ゲイがつらつらと書くブログ。

NOと言える男

いくつになっても、怒られるのは嫌だ。

悪いことをしたときに注意され
あわよくば叱咤され、叱責され
嫌な気持ちになったことは
おそらく誰にでもあると思う。

そして怒られた時は
怒っている相手を嫌いになるのも
よくある話だと思う。

その結果、人の行動基準は
「怒られるか」「怒られないか」になり
優しい人の定義は
「怒るか」「怒らないか」になったりする。

 

友人は、好き嫌いがハッキリしている。

いや、好き嫌いと言うのは正確ではない。
彼の中での善悪が非常に明確なのである。

あれは良い。
これは悪い。

しかもなんとなく、とかではなく
1つ1つの判断に根拠をもっている。
そしてそれを相手にズバッと言える。

それが故か
優柔不断な姿勢は彼を苛立たせるし
うやむやな態度を良しとしない。

そんな自分のことをを苦手とする人も
少なくないと、友人は言う。

「俺は面倒くさい人だと思われるから」

悩みであるのかないのかわからないが
いつだったかそんなことを言っていた。

は優柔不断でフラフラしているので
そんな友人となぜ上手くやっていけるのか
それは未だに疑問である。

 


もう何年も前の話になるが
私には荒れていた時期があった。

 

当時付き合っていた彼氏に散々浮気され
その事実を知った私も憤慨し
それ相当の浮気を繰り返していた。

よくないことだということも
同じことをして自分の価値を下げるのも
浮気相手に失礼なことだということも
わかっていながら、行為をすることで
心の荒みを和らげていた。

 

友人とは暗黙の了解というか
お互いの性生活に興味が無いので
あまりそういった話をしないのだが
ある日心のバロメーターが臨界点に達し
友人の家でそのことを話した。

ボロボロの状態で私が説明すると
友人はこう言った。

 

「同じことをしているのなら
 相手のことを悪くは言えないね。
 お互い様じゃん」

 

正論である。

 

心のどこかで、友人ならば
味方になってくれると思っていた私は
救われるどころか
突き落とされた気持ちにすらなった。

他の友人に話した時は

「それは辛いね」
「大変だったね」
「別れちゃえばいいのに」

と言われることが殆どだったので
友人のその一言は衝撃的で
まさに痛恨の一撃として
私に大ダメージを与えた。
ベホマを期待していたら
ザキを唱えられた気分である。

 

「でもさ」
友人は続けた。

 

「彼氏のこと、好きなの?」

 

「別れたくは、ないの?」

 

私は膝を抱えながら
「うん」というのが精一杯だった。

 

そう。
好きなのだ。
別れたくはないのだ。

そして他の誰かには
どうすることもできないし
最後は自分で決めるしかないのだ。

 

「そしたらさ」

友人は、私のために
言葉を選びながら言った。

 

「もうこれ以上無いくらい傷ついて
 本当に本当に嫌になって

 別れたくなるのを待つしかないね」

 

うん。

 

そうだね。

 

結局はそうなのかもしれない。

どんなに他の人に何か言われようとも
好きなものは仕方がないし
別れたくないものはどうしようもない。

それでいて私は
結構頑固な部分を持ち合わせているので
私の気持ちが変わらない限りは
今の関係が変わることはないのだ。

 

おそらく友人は
それを私に気づかせようとしているし
この件に関して友人に出来ることは
それ以上何も無い、という意味も含んでいた。

他の友人たちの優しい言葉も勿論嬉しい。

ただ、友人は私に真実を吐きつけ
言うべきことを言うだけだった。
それが私の為だと友人は思ったのだろう。

私にそういうことを言ってくれるのは
友人くらいなものだし
私に必要な言葉を選んだのだと思う。

 

「ありがとう、もう帰るよ」
私は友人宅の玄関へ向かった。

「また辛くなったら、言えばいい」

友人の言葉を背に、扉を閉めた。

 

「また辛くなったら」とは言われたが
既に帰り道の足取りは重い。

苦しいものは、苦しいし。

辛いものは、辛いし。

「好きなものは、好きなんだなぁ…」

 

自分で何言ってんだろうなと思い
私の口からフフッと笑いがこぼれた。

 

 

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