ゲイがつらつらと書くブログ。

友人と海

私は友人とドライブをしていた。

前方には夜の環状線、右手にはハンバーガー、左手にはポテトである。

 

久しぶりにカラオケに行きたいと思っていた私は、友人を誘って行くことにした。都心部のカラオケは人が沢山居そうだから、と避けたものの、少し外れた店舗は軒並休業中であった。そんな中でローカルのカラオケ屋は営業していたので、昼食後に3時間ほど歌いたい歌を歌った。久々に長時間歌ったせいか喉が少し痛くなった。

歌い終えた私たちは、次にどうするか決めていなかった。私は寄り道ができない。目的が無いと家から出ない私は、カラオケを終えたら何時であろうと帰るつもりだった。友人はこの日は私とのカラオケしか予定が無かったらしく、空いた時間に何かしようと考えているらしかった。

「海に行かない?ドライブで」

友人の提案に私の表情は一瞬曇った。何を言っているのだこの男は。夏に海と言ったら一大イベントではないのか。水着もサンダルも日焼け止めも何も持っていないし、私にとって海は「よし、行くぞ!」と気合を入れて行くべき場所だったので、そんな気軽に行けるようなスポットではないのだ。フットワークの軽い男はこれだから、と思ったが、この夏は毎日アイスを食べること以外何も夏らしいことをしていなかったので、折角だからとその提案に乗ることにした。

友人は車持ちではないが、カーシェアで時々ドライブに行くらしい。夕方からのほうが安くなる料金体系ということだったので、日が落ちるまで友人の家で過ごすことにした。写真が趣味である友人のお気に入りの写真集を見たり、猫と遊んだり、ベランダに設置されたハンモックでうとうとしたりしていると、気付けばドライブの時間になっていた。私と友人は、夜の海へ向かって走り出したのである。

途中でマックのドライブスルーに寄り、夜マックを頬張りながら夜の道を走る。テイクアウトの紙袋とポテトの香りがふんわり混ざり、脳を刺激する。いつになってもマックの匂いは青春を思い出す。高校時代、部活帰りにワクワクしながら寄り道して買った匂いと同じであった。これも青春の1ページになるのかなと思いながら、私はポテトを口に入れた。昔は勿体なくて1本ずつしか食べなかったが、今は数本まとめて口に入れている。私は大人になったのだなとポテトの本数で実感する。

 

ドライブをしながらお互いのことを色々と話した。

家族のこと、最近の趣味のこと、出会った人のこと。私は相変わらず恋愛の話をしていた。友人が悩まないようなことで私は悩む。友人がバッサリ切り捨てるようなところでも、相手がどう思うのかを私は気にしてウジウジする。私がどうしたいかハッキリしていないが故の悩みである。

友人は恋愛になると相手に対して減点方式をとってしまうらしい。

「何か気になったことがあるとどんどん減点されていって気持ちが冷めていくんだ」

これを言うと友達には引かれたりするんだけどね、と前置きして友人は言った。

「例えば一緒に食事をしたりどこかに行った時に、相手が気を遣って何かをしてくれたりするときって、優しいなと思うじゃん?」

まあ確かにちょっとした気遣いとか、気を配れるのって良いよね、と私は返した。

「でもそれって、出来て当たり前だと僕は思うのよ」

 そう来たか。

「出来て当たり前だと思ってるから逆に、そういう気遣いが出来ないと、出来ない人なんだなって思ってしまうわけ」

確かに友人は気を遣える。ちょっとしたことで優しい言葉をかけてくれたり、細かいことを気にしてくれたり、空気を読んだり物事を最適化するために気を遣う。それは私からすると気遣いが出来る人になるのだが、友人にとっては当たり前のことなのだ。自分にとって当たり前であることが出来なかったら、たしかに減点にはなってしまうのかもしれないな、と私は腕を組みながら話を聞いていた。以前に恋人と同棲していた時に、自分が気遣っていることを相手が全くしていなかった時、私はイライラした。それは部屋の使い方だったり、洗濯物の扱いだったり、寝る時のマナーだったり。ただそれをカバーできるだけの気持ちがあったから、一緒に居られた。加点されることはあまり無いと友人は言ったが、友人よりもスマートに気遣いが出来る人ならばそういうこともあるのかもしれない。

そんな話を聞きながら、よくもまあずぼらな私とドライブに行けるもんだなと思った。「自分の場合ものすごく減点されてそうなんだけど」と言った私に「お前は対象外だから」と言われた。特別扱いとかではなく、私は恋愛の対象でもなく興味の対象ではないのだろう。加点も減点もされない、学校の科目で言えば成績表に無い道徳みたいなものなのかもしれない。

 

2時間ほどかけて私たちは夜の海に到着した。海の上には綺麗な月があった。遠くで若者が数人で花火をしていた。聞こえるのは波の音と、時折聞こえる打ち上げ花火の音。スニーカーの私は砂に足を取られながら波打ち際へ向かった。写真が趣味の友人は「ここは良いスポットだ」と言いながら写真を撮っていた。

そんなこんなで友人は裸になり海に入っていた。友人の趣味の写真は風景もあるが、裸体の撮影も最近は増えている。面白がって私が海の中の裸の友人を撮影していると、友人は自身のスマホを私に渡し、構図を指定して写真を撮るように言った。私には写真のセンスはまるで無い。ピントも露光も構図も何も知らない私は何故か友人の裸を撮影することになった。場所を変え、構図を変え、ポーズを変え、写真を撮った。やはり上手く撮れない。美術の成績は良かった私であったが、構図は苦手だった。ポスターを描いてもごちゃごちゃした構図になる。空白を埋めたくなるのだ。空白とか、余韻とか、必要な無駄な部分を作ることが出来ない。漫画を描くにしても4コマくらいが関の山なのである。きっと自分の気持ちもそうなのだろう。何かで埋まっていないと落ち着かない。ぽっかり空いた穴は塞がないと気が済まない。いつだったか友人に言われたことがある。「恋人と別れてもまたすぐに恋愛するんじゃない?」たしかに私はそうなのだ。もう恋なんてしないなんて思いながら、間を置かず次の恋愛をしてしまう。恋愛で空いた穴を恋愛で埋めようとする、私の良くない癖である。

「お前も撮ってあげようか?」と友人に言われたが、やめとく、と答えた。別に友人に裸を見られることに抵抗は無いが、写真に残しておくほど良い身体では無かったし、髪も何もしてないし、今の自分に自信が無かったからだ。もう少し絞れたらお願いしようかと思うが、ここ何年も絞れていないのでいつになるかは未定である。

 

ひとしきり撮影し、海の周辺の撮影スポットを回ったあと、帰ることにした。友人は朝まで居れる、と言っていたが朝まで私の体力が持つ可能性はゼロだった。しかし夏に海に行ったのはいつぶりだろうか。友人が言い出さなかったらあと何年かは行く予定が無かったかもしれない。

私は友人にありがとうと言い車を降りた。部屋に着いて靴下を脱ぎ、海の砂がぽろぽろとこぼれるのを見ながら、今年は夏っぽいことが出来たな、と私は満足感に浸るのだった。

 

 

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