ゲイがつらつらと書くブログ。

足りないピース

弟の話。

 

年末年始に特に予定は無く、一人で紅白を観るのもなんだか味気無いなと思い、仕事を納めてから割とすぐに、実家に帰ることにした。母に訊いたところによると、年が明けてからは、弟家族も妹家族も実家に集合するとのこと。家族、という表現をしたが、弟も妹も結婚しており、共に子供が3人ずつ居る。つまり私にとっては甥と姪が、両親にとっては孫が、現在6人いる。両親と私を含めると、年始は13人が実家に居ることになる。

 

年末は両親と3人でのんびりだらだら過ごし、年が明けて妹家族が到着してから一気に実家は嵐のようになった。妹の子供は一番大きくて5歳、一番下は0歳。遊ぶ、笑う、喧嘩する、泣く、眠るを繰り返し、あらためて子供のもつエネルギーの大きさに驚く。果たして私はこんな子供であったのだろうか。

子供がひとしきり動いておとなしくなったあと、両親・妹夫婦と私でお茶をしていた。その際に、先日あった弟との話題を出した。弟と会話が上手くできなくて、悲しくなったよと。欠席裁判のような感じがして少し後ろめたかったが、他の家族がどのように弟と関わりあっているのか知りたかった。最もその話を面白がっていたのはであり「えー!そんなことも話したのー?」と教室で恋バナをする女子高生のように食いついてきた。

そんなリアクションをはじめとして、弟に対する見解は皆、割と同じ方向を向いていた。母も妹も、弟と会話するとやり込められたような気分になるらしく、私と抱く印象はほぼ同じであった。父は何も言わなかった。どういう気持ちなのかはわからないが、言いたくないことかもしれないので私は何も訊かなかった。驚いたのは妹の旦那である。

「あの人は我が強いからなぁ」
そう言ったのだ。

我が強い。妹の旦那にとって弟は義兄であるが、丁寧な人だと思っていたので、そんな彼に我が強いと言わせるような何かが、彼と弟の間にあったのだろうか。

 

しかしとんでもないことである。

弟を擁護する様な意見が一つも出てこないのである。
そしてそれに対してヤバいんじゃないかと思っている人間がおそらく私しか居ない。明日実家に帰ってくる弟に居場所はあるのだろうか。平和な正月を過ごせるのだろうか。

 

そして弟家族が実家にやってきた。弟も生まれたばかりの一番下を含む3人の子供を連れてきたので、リビングはごった返していたが、家が大きめなのでなんとかなっていた。実家は大きめの一戸建てだが、それを見越してこの大きさを建てていたのだとしたら、父は賢い選択をしたと思う。

折角家族が集まったのだから、と夕飯を実家でとる際に父の姉である伯母夫婦を呼ぶことにした。伯母夫婦には子供はおらず、そのため私たち兄弟は小さい頃からとてもよく可愛がってもらった。よって夕飯時には15人となった。流石に15人で囲めるほど大きいテーブルは無かったので、ダイニングに大人が、ひとつづきのリビングに子供たちとその母親がつき、夕飯を食べていた。

自然にというか、案の定というか、伯母夫婦もよく喋るので昔の話に花が咲いた。長男で一番よく可愛がられていた私に関する話が多いので、その度に妹の旦那は「またお義兄さんの話ですか!」とツッコミを入れるが、もうそんなことには彼も慣れているのでその言葉を潤滑油にして話はまた広がっていく。妹の旦那は、そういった空気を読んだりバランスをとったりするのが上手である。いまだ父に冷たい態度をとる妹は見習うべきだと思う。

 

そこで事件は起きた。

話は私たち兄弟が小学生の頃に遡った。私は気づいたら習い事をさせられていた。ピアノ・水泳・サッカー・英語、今思えばよくあれだけやれたなと思った。妹はサッカーではなく新体操だったが、ピアノと水泳と英語は気づいたら兄弟皆やっていた。しかしピアノに関しては、私と妹は中学終わりまで習っていたが、弟は小学校の3,4年くらいで辞めてしまった。伯母はそこに言及したのである。

私はそのとき食卓におらず、台所で洗い物をしていた。田舎のため、洗い物や家のことは女性がやるような風習があるのだが、妹も弟の嫁も子供の相手で大変なので、嫁が居ない私が自発的に洗い物を行っていた。一人で帰ってきてもちゃんと家のお手伝いとかはしますよ、嫁とか必要ないですよ、という無言のアピールでもある。

ダイニングと台所はひとつづきなので、顔も見えるし会話も聞こえる。すばやく食べ終わった私が色々と洗っていると、伯母の声が聞こえてきた。

「そういえば、2人ともピアノ続けてたけど、あなたは途中でやめちゃったわねぇ」と。

別に嫌味でもなんでもなく、思い出したように言った伯母に対して、は言った。

 

「あれは、教育方針が間違ってた」

 

…えっ

 

…どういうことなの

 

一瞬、弟以外の全員の表情が凍りついたのを私は見逃さなかった。

しかし弟はそれだけでは終わらず、何がどう間違っていたのか説明し始めた。幼少期に強制された学習は~とか、やりたくないことをやらせ続けると~とか、そんなことを言い出し、最終的にはもう一回「教育方針が間違ってた」と言って締めたのである。

弟に力説された伯母は、悲しい顔をして一息つき、こう言った。

「そう…あなたは、そう思うのね」

 

弟よ、いま間違っているのは、君だよ。

 

 仮に昔の教育方針が間違っていたとして、それを指摘したところでどうしたいのか。同じ食卓に居る自分の両親を非難したいのか。自分のせいではないと主張をしたいのか。

伯母さんがそんな話をしたのは君を非難したいわけでも反省してほしいわけでもないよ。ただ昔の話をしたいだけだよ。もう何回会えるかわからない伯母さん夫婦と食事をしているんだから、どうせなら楽しい気分で帰ってもらいたいじゃない。久しぶりに元気な姿が見れて良かったわ、楽しかったわって、そう言ってもらえるように持て成すのが、昔可愛がってもらった甥と姪の役目であり、仕事であり、思いやりではないのか。伯母さんにそんな言葉を言わせるなよ、と私は怒り心頭でその会話を聞いていた。

しかし私がここで怒るのは得策ではない。一番ベストなのは同じテーブルにいる父が何か言うことだ。別に他の話でもいい、会話をリードしてくれ。これ以上弟に喋らせないでくれ。そんな私の願いを余所に、父は何も言わずに夕飯を頬張っていた。父よ。ああ、父よ。教育方針が間違ってたって、親のあなたを否定していることにもなるんですよ。黙ってたら認めてしまうことになるじゃないですか。悲しいからそんなことにさせないで。そう思っていたが、この件に関して父が食事以外のために口を開くことはなかった。

 

決して家族仲が悪いわけではない。ただ時々、どうしてもピースが見つからないジグソーパズルのような状態になる。そのピースは父が持っていたり、母が隠していたりして、ひとつの絵にはならない、穴があいた状態になるのだ。私はその穴が嫌いだし、だから色んな方法で埋めようとはするのだが、すべてのピースを持っているわけではないし、同じピースでもはめられる人とそうでない人がいるのだ。

結局「そういえば前に~」と話題を変えたのは妹の旦那だった。できる、あんたできる人だよ。もうあんたが弟でいいよ。

 

後からあれは間違いだったと言うことなんて簡単だけど、両親の場合はそうだっただけだと私は思うので、決して間違っていたとは思えないし、思っていたとしても伝えたところで過去は過去である。

教育方針が間違っていたと言っていた弟には、いま子供が3人居る。彼はどんな子育てをし、どんな家族を築くのだろう。それを隣で聴いていた弟の嫁は、どんな気持ちでいるのだろう。

まだ何もわからないであろう6人の子供たちを見て、彼らのこれからが幸せでありますように、と願いながら、私は次々と増える洗い物を片付けていた。

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