早生まれは幼少期に不利だと言われる。
戦争の食糧難を経験した祖父にしこたま食べさせられた3月生まれの私は、小学生の頃、クラスで一列に並ぶと後ろのほうだった。
サッカーではタックルすると相手をふっとばした。
質量が大きいほうがエネルギーが大きいと計算できるようになったのは高校に入ってからだったが、怪我をさせることに気が滅入った。
泣きながら親に辞めたいと訴え、中学で選んだのは吹奏楽部だった。
「君は身体が大きいからこれ」
先輩が大きなケースを開けた。
チューバを見るのは初めてだった。
それから3年後、高校でも吹奏楽部に入った。
チューバは推薦入学の子が吹くからと、私の膝にはユーフォニアムが乗った。
マウスピースが唇に合わず、B♭が出ないのが最初の壁。
チューニングも曲も、最初の2か月は私はずっとオクターブ下の旋律をなぞっていた。
同じ楽器の先輩はふたつ上に一人だけ。
夏のコンクール後は私だけで背負っていかなければならない。
同級生がクリスマスソングを奏でる傍ら、冬の校舎には私のロングトーンが静かに響いていた。
変化が起きたのは2年生の春。
定演の曲でソロパートがあった。
私の楽器は私一人だけ。
だけど上のGがなかなか出ない。
Fまでは出せるようになってきたのに。
それまでの高音の壁が県境だとしたら、FとGの壁は国境だった。
パスポートの発行には時間がかかる。
本番で出たのはGというよりgだった。
そんな成長に気づいてくれる人もいて、OBとなった先輩に褒められてくすぐったかった。
後輩に抜かされるのではという心配もだんだんなくなっていった。
私の息で楽器を温めていたあの時間は、無駄ではなかった。
それでもGはなかなか出せなかった。
3年生の定演で、3年が各々メイン曲をやろうということになった。
トランペット吹きの休日、サックスの追憶、トロンボーンはサン=サーンス。
顧問がそれぞれに合う選曲をしていった。
私にあてがわれたのは、ピアソラだった。
アストル・ピアソラ(Astor Piazzolla)作曲
Oblivion(忘却)
ソロは、Gのロングトーンから始まっていた。
今でも思い出すことがある。
ステージに出た時の拍手。
スポットライトの眩しさ。
指揮者からの視線。
背中で聴いた仲間のブレス。
物哀しいスローテンポのミロンガ。
アルゼンチンタンゴに乗せて、国境を越えたGの音を出す。
先輩や仲間に助けられた時間も、先生に怒られた日々も、辞めたいと親に見せた涙も、Gのロングトーンに全部詰まっていた。
忘れたくても、忘れられない。
だから私は、Gの音がすぐわかる。
救急車のサイレン。
目覚ましのアラーム。
誰かの家のインターホン。
Gが聴こえると、あの冬の日々を時々思い出す。
かじかんだ指の感触を。
お尻を冷やしたコンクリートを。
すぐに冷える金属の管を。
ひとり続けたロングトーンを。
雲ひとつない、真冬の空を。