが色々と良いのだろう。彼はあわよくばトップを狙うつもりなのかもしれない。

とはいえ私は上に立つようなことをイメージしていなかったし、見えないところで動き回る方が得意なのである。性格的にも目立つのは好きではないし、責任者になる覚悟なんて無いよ、と言った私に彼は言った。

「覚悟を、決めて欲しい」

強引な人だ。いやまあ強引なのは一緒に仕事をしていて充分感じていたわけだが、面と向かって言うかね、それ。私は面食らった。私は割と何でもそつなくこなすタイプで、仕事を一生懸命するほうだし、それなりに能力の評価はされていると思う。だが入社歴が浅く、何もキャリアが無い私は、のんびり気ままに生きていこうとしていたので、ガツンと殴られたような気分だった。「今日の焼肉は、重いなぁ」と言いながら私はカルビを口にした。

 

私が髪を切る床屋でも世代交代が進んでいた。これまで店長だった人がテクニカルマネージャーになり、スタッフだった人に店長を譲っていた。今までカラーと洗髪しか担当していなかった新人君が、カットさせてもらえるようになっており、私の髪を切ることになったと聞いた時、私は同僚に言われたことと重ね、年をとったのだなと感じた。

高校までは近所の床屋で散髪を済ませていたが、大学で親元を離れてから髪を切る店を自分で選んだ。顔を剃ってもらうのが好きなので、美容院ではなく床屋派なのだが、そんなことを知らずに初めて入った店が美容院で、しかも6,000円超えだったのでびっくりしたことを覚えている。その後は自分に合うリーズナブルな床屋を選んで通っていた。

社会人になり、いまの地区に住んでからは、1つの床屋でしか切っていない。選ばなければ安いところは沢山あるが、こだわりの無い私がお任せでお願いしてもそれなりに仕上げてくれる今の店が気に入っている。気付けば白髪が増え、染めないとと思いカラーをするようになった。少しでも見た目が若くありたい、と思うようになったのはいつからだっただろうか。

今回はいつもよりも短めにカットをお願いした。暑いのもあったが、覚悟を決める準備をしたかった。決めようと思ってもいきなり決められない。色々な考えが浮かんでは消え、巡っては霞んだ。余計な雑念は伸びた髪と一緒に切り落としたかった。

 

カット中に「最近ハマっていることとかありますか?」と訊かれた。こういう会話は苦手であるが、最近嬉しいことがあったので話すことにした。

人知れずYoutubeに動画を投稿していたのだが、先日登録者数が1,000人超えたのである。1年続けられれば良いかなと思いながら月に2,3回投稿していたもので、細々とやれれば良いかなと趣味程度に10か月ほど前から始めていた。収益化条件はクリアしているがお金のためにやり始めると苦痛になってしまいそうなので、まだやめておこうと思う。自分のペースでやっていくとしよう。

そんなことを話して「すごいですねぇ」と言われて喜んでいた。何の動画ですかと訊かれたが、内容があまりにもニッチすぎるのでと説明はしなかった。

 

ヘッドスパもどうですか、と言われたのでお願いをしていたら会計は12,000円になっていた。大学時代の私が知ったら腰を抜かすと思う。躊躇わずに払えるようになった私は大人になったのだな、と会計をしながら思った。

さっぱりした頭で風を感じながら、覚悟するに必要なのはあとは何かと考えた。

 

新しい一歩を踏み出すには、新しい靴のほうが気持ちが良い。

来週は、靴を買いに行こう。

 

 

モツれた糸

年の瀬である。

相も変わらず色々あったな、と1年を振り返る。仕事ばかりしている私だが、それなりに恋愛もしていた。付き合っていた人と年を越し、すったもんだの末に夏に破局し、秋からは彼氏持ちの年下の男と不倫関係にある。相も変わらず幸せになれない恋愛をしているな、と思う。

クリスマスイブの前日に、夏に別れた元カレから誘いがあった。彼からはことあるごとに連絡を貰うが、私からはしない。思い上がりでなければ、おそらく彼は私と寄りを戻したいのだと思うのだが、私にはその気が無い。仕事で忙しいからと彼からの誘いを断る。忙しいのは事実だったが、彼といると疲れてしまうのだ。

甘えたがりの彼、甘えたいけれど甘えるのが下手な私、彼は私に甘えることはあっても私が彼に委ねることは無かった。私は気を遣い続けて、息苦しくて、いつしか彼への気持ちは薄れてしまった。大事にしたいと思っていた筈なのに、「大事にしてくれるって言ったよね?」と彼に言われる度、それは楔となり、枷となり、私を苦しめた。好きな人と居るのになぜこんなに苦しい気持ちになるのか。いや、もう好きではなくなっているのか。義務感と罪悪感に圧し潰されながら自問自答を重ね、私は別れを選んだ。

 

「相変わらず面倒くさい恋愛をしてるね」

友人はハンドルを握りながら助手席の私に言う。

私だって好んで面倒な恋愛を選んでるわけじゃない、とは言ったものの、不幸専の3文字が頭を掠めた。私だって幸せな恋愛がしたい。けれど恋はいつも思い通りの方向へは進まず、時に私は幸せの形を自分で壊してしまう。30代後半にもなって惚れた腫れただなんだというのは落ち着きが無いんだろうなと自分に言い聞かせるも、これが私の生き方なのかもしれない、とも思う。つくづく私は面倒くさい。

「ドライブに行きたい」と言う友人の誘いを受け、私は友人の運転する車で、友人の地元に向かっていた。彼は東北出身の田舎っぺな私と違って関東出身なので、車で2時間もせずに地元に着ける。超が付くほどインドアな私にとって、友人とのお出かけは唯一の外出であった。友人は学生時代の思い出の場所に私を連れて行く。

少し寂れた駅前の商店街、バイトをしていた店の街並、昔デートした夜の公園。長い坂をのぼって辿り着いた夜の公園は明かりが少なく、星が見えた。すっかり冷たくなった風に乗ってどこかからカラメルの匂いが届く。甘い香りを堪能していると何故かトイレに行きたくなり、その辺で済ませようと木陰を探した私だったが、「トイレはあっち」とやんわり友人に立ちションを禁じられた私は、すごすごとトイレで用を足した。

友人は実家の話をしない。親や兄弟の話は殆どせず、もう何年も実家に帰っていないし連絡もとっていない。親なんだから連絡とったり会いに行ったら?と言う人も居るかもしれないが、私は友人に限らずあまり人の家庭環境に干渉しないようにしている。人には色んな事情があるのだ。教員時代、私は色々な家庭を見てきた。漫画やドラマの世界で自分には関係ないと思っていた世界は、現実にあるのだ。人に見られたくない、触れられたくない部分は誰しも持っているし、好奇心や老婆心で勝手に覗き込む必要は無いと私は思う。

そんな友人が、地元の駅に差し掛かった時、「おばちゃん、元気かな」と言った。親でも兄弟でもなく、友人が会いたいと思ったのは叔母だった。「ちょっと電話かけても良い?」と友人は私に訊いた。どうぞどうぞと促すと、運転中の友人は、私に電話番号を打たせた。叔母とも何年も連絡をとっておらず、引越してなければその家に居る、と友人は言った。電話が鳴る。なぜか私も緊張する。何回かコールが響いた後、女性が出た。「おばちゃん?○○だけど」と友人が本名を口にする。電話越しの女性は驚きつつも、嬉しそうな声で友人の名を呼ぶ。なぜか私も嬉しくなる。家族との電話を誰かに聞かれるのは私は恥ずかしいのだが、友人もそんな気持ちなのだろうか。そんなことを考えてなぜか私も恥ずかしくなる。近くまで来たんだから寄っていきなさいよ、と友人の叔母は電話で言う。「寄っても良い?」と訊く友人に、勿論、と私は答えた。

私と友人は、友人の叔母の家に向かった。地元のほうに車で来ることはあっても、実家や親戚の家の近くに来ることはこれまで無かったのか、友人は夜の静かな街を眺めながら懐かしんでいた。ここにこんな店が出来たのか!とか、まだこの店あるんだ!とか、童心に帰ってはしゃぐ友人は、なんだか可愛かった。そんな友人を見ながら、友人が叔母の家に居る間、その辺ブラブラしようかなと私は考えていた。

が、お友達も一緒にという御意向があり、なぜか私もお邪魔することになった。

友人の叔母さんは元気でハキハキした面倒見の良さそうな人だった。旦那さん、つまり友人の叔父さんと、床を走り回るワンコも家に居て、お茶とケーキを囲んで友人の昔話を聞いていた。友人の親や兄弟の話を聞きながら、友人の家庭環境について推察する。全部を理解したわけでは無いし、全部を理解できるとは思わないけれど、私と私の親や兄弟との関係性とは全く違っていた。どちらが良いとか悪いとかではなく、彼が彼である所以を垣間見ることができたような気がした。

1時間あまりの歓談の後、叔母さんの家を後にした。友人は近所の実家の方へ車を走らせる。実家の前で車を停め、「ここが実家だよ」と私に言った。入らなくて良い?と私が訊くと、うん、と言って友人は車を動かした。友人がどんな気持ちだったのかは私にはわからない。わかってはいけない気がした。

通っていた通学路も、街並みも、私と友人ではきっと違うものに見えている。友人はそのギャップを補うように、私に昔話を聞かせてくれ、私は相槌を打った。

夜の街は静かで、私たちの車の音だけが響いていた。

 

 

はたまた別の日、モツ鍋しようと友人からお誘いがあった。

どうやら近くのスーパーでお気に入りのモツが値引きされていて買ったらしい。この冬は飲み会も無かったし、誰かの家で鍋を囲むことも無かったので、私は二つ返事でOKした。昼にカラオケに行ってその後に友人宅で鍋を囲んだ。

スーパーでやんややんやと食材を買い、友人宅でまったりと過ごす。「最近気に入ってる映画があるんだ」と友人は私にその映画をリビングに映す。友人は少しジメっとした映画を好み、今回は北欧映画だった。私もラブロマンスやアクションよりも、ホラーやサスペンスを好むので、映画の趣味はまあまあ合うのかなと思う。映画は少し寂しく冷たい雰囲気だったが、芯には温かさがある映画で、私も気に入った。

私が映画を観ている間に友人はバッチリ鍋の仕込みをしており、見終わった後はお手製のモツ鍋を堪能した。美味い。スーパーで売っているモツは脂が無いものだと思っていたが、そのモツは店で食べるような脂の乗った生モツであった。1杯目の白だしベースの鍋をペロリと2人で空け、2杯目は味噌を入れた。モツも良いが友人は料理が上手い。恋愛対象だったなら胃袋を掴まれていたことだろう。

 

映画の感想もそこそこに、珍しく友人は私の恋愛の話を振った。

「で、彼から付き合って欲しいって言われたら、付き合うの?」

私は今年下の男の不倫相手である。彼にはさらに年下の彼がおり、もう1年以上続いている。普段は私からあれやこれやと勝手に話し、それを友人がフンフン聞くことが多いので、友人の質問に驚きながらも考える。

「わかんない」モツを頬張りながら私は答えた。

仕事ばかりしている私が、前の彼氏を大事にできなかった男が、彼を大事にできるとは思えない。彼とは割と頻繁に会ってはいるが、彼とその彼氏を別れさせてまで自分が一番になりたいとは思っていない。どういう関係がベストなのか自分でわからず、今くらいが一番良い距離感なのだと自分に言い聞かせている。これまで、相手との関係性に悩むことが多かったが、私はいま悩んでいないので、彼にとってはわからないが、自分にとっては悪くない関係なのだろう。

追いかけられると、逃げたくなる。背を向けられると、不安になる。そう歌っていたのは古内東子だったか。私には、追いかけてくる人も、背を向けられるような人も居ないほうが、落ち着いていられるのかもしれない。それはまるで鞄に入れたイヤフォンのように、パソコンデスクの下にあるケーブルのように、近くなりすぎていると知らないうちに絡み合ってもつれてしまう。もつれて、解けなくて、切ってしまうような私には、今くらいの距離が良いのかもしれない。それは少し寂しいけれど、別に悪いことでは無いのだ。恋人が居なくても楽しそうな友人を見ていると、余計そう思う。

だけど、それが正解とも限らないし、自分にとっての最終的な答えだとも思わない。いつだって、自分にとって最善と思った選択をしてきた。それが間違っていたなと思うことも沢山あった。人生はその繰り返しなのだ。私は、私が正しいと思うことをしていきたい。

そう思って鍋の〆のラーメンを4人分入れ、更にそれを2人で完食したが、やはり食べ過ぎたなと、ゴロゴロとなる腹を擦りながら帰路につく。ちびまる子ちゃんならオチのナレーションが流れるところであるが、そんなものが流れる筈もなく、私が流せたのはトイレの水だけだったのであった。

 

 

友人と海

私は友人とドライブをしていた。

前方には夜の環状線、右手にはハンバーガー、左手にはポテトである。

 

久しぶりにカラオケに行きたいと思っていた私は、友人を誘って行くことにした。都心部のカラオケは人が沢山居そうだから、と避けたものの、少し外れた店舗は軒並休業中であった。そんな中でローカルのカラオケ屋は営業していたので、昼食後に3時間ほど歌いたい歌を歌った。久々に長時間歌ったせいか喉が少し痛くなった。

歌い終えた私たちは、次にどうするか決めていなかった。私は寄り道ができない。目的が無いと家から出ない私は、カラオケを終えたら何時であろうと帰るつもりだった。友人はこの日は私とのカラオケしか予定が無かったらしく、空いた時間に何かしようと考えているらしかった。

「海に行かない?ドライブで」

友人の提案に私の表情は一瞬曇った。何を言っているのだこの男は。夏に海と言ったら一大イベントではないのか。水着もサンダルも日焼け止めも何も持っていないし、私にとって海は「よし、行くぞ!」と気合を入れて行くべき場所だったので、そんな気軽に行けるようなスポットではないのだ。フットワークの軽い男はこれだから、と思ったが、この夏は毎日アイスを食べること以外何も夏らしいことをしていなかったので、折角だからとその提案に乗ることにした。

友人は車持ちではないが、カーシェアで時々ドライブに行くらしい。夕方からのほうが安くなる料金体系ということだったので、日が落ちるまで友人の家で過ごすことにした。写真が趣味である友人のお気に入りの写真集を見たり、猫と遊んだり、ベランダに設置されたハンモックでうとうとしたりしていると、気付けばドライブの時間になっていた。私と友人は、夜の海へ向かって走り出したのである。

途中でマックのドライブスルーに寄り、夜マックを頬張りながら夜の道を走る。テイクアウトの紙袋とポテトの香りがふんわり混ざり、脳を刺激する。いつになってもマックの匂いは青春を思い出す。高校時代、部活帰りにワクワクしながら寄り道して買った匂いと同じであった。これも青春の1ページになるのかなと思いながら、私はポテトを口に入れた。昔は勿体なくて1本ずつしか食べなかったが、今は数本まとめて口に入れている。私は大人になったのだなとポテトの本数で実感する。

 

ドライブをしながらお互いのことを色々と話した。

家族のこと、最近の趣味のこと、出会った人のこと。私は相変わらず恋愛の話をしていた。友人が悩まないようなことで私は悩む。友人がバッサリ切り捨てるようなところでも、相手がどう思うのかを私は気にしてウジウジする。私がどうしたいかハッキリしていないが故の悩みである。

友人は恋愛になると相手に対して減点方式をとってしまうらしい。

「何か気になったことがあるとどんどん減点されていって気持ちが冷めていくんだ」

これを言うと友達には引かれたりするんだけどね、と前置きして友人は言った。

「例えば一緒に食事をしたりどこかに行った時に、相手が気を遣って何かをしてくれたりするときって、優しいなと思うじゃん?」

まあ確かにちょっとした気遣いとか、気を配れるのって良いよね、と私は返した。

「でもそれって、出来て当たり前だと僕は思うのよ」

 そう来たか。

「出来て当たり前だと思ってるから逆に、そういう気遣いが出来ないと、出来ない人なんだなって思ってしまうわけ」

確かに友人は気を遣える。ちょっとしたことで優しい言葉をかけてくれたり、細かいことを気にしてくれたり、空気を読んだり物事を最適化するために気を遣う。それは私からすると気遣いが出来る人になるのだが、友人にとっては当たり前のことなのだ。自分にとって当たり前であることが出来なかったら、たしかに減点にはなってしまうのかもしれないな、と私は腕を組みながら話を聞いていた。以前に恋人と同棲していた時に、自分が気遣っていることを相手が全くしていなかった時、私はイライラした。それは部屋の使い方だったり、洗濯物の扱いだったり、寝る時のマナーだったり。ただそれをカバーできるだけの気持ちがあったから、一緒に居られた。加点されることはあまり無いと友人は言ったが、友人よりもスマートに気遣いが出来る人ならばそういうこともあるのかもしれない。

そんな話を聞きながら、よくもまあずぼらな私とドライブに行けるもんだなと思った。「自分の場合ものすごく減点されてそうなんだけど」と言った私に「お前は対象外だから」と言われた。特別扱いとかではなく、私は恋愛の対象でもなく興味の対象ではないのだろう。加点も減点もされない、学校の科目で言えば成績表に無い道徳みたいなものなのかもしれない。

 

2時間ほどかけて私たちは夜の海に到着した。海の上には綺麗な月があった。遠くで若者が数人で花火をしていた。聞こえるのは波の音と、時折聞こえる打ち上げ花火の音。スニーカーの私は砂に足を取られながら波打ち際へ向かった。写真が趣味の友人は「ここは良いスポットだ」と言いながら写真を撮っていた。

そんなこんなで友人は裸になり海に入っていた。友人の趣味の写真は風景もあるが、裸体の撮影も最近は増えている。面白がって私が海の中の裸の友人を撮影していると、友人は自身のスマホを私に渡し、構図を指定して写真を撮るように言った。私には写真のセンスはまるで無い。ピントも露光も構図も何も知らない私は何故か友人の裸を撮影することになった。場所を変え、構図を変え、ポーズを変え、写真を撮った。やはり上手く撮れない。美術の成績は良かった私であったが、構図は苦手だった。ポスターを描いてもごちゃごちゃした構図になる。空白を埋めたくなるのだ。空白とか、余韻とか、必要な無駄な部分を作ることが出来ない。漫画を描くにしても4コマくらいが関の山なのである。きっと自分の気持ちもそうなのだろう。何かで埋まっていないと落ち着かない。ぽっかり空いた穴は塞がないと気が済まない。いつだったか友人に言われたことがある。「恋人と別れてもまたすぐに恋愛するんじゃない?」たしかに私はそうなのだ。もう恋なんてしないなんて思いながら、間を置かず次の恋愛をしてしまう。恋愛で空いた穴を恋愛で埋めようとする、私の良くない癖である。

「お前も撮ってあげようか?」と友人に言われたが、やめとく、と答えた。別に友人に裸を見られることに抵抗は無いが、写真に残しておくほど良い身体では無かったし、髪も何もしてないし、今の自分に自信が無かったからだ。もう少し絞れたらお願いしようかと思うが、ここ何年も絞れていないのでいつになるかは未定である。

 

ひとしきり撮影し、海の周辺の撮影スポットを回ったあと、帰ることにした。友人は朝まで居れる、と言っていたが朝まで私の体力が持つ可能性はゼロだった。しかし夏に海に行ったのはいつぶりだろうか。友人が言い出さなかったらあと何年かは行く予定が無かったかもしれない。

私は友人にありがとうと言い車を降りた。部屋に着いて靴下を脱ぎ、海の砂がぽろぽろとこぼれるのを見ながら、今年は夏っぽいことが出来たな、と私は満足感に浸るのだった。

 

 

雨、逃げ出した後

大学時代は遠距離恋愛をしていた。

当時お付き合いしていた彼は電車で3時間かかる距離に住んでいた。彼は仕事が忙しく、来てもらうことが難しかったため、少しでも交通費を浮かしたかった大学生の私は、5時間かけてバスに乗って向かっていた。金曜の深夜にバスに乗り、土曜の早朝に着く。早朝に着いた私は、1人でカラオケに行って、仮眠をとって、時々歌って、彼と会える時間まで待っていた。1人カラオケが最初は恥ずかしかったが、何度かそうしているうちに、1人で受付に向かうことが苦では無くなっていった。

 

そんな私だが、1人で映画館に行くのはまだしたことがなく、けれど久しぶりに映画を観に行きたいと思った私は、友人に連絡をとった。公開してからだいぶ時間も経ち、もしかしたら友人はもう観てしまったかなと思っていたが、友人もまだ観ていなかったようで、一緒に映画を観れることになった。4月に友人と会ってから、ゲイの友人や知り合いとは誰も会っておらず、2か月ぶりの予定に私は小躍りした。

私がどうしても映画館で観たいと思っていたのは、エヴァであった。中学生の頃からTVシリーズを観てきたし、映画は必ず映画館で観てきた。今回で締めということもあり、観に行きたかったのだが、一緒に行く友達…もとい気軽に声を掛けられる人が居なかったので映画館に行けずにいた。単発モノならまだ声をかけやすいのだが、ただでさえ理解が難しい上にこれまでの流れを知らないと楽しめないことは明らかであろう映画に誘うのはグッとハードルが上がる。ゲイに限らず、人は趣味が近しい人同士で繋がる傾向にあると思っているので、そんな繋がりの人たちで行くのだろうと思うし、そこへポッと出の私が参加すると逆に気を遣うし遣われてしまうので、最悪1人で行こうかと考えていた。

声をかけた友人は、気心が知れているものの、そもそもエヴァを知っているのかどうかわからなかったので、声をかけるのを躊躇っていた。知ってたらもう観に行ってるよな、と勝手に思っていたので、半ばダメ元で聞いた。優しい友人のことなので付き合ってくれるかも、という期待もあったが、偶然にもお互い観ていなかったので、私はその偶然に感謝した。

 

友人とは新宿で落ち合った。観る前、これまでの内容を忘れてしまったから映画を家で観て復習してきたと友人は言った。友人は相変わらずストイックである。私はどうせ半分くらいは理解できないんだろうなと、観る前から理解を諦めていた。私にとっては、観て内容を咀嚼することよりも、これまで観てきた1つのアニメを締めくくれる、ということが大事であった。

内容については割愛する。考察は沢山されているので、他を参考にしていただきたい。唯一述べるとしたら、私は年をとったのだなと思う。シンジ達パイロットと同年代だった昔の私、年をとらないシンジ、大人になっていく周りの友達、いつしか私は、シンジの目線ではなく、周りの大人たちと同じ目線になっていたことに気付いた。あの頃シンジと同じように悩んでいた私は、悩みを解決できずとも咀嚼して消化できるようになっていた。それは時間なのか、経験なのか、別の何かなのかはわからないが、私は昔のままではなくなっていたんだと、エンドロールを観ながら映画館の椅子にもたれていた。

 

映画のあとはたこ焼きを食べ、友人の買い物に行き、夕飯を食べながら色々と話した。

以前から友人はカメラが趣味だったが、最近はモデルの撮影をしているらしい。とあるモデルの撮影をして、ツイッターに載せて貰ったところ、フォロワーが爆上がりした、と言った。モデルって、裸とかとるの?と聞いたところ、そうだよ、と言っていくつか見せてくれた。私のタイムラインでも流れてきたことがある、たぶん有名な人であった。相変わらず趣味を活かすのが上手である。

 

私はと言えば、職場の後輩を可愛がっている。

職場が激務だという話はこれまで散々記していたが、3月に新しく2人就任し、私の部署は7人から9人体制になった。これで少しは楽になるかと思っていた矢先、10年間勤めていた部署のリーダーが3月に退職し、更に去年の秋に部署に来てようやく慣れてきた面倒くさい系女子が異動し、また7人となってしまった。私は就任してから1年と少しであるが、7人の中では古いほうから考えて4番目となり、部署全体でも2年以上部署にいるのは今年8年目の1人だけ、というほぼ新規で固められた部署となっており、結成当時のカントリー・ガールズを彷彿とさせた。私の職場は新卒は採らず、全員中途採用なので基本的に20代は居ない。3月に新しく就任した2人も、1人は私と同い年の女性、もう1人は30代前半の男性で、彼は部署の最年少となった。

最年少で後輩になる彼は愛嬌があり、仕事もまずまず出来るが、職場環境に疲れていた。私の部署の人達は基本的には優しい人たちなのだが、気遣いが下手である。それは仕事の振り方だったり、言い回しだったり、人当たりだったり。本人にそのつもりが無くても、不器用で伝え方が上手くない為、意図とは違う受け取り方をされたり、人間関係を拗らせたりする。部署は同じだが、私は他の同僚とはフロアが異なるので、近くでフォローができない。そして彼はその中で揉まれ、疲れた顔で私の席に救いを求めて来る。その度に、私はデスクにしたためているお菓子をあげて、コーヒーを淹れる。彼はおそらく今後重要な人材になる。同僚には甘やかしすぎと遠回しに言われたが、彼が居なくなることは、当面避けたい。

就任当初から、彼はゲイっぽいなと思っていたが、ひょんなことから彼がゲイであることがわかった。可愛がっていることを友人に伝えたら、「それ彼がゲイじゃなくても同じことする?」と訊かれた。一瞬、答えに詰まったが、「すると思う」と私は答えた。何度か仕事終わりに一緒に飲みに行ったが、彼にはそれは伝えていないし、私のことも伝えていない。いつかそのタイミングが来たら伝えれば良いし、ずっと知らないままでもいい。ただ、彼が独りで抱えたり、悩んだり、傷ついたりしないよう、私は彼を守りたいと思う。

彼を守る余裕が同僚に無い今、彼はシンジ君であり、私はミサトさんなのである。来週もまた、彼は私のところに来るのだろう。ある日突然家出してしまわないよう、彼の背中を押す代わりに、私はまたお菓子を出し、コーヒーを淹れるのだ。それは私が1年前に誰かにして欲しかったことであり、私が欲しかった居場所でもある。

「君は、入社の面談の時から、良くも悪くもこだわりが無かったね」と、直属の部長に面談で先日言われた。「結婚とか、子供とか、背負うものが出来ると、物の見方も変わるかもしれないね」とも。これまで職場を転々としてきて後輩ができることはほぼ無かったが、ここに来て初めて守りたいと思うものができた。無我夢中に働く私はこれから変わっていくのだろうか。それとももう変わっているのだろうか。そこで変わりたいとか、変わりたくないとか、そう考えない私はやはりこだわりが無いのだろう。人に認めてもらうために仕事をする私は、まだまだシンジのままなのかもしれない。

 

友人とご飯を食べた後、新宿を後にした。

1つのシリーズを観終えた爽快感と喪失感を反芻しながら、雨が降りそうな帰り道を早足で歩いた。やりたいと思っていた新しいことを、始めようかな。と、帰宅した私はPCの電源を入れるのであった。

 

 

ワーカホリックは愛する人の夢を見るか?

「もしかして誕生日だった?」

友人から連絡が来たのは、3月も終わろうとしていた暖かい日だった。メッセージを遡ると最後に友人と会ったのは昨年の9月。何度かやりとりをしていたが、やりとりも最後は昨年の11月で終わっていた。

私の誕生日は3月の半ばだよ告げると「ご飯に行こう、何食べたい?」と訊かれたので、仕事に疲れていた私は「優しい気持ちになれるもの」とリクエストした。うるせえという小言と一緒に友人が提案した「じゃあマシュマロだな」を却下し、肉が食べたいと再度リクエストした。優しさと肉が繋がらないと言った友人は、翌月の週末にお店を予約してくれ、半年ぶりに友人と会うことになった。

 

3月が年度末となる職場では、2月に入ると私の部署は台風の目となった。他社では2,30人で回している業務を5人で行わなければならず、そんな時に2人が新しく配属され業務を分担するのも束の間、部署のリーダーが3月半ばで退職するという緊急事態に見舞われた。1人で7人分くらいの仕事をしなければならず、天手古舞てんてこまいになった私は3月に入ってから週末の休みも殆ど潰し、友人と会う週末まで1か月ほど休みなしで働くこととなった。

そんな最中に誕生日を迎えたのだが、深夜のコンビニでケーキを買って食べたくらいで、お祝いよりも労りを求めていた。自分の誕生日は大事にしたいと考えていた私だが、35回を超えた辺りからあまり拘らなくなった。年明け一発目に耳にする音楽は自分が好きな音楽がいい、と年明けすぐに自分の部屋に籠りカセットデッキの再生ボタンを押していた中学生の私に聞かせたら、呆れて開いた口が塞がらないことだろう。今年はどんな曲を聴いたのか、もう覚えていない。

とはいえ、自分の為に時間を作ってくれたり、お祝いしてくれたりするのは素直に嬉しい。人を喜ばせることは好きだったが、いざ自分が逆の立場になったとき、嬉しいのに恥ずかしくて素直に喜べなかった中学生の私に、職場でお菓子を貰ってやったーと両手と声を上げて喜んでいる今の私を見せたら、また呆れられるだろうか。

 

私が肉と言ったのでおそらく焼肉であろうと、臭いが付いても困らない服装にした。割と友人との約束には時間通り行っているつもりだったが、いつだったか寝坊してやらかしてしまった前科が私にはあるため、家を出るころに「起きてる?」と友人から連絡があった。彼の中で私はだらしない人間に分類されているのだろうか。脱いだまま洗濯をしていない服が床に散らばっているのを見ながら、だらしないのは事実か、と自分に言い聞かせて玄関の戸を閉めた。

友人とは新宿で待ち合わせた。ラフなアウターを着ていたが、友人はそんな私をオッサンくさいと言い、37はもうオッサンだよと私は返した。しかし年齢にかまけて服装に気を遣っていないのではなく、元々お洒落に疎い私である。服装にきちんと気を遣っている1つ上の友人を見ながら、これは年齢に甘えてるだけだなと自分を戒める結果になった。

 

到着した焼き肉屋では、対応が今一つな店員にヤキモキしつつも、なんだか高そうな肉に舌鼓を打ち、会っていなかった半年間であった出来事を話した。最近友人はゲイ向けの動画配信アプリで配信していて、そこで知り合った人と会ってご飯を食べたりしているらしい。多趣味な友人は相変わらず凄いなと思いながら聞いていた。私は自分に自信が無いから、配信には向いてないなと思う。だらだらと書きたいことを書いたり、下手くそな漫画を描いたり、部屋の中で一人踊ったりと、自分の世界で自分のやりたいように過ごすのが好きである。誰かに見られ、覗かれ、何かの拍子に否定されてしまった時に、自分を否定されてしまうような気がして、そんなあるかどうかもわからないリスクを勝手に懸念して、一歩踏み出せないでいる。今は起きている時間のほぼ全てを今は仕事に費やしてしまっているので、そんな暇無いなと自分に言い訳を重ねた。

私はこの半年何か新しいことを始めたわけでもなく、かといってプライベートで大きく何かがあったわけでも無かったので、友人の話を色々と聞いていた時間のほうが長かった。その中で「コンプレックスを克服するために習い事をしていた」と友人は言った。そもそも友人にコンプレックスがあったことに驚きを隠せなかったが、40手前で自分に向き合って行動に移せているバイタリティに素直に感心した。器用貧乏だがコンプレックスだらけの私は、これからの人生の中で、立ち向かっていくことができるだろうか。

 

ふと友人と出会った頃のことを考えていた。友人と出会ったのはいつだっただろうか。私が最初の職場にいた頃から知っていたので、もう10年になることに気付く。「もう10年経つんだねぇ」としみじみと私は言い「こういう関係が続くと良いねえ」と続けた。

「それは思ってても言わないほうがいい」

友人はそう言って焼いた肉を頬張った。

私は20代の頃、ずっと友達だと思っていた仲間と上手くいかず、人間関係で苦しい思いをしていたが、友人もまた、私と同じような経験をしていたことを思い出した。私とは理由も違うし、苦しんでいたかどうかはわからないが、友人も私も、人は何かのきっかけで簡単にバラバラになってしまうということを身をもって知っている。ご多分に漏れず私たちの間にも、そんな脆さはあるのだろう。希望を共有したかった私だったが、敢えて口にしない友人にも共感しつつ、そうだね、と答えてゆずサワーのグラスを空けた。

 

食事を終えて、カラオケでも行くか~と話していたが、このご時世遅くまで営業はしておらず、また次の機会だねといつもより暗い新宿で別れた。久しぶりに酔っぱらい、今日はゆっくり眠れそうだなと帰りの電車に揺られていた。

眠ることが好きな私はあまり夢を見ない。見る時は疲れていたり精神的に余裕が無い時が多く、年が明けてから度々見るようになっていた。先月はルパンⅢ世の孫と宣うイケオジにドイツで振り回される夢を見た。ルパンはフランス生まれだし色々と不備のある設定だが、あまりにもイケオジが魅力的だったためスマホのメモに残していた。見る夢は得てして現実的でないものが多い。

直近で見た夢では、遂にこれまで出てこなかった職場の人が出てきた。流石に夢で仕事をしていることはなかったが、起き抜けの私は夢にまで仕事が侵食していることに朝から疲弊した。世の人はどんな夢を見ているのか。以前付き合っていた恋人は、寝ている時に良く笑っていた。果たして彼の夢に私は出てきていたのだろうか。

カラオケに行けなかった替わりに、お風呂に浸かって好きな歌をひとしきり歌った後で、願わくば何の夢も見ませんようにと、私は羊を数えるのであった。

 

 

 

夢見る36歳

出会い系を使ってゲイと初めて出会ったのは、大学1年生の時だった。

高校時代は携帯電話を持っていなかったので、今や廃刊になってしまったゲイ雑誌や、ゲイの個人ホームページだけがゲイの知識であり、東京には色々あるんだなと思いながらも、私は北海道で生活したいという気持ちのほうが強かったので、北海道の大学へ進学した。私は高校の頃から個人HPを持っていて、インターネットにも割と明るかったため、大学で自分の携帯電話とPCを持ち、自分が好きなように活用できるようになってから、地域の出会い系掲示板を探し出すのに、さほど時間はかからなかった。

mixiTwitterのようなSNSが無い当時の出会い系掲示板には、ただの掲示板と、写真を掲載できる画像掲示板の2種類があったが、私は自分の画像を晒すことに躊躇い、画像の無いただの掲示板を活用し、そこで一人の年上の男性と出会った。彼の言うことが本当であれば、彼も掲示板で人と出会うのは初めてだというので、私たちはお互いの出会い系処女を双方に捧げたことになる。

北海道の春は遅い。地元では3月下旬から咲き始める桜は、4月中旬から下旬に咲く。花見のピークは4月下旬からGWであり、彼と出会ったときは、丁度桜が満開だった。私たちは緊張した面持ちで出会い、会ったけどどうしましょうね、という話をした。私はまだ北海道に来たばかりで、地理的にも何もわからなかったので、必然的に地元だという彼が案内せざるを得なかった。

「桜を見に行きましょうか」

はそう言って、乗ってきたバイクの後部からヘルメットを出し、私に差し出した。自転車の2ケツは高校時代に散々してきたが、バイクの後ろに乗ったことは無かったので、私は出会い系処女と同時にバイク2ケツ処女も彼に捧げることになった。後部座席に跨り、初めて乗りますと告げた私に「しっかり捕まっててね」と言った彼の腰に手を回した。父親でもない、同級生でもない、親戚のお兄さんでもない、初めて出会った男の背中に抱きつき、彼の着ていたダウンジャケットから微かに伝わる体温を感じ、自分の脈拍が上がるのを感じていた。なんだかいけないことをしているような罪悪感と、大の男2人でバイクに乗っている様はどう見えているんだろうという羞恥心とで、私は終始落ち着かなかった。信号待ちで止まるたび、周りからジロジロと見られているような気がして、恥ずかしくてどうにかなってしまいそうで、目的地に着くまで目を瞑って彼の背中に顔を埋めていた。

バイクは坂を上り、気が付くと桜が満開の公園に着いていた。私たちはそこでベンチに座って話した。お互いに人見知りだったため、私たちは探りながら言葉を紡いだ。5年後に開口一番「じゃあホテル行こっか」と言っている姿を見せたら当時の私は卒倒するのではないだろうか。何を話したかはもう覚えていないが、唯一覚えているのは「ハーフパンツでバイクに乗る人っていないから、ジロジロ見られちゃったね」という言葉だけである。まだ肌寒さが残っていたが、私は当時どんなに寒くてもハーフパンツという今では理解できない拘りがあったため、その日もハーフパンツだった。彼は嫌味っぽくもなく、そんな私を可愛がるように笑顔で言った。見られていたのは男2人で乗っていたからではなく、私の服装がバイクに乗るのに相応しくなかったからであったことを知った私は、自分の勘違いに心底恥ずかしくなった。

話が尽きかけた頃、帰りましょうかという話になり、彼が私が住んでいる家の近くまで送ってくれることになった。バイクで坂を下りながら、坂の両側も桜が満開で、坂が桜色に染まっていることに気付いた。来るときもこの景色が見れたのになと思い、目を瞑らずにいたら良かったな、と少し後悔した。

バイクから降り、別れの挨拶をし、それが彼と交わした最後の言葉となった。私は知らない人とどうメールをしていいかわからず、当時どう次に繋げていいのかわからなかった。今日は楽しかったです、また会いましょう、今度はご飯でも行きましょう。1年後に出会えていたらそんなメールを送っていたかもしれない。私に興味が無かったのかもしれないし、だいぶ離れた年下の子供に自分から行くことをしなかったのかもしれない。彼がどんな気持ちになっていたのかはわからなかったが、彼からも連絡はなかった。

もう彼の顔も名前も覚えていないが、桜を見ると、あの背中の体温を思い出す。

 

そんな私は彼と同じくらいの年齢になった。彼と会ったのは18歳の時。あれから更に18年の月日が経った。大学を卒業して上京し、東京で過ごした20代、30代前半、沢山の人と出会いがあり、それに甘えて私は古い友人をどんどん切り捨てていってしまった。学生だった頃は年上の人に随分お世話になったが、殆どの人の連絡先がわからなくなっている。携帯の番号も変わり、mixiも廃れ、メールも使っていない今、学生時代の私を知っている人で連絡がとれる人は片手で足りる程になっている。バイクに乗って桜を見た彼も、地元で何度も遊んでもらっていつか彼女と結婚するといっていたバイの人も、車で連れ出してくれて美味しいお店に連れて行ってくれた兄貴分も、皆いま幸せだと思える生活をしているのだろうか。

私は、仕事に生きようとしている。幸いにも職場にお互いに刺激し合える同僚がいるので、いつか天下とったろうぜ、という話をする。惚れた腫れた振った振られた抱いた抱かれたの話より、今はそれが楽しい。そんな自分の生き方を肯定するために、休みを返上して仕事のメールを書き、忘れた頃にブログを書くのである。施しを受けてばかりだった私だったが、いつかまた出会えたら、昔の話を肴にした後に、あの頃は聞けなかったことを聞きたいし、話せなかったことを話したい。

ずっと大人になりたいと思っていたが、18年経った今もまだ、大人になりたいと思っている。何年経っても甘えたくて、背中の体温を感じたくて、春が来るたびに桜並木の下り坂を思い出す。そしてまだまだ子供だと自分に言い聞かせながら、これからも年を重ねていくのだ。きっとその積み重ねが、私を大人にしていくのだろう。そんなことを夢見ながら、今日もメールを開き、ひとつずつ仕事を終わらせていくのである。

一匹狼のジレンマ

ここ数ヶ月、毎日夜遅くまで仕事をしている。21時を過ぎても「まだ21時か」となり、23時を過ぎた頃に「そろそろ帰る準備をしないと」と私の感覚は麻痺してきている。コロナがどうした、リモートワークなぞクソくらえ、という職場であり、ブラックな職場だと言われれば否定できるものは何一つないが、ようやく仕事が楽しくなってきていたので、体力的に疲れることはあるが、まあ頑張ってやっている。

仕事が忙しくてプライベートが疎かになっているが、そもそも友人が少ないので予定も少ない。そんな少ない予定の中で出会ったゲイに、「あなたにとって仕事って何?」と言われた。

私は少し考えたが、私は仕事は「自分の居場所を守る為のもの」だと答えた。ゲイのコミュニティに居場所を置いていない今の私にとって、職場は私が存在を許されている数少ない居場所なのである。ゲイのコミュニティにも居場所を置こうと思えば置けるのかもしれないが、今の私はあまり求めていない。勿論あったらあったで楽しいのだろうが、時間が無いことを言い訳に、今はコミュニティには属さないし、属せない。それには理由があるし、昔に遡らなければならない。

 

10年程昔、まだ私が20代半ばだった頃の話である。

 

当時、同じ趣味で集まって良く遊んでいた同世代のグループがあった。決して広いとは言えないワンルームの私の部屋に4、5人で集まり、くだらないゲームをしたり、料理を楽しんだり、趣味に没頭したり、朝まで飲みながら語り合ったり、今思えば少し遅い青春を謳歌していた。私はいつまでもずっとこんな関係が続いていくと思っていたし、ずっとこんな風に楽しく過ごせるものだと思っていた。

男女の間に友情は成立するのか、という命題が古今東西老若男女問わず語られるが、ゲイの間に友情は成立するのか、というのも然りである。グループ内の1人と私は恋愛関係になり、いつしか恋人として2人で会うようになっていた。とはいえ、恋愛関係にあった彼は、あまりグループで集まることは無く色々なところを転々としていたので、彼以外のグループのメンバーとは友人として付き合っていた。自慢ではないのだが、グループの中の2人が、自分に関して恋愛感情を抱いていることがわかった。わかったところで私は気持ちに応えることはできなかったので、そういう気持ちは無いと伝えた上で、それでもグループで楽しい時間を過ごした。

私が上京して最初に住んでいた葛飾区の家は、最寄駅から歩いて15分もかかり、更に職場まで電車で1時間くらいかかっていた。新宿に出ることが多く、西のほうに住みたいと思い、引っ越すことにした。引っ越そうと思うんだよね、とグループで話したときに、そのうちの1人、自分を好きだと言ってくれた1人が「それなら一緒に住もう」と言ってくれ、自分のことが好きならきっと自分に対しても気を遣ってくれるのでは、という打算的な考えもあり、私は二つ返事で了承した。その時には前述した恋愛関係にあった彼とは既に終わりを迎えており、私はフリーだった。

 

そんなこんなで私は、ゲイの友人である彼と2人で同居するというスタイルをとった。2LDKの間取りの部屋を、それぞれの個室とLDKに分け、カギはかからないが各自のプライベートは保てるような部屋だった。彼はお洒落で個性的で、自分のポリシーを沢山持っていた。私は拘りが無くのんびり生きていたので、彼の感性や生き方に少なからず刺激を受けた。引越して早々、トイレと風呂場の電球を色付きの電球に交換し、私はクラブかゲイバーみたいだなと思いながら緑の空間で用を足し、赤の空間で風呂に入っていた。同居していた彼と身体の関係は全くなく、それぞれで恋愛を楽しんでいた。

同居してから半年程経った頃、私は仕事が忙しくなり、朝出て終電近くまで仕事をして帰宅することが増えた。同居人の彼は仕事柄夜は家を空けることが多く、2人の生活はすれ違いになっていた。私が朝に家を出る時に彼の部屋を覗くと、仕事帰りで寝ていて、あまり会話が出来なくなっていた。そんなとき、仕事中の私の携帯に不動産会社から連絡が入った。

「○○さん(同居人の彼)から先月分の家賃が振り込まれてないです」

家賃については、大家さんのご好意で「それぞれから半額ずつ振り込んでもらえれば大丈夫ですよ」と言って頂いていたので、私たちはそれぞれが半額ずつ支払うことになっていた。それが彼のほうは先月は支払っていない。私は大家さんに迷惑をかけたくなかったので、とりあえず彼の分を振り込み、彼にメールをした。当時はまだLINEなど無くメールが主な連絡手段だった。からは「ごめん」と連絡が入り、「いま仕事が上手くいってなくて、来月渡すね」と返信があった。帰ったら話し合いかなと思ったが、帰った時には彼は家に居ない。そして朝には彼は部屋で寝ている。そんな日が何日も続き、なかなか話すことができずにいたところ、「今月も家賃が振り込まれてないです」と二度目の督促があり、私はまたしても彼の分の家賃を支払うことになった。こんな感じで彼の未払いと2人の生活のすれ違いが続いた。独身貴族とはいえ倍額の家賃を払うと流石に家計が逼迫し、未払いが4回目になった頃、私はストレスでどうにかなってしまいそうだったので、彼に手紙を書いた。もうこの生活を続けていけない。次は家賃を払えないから、この日までに部屋を出てください、と。そのとき私は次の部屋を決めていた。彼にとって退去の期限はそれほど長くは無かったが、彼は実家が神奈川だったので最悪実家に帰れる環境であったため、私は強硬手段に出た。これまでに送ったメールにも、私が書いた手紙にも、彼からの返事は無かった。

結局彼からは連絡が無かったが、退去の期日が近い日に部屋を覗くと、彼の部屋からは物が減っていたので、なんとか期日までには退去できるだろうと安心していたところ、後日不動産会社から「部屋の片方が色々散らかってるんですが、全部捨ててしまっていいですか」と連絡がきた。どうやら彼は要らないものを捨てずにそのまま放置して部屋を出てしまったらしい。私が使っていた部屋は入念に掃除をしていたし、散らかっているものを聞いたところ彼が使っていた壊れた家具であった。どうやら彼のほうとは連絡がとれないらしく、申し訳ありませんと私が謝罪し、あるものはすべて捨ててください、と連絡をした。

それから、彼とは連絡をとっておらず、私は仕事が忙しかったこともあり、自分がいたグループの仲間とも連絡をとらなくなってしまった。彼と会いたくなかったし、彼のことを話すことさえストレスになってしまっていた。

 

一人暮らしをしてから程なくして、私に連絡があった。前述で私を好きだと言ってくれた2人のうちの、もう1人のほうである。彼は東北の実家に帰っていて、やはり東京で暮らしたいという思いが強く、私も彼は誠実な人だと思ったので、暫く家に居てもいいよと言った。ある日、突然やってきたのにはビックリしたが、彼の生活を応援したい気持ちがあったので、快く迎え入れた。私の前の失敗を知っていた彼は、同じことが繰り返されることの無いよう、2人で家でのルールを決め、こんな時にはこうしようとか、これはしないようにしようとか、そんなことを話しながら一緒に住み始めた。

そうして1か月が過ぎた頃、私はまたしてもストレスをかかえることになった。私の家に居る彼は、1か月間何もしていなかったのである。彼が仕事先を決めて、一人暮らしを始めるまでの一次的な同居だと割り切っていた私は、何もしていない彼に業を煮やした。一緒に住み始めた頃、私は確かに「仕事が決まるまでいつまでも居ていいよ」と言ったが、それは彼が一生懸命就職活動をして仕事を決めることが前提であったし、私は彼がそうしてくれると勝手に思っていた。彼は私の言葉に甘えてしまったのである。

彼は近所の総菜屋でアルバイトを始めたが、そのアルバイトで家賃が稼げるほど給料を得ていたわけでもなく、アルバイト以外では家でダラダラと過ごすのが日常になっていた。私はそんな彼を見てまたストレスを抱え、3、4か月が経っても彼は独り立ちできる状況ではなく、私が耐えられなくなってしまい、軽い気持ちで迎え入れたことを後悔した。

前回とは違い、彼とは会話ができたので、私の心情を伝えた。もうこれ以上この生活をするのは耐えられない。申し訳ないが、出て行ってほしい。その分のお金が必要なら貸すから。と彼には伝えた。彼も私の部屋にずっと居候しているのは心苦しかったらしく、また私のストレスが溜まっているのも怖かったということだったので、幾らかのお金を貸し、彼は部屋を決めて出て行った。

 

同居していた彼も、私の部屋に居候していた彼も、私の元を離れた後に連絡がくることは無かったし、それぞれに貸したお金が返ってくることも無かった。2人のために負担した金額を合計すると、100万円ほどになるだろうか。私は100万円と引換に、膨大なストレスと、同居する難しさと、人を信じる心と、ずっと仲良くしていけると信じていた友人を失うことになった。人を信じすぎてしまっていたことや、ストレスに耐え切れなくなってしまった私の未熟さの所為でもある。

こんなにも人間関係は脆くて、崩れやすくて、心に負担をかけるものなのだと思ってから、私はあまり人と深く関わりをもつことをしなくなった。疲弊して傷つくことを避けながら、上辺だけの関係や刹那的な関係を好み、人に深入りするようなことはしなくなった。何を考えているのかわからないと言われることが良くある。「何も考えてないですよ」と答えるようにはしているが、私はいかに自分が傷つかないかを考えている。30代後半になった今も、弱くて、幼くて、自分の未熟さに耐えられないのだ。

集団の中に居ると自分の立ち位置を考える。このグループでは私はこういう役割、このグループではこういう役割、私は必要、居なくてもいい。そんなことを考えてしまうということは、おそらく他人にも同じことを求めているのかもしれない。あいつは必要、あいつは要らない、役に立つ、立たない。とても現実的で、冷酷で、優しくない人間なのだと思う。漫画のキャラみたいに、それぞれにちゃんと立ち位置や役割があるわけじゃないし、ピッタリはまることのほうが少ないのに、私は自分の存在意義を集団の中で見出そうとする。悪い癖である。

 

こんな私は、職場でも自分の立ち位置にかなり拘る。他人に文句を言わせないように仕事で結果を出すし、他の人にはできない動きをしてやろうと思いながら仕事をする。だから4月から働いている今の職場でも、新規のプロジェクトを任されたし、任される仕事の量もかなり増えてきている。とても忙しいのだが、今の私の居場所は職場にあるのである。結果が出せれば、評価もされるし、何より裏切られない。

私はもう、裏切られたくないのだ。付き合っている人に裏切られたり、信じていた人が信じられなくなったり、ただ流れるだけで、無かったことにしてくれない涙は、当分流さずにいたい。

だから私は今は群れない。本当は寂しい。けれど傷つきたくない。そんなジレンマを抱えながら、自分の居場所を守る為に、自分が自分であるために、明日も夜遅くまで仕事をするのだろう。終電まで飲み明かす大学生、酔いつぶれてフラフラのサラリーマン、ホテル帰りのカップル、道端で構えるホームレス、彼らだけでなく、そんな彼らを横目で見ながら帰路を急ぐ私も、ありふれた新宿の夜の一部になるのである。

 

 

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