シュレディンガーのバリネコ

私はイケメンではない。

以前、元彼に私の容姿レベルを聞いた際
「程よく手を出し易いブス」と揶揄され
それはそれで腹が立つ表現ではあるが
つまり客観的にもイケメンではない。

そんな私は恋愛を確率論で考える。
あの人と知り合える確率はこれくらい。
セックスができる確率はこれくらい。
付き合える確率はこれくらい。

その確率とフられたときのダメージを
天秤にかけて動くのである。

 

イケメンはサイコロを振らない。

容姿が評価され得をする世界では
私の用いる天秤など使わなくとも
大抵の男は手に入れられるのである。

好意をもたれることが多い分
自分への接し方がどうあるかで
好意の有無を判断できる余裕もあり
それがしばしば魅力に輪をかける。

 

蓼食う虫も好き好きとは言うが、
自分を良いと思ってくれる人って
どういう人なのか、
そしてどこが良いのか
いつしか不安になってしまうのだ。

自己顕示欲や承認欲求は
そんな不安から生まれるのではないか。
自分への興味があるのかどうか
そんな人がいるのかどうか確認し
更にふるいにかけて確率を上げるのだ。

と私は思っている。
やり方は人それぞれだと思うけど。

 

 

私は友人と天ぷら蕎麦を食べていた。

友人との話をマンガにしたところ
なんとなく反響があったと話したら
友人も悪い気はしないとのことだった。

「描いて欲しい話がある」

友人がに何か要求することは
あまり無いことだったので
「どんな話?」と訊いた。

「アレだよ。質問箱。よく見るじゃん」

「よく見るね」

「アレさ、どうにも理解ができない。
 匿名の質問を受けて答えることに
 何の意味があるのかわからないし
 アレをしてる人ってなんか幻滅する」

 

自分は他人にどう思われているか
そんなことは気にしない友人にとって
質問箱のシステム自体も
利用する人の理由も
おそらく共感できないものなのだろう。

そして、共感できないそのシステムを
何度も何度も多用している人に
嫌気がさしたのではないか。

「そのことについてマンガにして
 皆がどう思っているか確かめたいんだ」

成程、成程。
やりたいことはわかった。

でも私がマンガでやりたいことは
そういうことではないのだ。
誰かに疑問を投げかけたり
意見を訊く為に描いたのではない。

 

あれは日記だ。

 

私と友人のエピソードを
つらつらと日記にしただけなのだ。
大切な写真を集めて
アルバムにしたようなもの。

「だから申し訳ないけど
 マンガには出来ないよ」

友人は残念そうだったが
今回こうやってブログにしたので
良しということにしてもらおう。

 

 

ホームページ全盛期時代には
100の質問」というものがあった。

知らない人のために説明すると
100個の質問のテンプレートを使い
答えてプロフに貼り付け、
自分のことを知ってもらうものである。

私はこういう性格です。
こういうことに興味があります。
こんなことを考えています。
そんな情報を質問の答に散りばめ
自分に合う人に見つけてもらうのだ。

SNSのプロフィール欄に
好きなものを羅列して書いているのと
同じようなものである。

おそらく質問箱は、現代の100の質問

その質問が予めわかっているか
誰から何が来るかわからないかの違い。

 

質問箱は、猫を入れた箱だ。

ただ、箱の中の猫が生きてるかどうか
そんなことは問題ではない。

 

生きているのか、死んでいるのか。

大切なのは、
自分がそれを考えてもらえるような
猫であるかどうかなのだ。

観る人が観れば
生きているかもしれないし
死んでいるかもしれないし
どちらでもないかもしれない。

 

だけどその箱は猫にとっては
誰かが自分に興味をもってくれると
信じてやまない希望の箱なのだ。