ゲイがつらつらと書くブログ。

泣けないペペロンチーノ

友達とご飯に行ったり、誰かとデートを計画したとき、たまにこう聞かれる。
「好きな食べ物は?」
ラーメン、ハンバーグ、メロンパンと私の口は反射で答える。
しかしこれは違う気がする。

相手が聞きたいのは「一緒に何食べる?」ではないのか。

それに気づいた私は「子供舌なんだよね」と誤魔化す。
私はわかりやすい。
味がわかりやすい料理が好きだ。
パスタなら、ミートソース、カルボナーラ、そしてペペロンチーノ。
オレキエッテ・アッレ・チーメ・ディ・ラーパなどとよくわからない料理より、わかりやすいペペロンチーノなのだ。


「Podcastをやろうと思うんだよね」
一年ほど前にゲイの友人に声をかけられ、二つ返事でOKした私は、友人宅で時々収録をしている。
初めは二人だったが、彼の女友達も加わり、時々三人で声を重ねる。

私以外の二人は頭の回転が早く、物事を論理立ててきちんと話せる。
それに引き換え、私はすぐに言葉が出てこない。
私にとって話すテーマは、オレキエッテ・アッレ・チーメ・ディ・ラーパだ。


「共感性が無いって言われたんだけどさ」
友人は切り出す。
「それって、多数派が思ってることに合わせることを共感と呼んでるだけで、少数派のことを理解しようとしてないその人のほうが、共感性が無いと思うんだよね」
少数派を自負する友人が言うと、もう一人の友人が即レスする。
「本当にそうだと思う」
聞いていた私は「あぁ〜」と情けない声が出た。

言っている意味はわかる。
そういう思考になっていないので、言葉が追いつかない。
ペペロンチーノみたいな話をしたいとは思うが、友人の話はカチョ・エ・ペペで、ストロッツァプレーティ・アル・ラグーなのだ。
友人たちからしたら、私の話はパスタとかバナナとか原材料レベルなのかもしれない。

しかし私は単純なもので。
難しい名前の料理でも、食べてみると美味しい。
パクパク食べながら美味しいね〜と言う私は、なんだか変な奴だと思われているかもしれないし、
それはそれで私の居場所なのだと思う。

 

友人たちが話しているのを聞きながら、私は考える。
彼らがツラいとき、悲しいとき、理解してあげられるだろうか。
隣で一緒に泣いたり、励ましたりできるだろうか。
友人は「そんなことより原因と解決策が欲しい」と言いそうだが、私は隣で泣きたいんだと思う。

私がペペロンチーノでいる限り、きっとそんな日は来ない。
人の気持ちは、ニンニクとオリーブオイルと鷹の爪だけではない。
泣きたい時に食べるものでもないのだ。


だけど私はこれからもきっと
ペペロンチーノであろうとするのだろう。

 

わかりやすい料理のほうが
色んな人に食べてもらえるからね。

 

 

 

     

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