走光性

友人との出逢いはTwitterだった。

当時はまだ今ほど始めている人が少なく
私も手探りで呟きながら
良い出会いが無いかと探しながら
なんとなく使っていただけだった。

 

学校とかで休み時間になると
自然と人が集まるタイプっているけど
人が増えてある程度の数になると
現実でもインターネット上でも
カリスマというかアイドルというか
キラキラした人が出てくる。

それはTwitterでも同じで。
まだツイドルなんて言葉が生まれる前。
脱ぎ垢や裏垢という概念が存在しない頃。

面白いことを言う人達のことを
ネタクラスタなどと呼び始めていた頃。
みんな同じ時期に始めたはずなのに
ぼちぼち注目される人が出始めていた。

 

彼は、少なくとも私にとっては
とても輝いた存在だったように見えた。
アイコンの写真も良いし
言葉の使い方がとても上手い。

 

頭の良い人だ。

仲良くなりたい。

 

けど、わかっていた。

休み時間にボールを持って
校庭に駆けてく男子を尻目に
教室で女子と一緒に絵を描いていた私は
彼とは住む世界も乗る土俵も違う。

 

自分はなれないとわかっていたけど
嫉妬なのか、羨望なのか、憧憬なのか
そんな人たちと仲良くなりたいし
あわよくば自分もそうなりたいと
ずっと思っていた。

だから、近づきたくて。

 

この人と繋がるにはどうすればいい?
どんな人と繋がってる?
自分が繋がりたい人はどういう人だ?
この人のTLには何が見える?

 

友人に限らない話だが、
繋がりたいと思った人がいたとき
私は次の手段をとっていた。

 

①対象が好きそうな(面白そうな)アカウントを目指す。
②親しそうな人と繋がって外堀を固める。
③RTで対象の目に触れる機会を与える。
④気に入ったものにふぁぼする。
⑤自分のツイートがふぁぼされる。
⑥少し時間を置いてフォローする。
⑦フォローされる。

 

今、思い返してみると
我ながら本当に気持ち悪いと思う。

 

飛んで火に入る夏の虫、という。
キラキラしたものに直進すれば
光で死んでしまう闇属性の私は
何かの光を反射しながら
光っていると勘違いさせながら
光に近づいていくしかないのである。

今はこんなこと考えてないし
若かったからそんなエネルギーがあったと
そういうことにしておこう。

 

少なくとも友人は、良いと思った人しか
フォローしないタイプの人だったし
これは勘だけど、
一度フォローされる機会を逃すと
二度としてもらえないような気がした。

 

 

夏休みの読書感想文よりも、
入試の小論文よりも、卒論よりも
こんなにも考えて言葉を綴ったのは
初めてなんじゃないかってくらい考えた。

失敗も沢山したし、トラブルもあったけど
今自分が紡いでいる言葉の土台には
この時の経験が大きくあるんじゃないか
と思う。

 

 

有難いことに、
見て楽しんでくれる人もいて
どうにかこうにか1~2ヶ月くらいで
今の友人とTwitterで繋がることができた。

 

繋がったあとは何気ない会話から始まり
ある日、

 

ご飯に行きましょう、

 

と。

 

 

少しだけ、キラキラになれた気がした。