中学では、理科を教えていた。
社会人採用枠の試験は、論文と面接だけだった。
本採用ではなく臨時採用だった。
臨時採用は本採用の配属が決まったあと、空いた枠に配属される。
そのため配属の決定が遅い。
そもそも決まる保証もない。
声がかかったのは、桜が咲く3月下旬だった。
知らない土地に面接に行き、すぐに決まった。
2年の理科を教えることになった。
「4月からの授業、よろしく頼むよ」
校長に言われてハッとする。
教師になったのだ。
嬉しいことだが、授業をしなければならない。
思い返してみれば、論文と面接の対策のみだ。
理科の科目に最後触れたのはいつだったか。
教科書をパラパラとめくり、顔が真っ青になる。
理科は、得意科目ではなかった。
教師は朝が早い。
定時は朝8時過ぎ。すぐに朝礼が始まる。
その前に授業準備、生徒の対応、見回りがある。
実質、朝の7時半には来ないと間に合わない。
通勤1時間なので家を出るのは6時半。
朝の支度を考えると、毎朝5時半に起きる。
教師は夜が遅い。
授業が終わるのが16時。
部活の指導が終わるのが18時。
保護者連絡、宿題チェック、採点、対応履歴記録、実験の時は洗い物、次の授業の準備。
職員室の黒板の上にある時計が、最終電車に間に合わないよと追い立ててくる。
帰っても寝るだけの生活が続いた。
休日は部活の指導に行き、溜まった洗濯をするだけ。
寝てるだけなのに、部屋は散らかっていた。
私の部屋の小人たちは、片付けるより散らかすほうが得意のようだった。
部屋のカーテンは、ずっと閉まったままだった。
そんな生活を続けていたある日。
カーテンレールが歪んでいることに気づいた。
理由は明白だった。
仕事場では同じ服を着まわしていた。
干した服をいちいちクローゼットに仕舞うのも煩わしかった私は、すぐ着れるようカーテンレールに服をかけていた。
曲がった金属のレールの隙間から、夜の闇が顔を出す。
誰にも脅かされないと思っていた、この部屋。
何かに侵入されているような気がした。
部屋のカーテンレールはアルミ製だった。
細長い金属は、弾性の性質を持ち、少し曲げる程度だと元に戻ろうとする。
しかし弾性の範囲を超えると、延性の性質をもち、金属の内部構造が崩れて元に戻らなくなる。
授業で、私が教えていることだった。
元に戻らないという事実を、教科書が突き付ける。
高校だったら、可塑変形と言っていただろう。
こういう時、
戻らないとわかった時、
私はよく諦める。
元に戻らないことって、あるもんな。
戻らないなら、仕方ないよな。
変形した事実を受け入れ、自分を馴染ませていく。
まだ使えるじゃん。
そう言い聞かせて。
壊れたものを壊れたまま、使い続けていく。
他人に変わってほしいなんて言うくらいなら
自分が変われば丸くおさまる。
そう、言い聞かせてきた。
自分が壊してしまったものは
最後までそばにいる。
それが、良いことだと思っていた。
それが、責任をとることだと思っていた。
そうしていくうちに、私は歪んでしまったのだ。
まっすぐだと思っていても、知らないうちに歪んでしまう。
小さな違和感が少しずつ重なって、いつかそれが元に戻らないところまで進んでしまうことを、私は知っていたはずなのだ。
知らないふりをして、何人の可塑性を見てきたのだろう。
おそらくもう二度と会わない人の顔を思い浮かべる。
その後、新しい部屋に引っ越しをすることにした。
私が部屋を決めた条件は3つ。
駅から5分以内であること。
風呂とトイレが別で、でも近いこと。
最後は、
カーテンレールが歪まないこと。