ゲイがつらつらと書くブログ。

お揃いのピンマイク

「僕が見ている世界の話をしようと思う」
リアリストの友人がスピな感じで切り出した。
私はお菓子をもぐもぐしながら次の言葉を待つ。
「誰かの話を聴いたりすると、頭の中で映像で再現するんだよ」
もう一人の友人も黙ってコーヒーを飲む。

その友人は凝り性で、ピンマイクを買った。
組み合わせは私と友人か、友人同士の二人が多い。
今日は三人でテーブルを囲んでいた。それぞれ襟元にマイクをつけている。
カチャ、とカップを置く音すら拾われる。

「僕は、皆そうだと思ってた」
聞いた話が、頭の中で質量をもった映像で再現されるらしい。
夜の営みの話を聞いたらとんでもないのでは、と下世話なことを考えたが、友人の頭の中でとんでもない映像が造られては大変なので、喉の奥で止めた。

「視覚思考と言語思考って言うんだって」
映像化する友人はそれに名前があると言った。
「二人はどっちなのか聞いてみたい」


どっちなんだろうか。


うんうん唸っている隣で、もう一人の友人は言う。
「私は圧倒的言語優位」
シゴデキキャリアウーマンの回答はスマートである。
「ただ、言語で整理じゃなくて、頭の中でダイヤグラムを作って整理しながら話を聞いてる」


私は言語思考ではなさそうだった。


「頭の中で映像化して意見を言うから、僕は食レポっていうか、映画の感想みたいな感覚で話すんだ」
おそらく今も食レポしながら友人は言う。
美味しいものを食べた時は料理の手順も浮かぶのだろうか。
お茶を飲んで考えようと飲み干したら喉が鳴った。
マイクに拾われている。

「視覚寄りな気がする」
二人の話を聞いた私は言葉を探す。
ぽんぽんイメージが浮かんで、それを話しているような感覚。
「話を聞いてるとそんな気がする」
バリキャリが即座に見抜く。
やはり言語ではなさそうだった。

「空間把握は人よりあるけど、イメージするだけなのになんで皆できないの?って思ってた」
私はよくドアに足の小指をぶつけては、ひとり部屋で悶えている。
視覚ではないのだろうか。

「絵描きのお友達は視覚優位みたいで、アニメの映画に出てくる主人公の思考イメージが、考えてることそっくりって言ってたのよ」
その発想と感性はない。言語だろうか。

「世の中は言語よりで、視覚向けに作られてなくて、論理立ててパパッと発言する人が生きやすくなってるよね」
お前が何を言ってるのか全然わからん、とよく怒鳴られていたことを思い出して、またお茶を一口飲んだ。


「中間くらいなのかも」


そうなのかもね、と言語娘は即レスする。
私はもう一度スタートに戻ることにした。
誰かから何かの話を聞くとき、頭の中は——

映像が出る。
けれど友人の映像とは違う。

「頭の中で映像化するって言ってたじゃん」
うん、と食レポ名人は頷く。
「誰かから何かを経験した話を聞いた時って、どんな視点で視えてるの?」
うーん、と名人は食レポを始める。
「神の視点というか、俯瞰というか、マップみたいなのが作り出されて、定点カメラみたいな感じかな」


あぁ。


「あなたはどうなの?」
言語は私のほうを向いた。

私は——


「話者の視点の映像になる」

「そして、話者の感情に同調する」

「複数人が登場したらスイッチしながら同調する」


人にあまり共感しないと自称する二人が、それは自分たちには無いねと面白がる。


思い返せば。人と話しているとき、内容よりも、その人がどんな気持ちで話しているかを、考えることのほうが多い。
怒らせないためには。
傷つかないためには。

今も、私は二人を視ている。
私はクッキーを齧り、二人はコーヒーを飲む。


頭の中には、違う世界があった。

襟に付けているマイクだけが、同じだった。

 

 

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