一度だけ抱きしめて

友人と出会って1、2年経った頃だろうか。
は友人に旅行に誘われた。

「来月、俺の誕生日なんだけど
 一緒に旅行に行かない?」

行き先は某避暑地。
1泊2日のお泊り旅行だった。

「でもさ、誕生日なんだから
 私じゃなくて彼氏と行ったほうが
 良いんじゃないの?」

「そこなんだが」

友人には当時彼氏がいた。
しかし遠距離恋愛であったので
も会ったことがなく、
どんな人物なのかもよく知らなかった。

「最近上手くいってなくてさ
 しばらく連絡もとってない」

元々は彼氏と2人で行く予定だったらしく
旅行の計画を1人で立てていたのだが、
関係が微妙なので一緒に行くのを
やめて他の人を誘うことにしたらしい。

「誕生日だし、それまでに仲直りして
 彼氏と行けそうだったら行ってね」
ということを付け加えてOKした。

 

旅行の1週間程前くらいだったか。

「彼氏と別れた」

と友人から連絡があり、
旅行の相手は私となることが確定した。

私の予定では、友人と彼氏が仲直りし
土産を貰うとともに
面白い話でも聞くはずだったのだが。

別れてしまったものは仕方がない。

 

旅行当日。

移動のためにレンタカーを借りた。
私はペーパードライバーなので
友人が運転をする。

なんだこれは。

まるでデートじゃないか。

私が焼いてきたCDをBGMにしながら
助手席で窓の外を眺めていた。

 

 

夕飯を食べて泊まる所に辿り着いた。
静かな林の中にある
ペンションのようなところだった。

随分洒落たところだなと思いつつ
ここは自分が来るべき所なのか
そんなことを思った。

それは今日車に乗った時からずっと
私の頭の片隅でグルグルしていた。

 

本当に自分が来て良かったのか。

 

もっと他に良い人がいるんじゃないか。

 

誰でも良かったのか。

 

余計なことを考えてしまうのは
私の悪い癖だ。
もちろん楽しかったし
食べたご飯も美味しかった。

友人も、楽しんでいるように見えた。

 

 

夜がきた。

それぞれシャワーを浴びた私達は
ツインベッドに各々横になった。

部屋の電気を消すと、
月と外灯の光とカーテンで
部屋の中が薄い青に染まった。

 

目を閉じると風の音と虫の声。
静かな夜だった。

 

「寝れそう?」

 

隣のベッドから友人の声がした。
友人はすぐには寝付けないようだった。

「まだ、寝れないと思う」

本当はちょっと眠かったけど
友人は何かを話したいようだったので
そう返事をした。

 

 

 

「さみしい」

 

 

 

そうか。
そうだよね。

 

「こっちに来て」

 

「うん」

 

私が友人のベッドに潜ると
友人は私の胸に顔をうずめた。

なんて言えばいいのかわからなくて
ただ黙って、肩に手を回した。

 

 

友人のことを抱きしめたのは
彼が私に弱みを見せた
あの夏の夜だけである。

 

 

 

走光性

友人との出逢いはTwitterだった。

当時はまだ今ほど始めている人が少なく
私も手探りで呟きながら
良い出会いが無いかと探しながら
なんとなく使っていただけだった。

 

学校とかで休み時間になると
自然と人が集まるタイプっているけど
人が増えてある程度の数になると
現実でもインターネット上でも
カリスマというかアイドルというか
キラキラした人が出てくる。

それはTwitterでも同じで。
まだツイドルなんて言葉が生まれる前。
脱ぎ垢や裏垢という概念が存在しない頃。

面白いことを言う人達のことを
ネタクラスタなどと呼び始めていた頃。
みんな同じ時期に始めたはずなのに
ぼちぼち注目される人が出始めていた。

 

彼は、少なくとも私にとっては
とても輝いた存在だったように見えた。
アイコンの写真も良いし
言葉の使い方がとても上手い。

 

頭の良い人だ。

仲良くなりたい。

 

けど、わかっていた。

休み時間にボールを持って
校庭に駆けてく男子を尻目に
教室で女子と一緒に絵を描いていた私は
彼とは住む世界も乗る土俵も違う。

 

自分はなれないとわかっていたけど
嫉妬なのか、羨望なのか、憧憬なのか
そんな人たちと仲良くなりたいし
あわよくば自分もそうなりたいと
ずっと思っていた。

だから、近づきたくて。

 

この人と繋がるにはどうすればいい?
どんな人と繋がってる?
自分が繋がりたい人はどういう人だ?
この人のTLには何が見える?

 

友人に限らない話だが、
繋がりたいと思った人がいたとき
私は次の手段をとっていた。

 

①対象が好きそうな(面白そうな)アカウントを目指す。
②親しそうな人と繋がって外堀を固める。
③RTで対象の目に触れる機会を与える。
④気に入ったものにふぁぼする。
⑤自分のツイートがふぁぼされる。
⑥少し時間を置いてフォローする。
⑦フォローされる。

 

今、思い返してみると
我ながら本当に気持ち悪いと思う。

 

飛んで火に入る夏の虫、という。
キラキラしたものに直進すれば
光で死んでしまう闇属性の私は
何かの光を反射しながら
光っていると勘違いさせながら
光に近づいていくしかないのである。

今はこんなこと考えてないし
若かったからそんなエネルギーがあったと
そういうことにしておこう。

 

少なくとも友人は、良いと思った人しか
フォローしないタイプの人だったし
これは勘だけど、
一度フォローされる機会を逃すと
二度としてもらえないような気がした。

 

 

夏休みの読書感想文よりも、
入試の小論文よりも、卒論よりも
こんなにも考えて言葉を綴ったのは
初めてなんじゃないかってくらい考えた。

失敗も沢山したし、トラブルもあったけど
今自分が紡いでいる言葉の土台には
この時の経験が大きくあるんじゃないか
と思う。

 

 

有難いことに、
見て楽しんでくれる人もいて
どうにかこうにか1~2ヶ月くらいで
今の友人とTwitterで繋がることができた。

 

繋がったあとは何気ない会話から始まり
ある日、

 

ご飯に行きましょう、

 

と。

 

 

少しだけ、キラキラになれた気がした。

 

 

 

真夜中のサイクリング

SNSで炎上する案件が増えている。
TwitterSNSではないという話があるが
ここでは十把一絡げにしてSNSとしよう。

 

炎上について様々な意見があるが
は「奥ゆかしさの消失」だと思う。

ダイバーシティが叫ばれ
同性パートナーシップが登場し
LGBTうんたらな話が賑わう昨今で
時代錯誤だと言われるかもしれないが
私が伝えたいのはそういうことではない。

 

"I love you"を"月が綺麗ですね"と言ったり
"私と結婚してください"を
"君の作る味噌汁を毎朝飲みたい"と言ったり
はたまた "真冬の寒い深夜頃"を
"電気ストーブの低いノイズと
   君の寝息がとける頃"と言ったり
なんていうか、私はそういうのが好きだ。

ここ何年かSNSをやっていて感じるのは
何かを伝えるときには直接表現しないと
まるで伝わらないことが多すぎる。

ラブソングを聴いていても
「好き」とか「愛してる」とか
直接表現するのが多くなっていると思う。

別にそれが悪いということではない。
そういう時代なのだと思う。

奥ゆかしさの「欠如」ではなく
「消失」としたのはそのためである。

 

友人は私生活をTwitterには書かない。
書くとしても日々見つけた小ネタか、
誰に何を言いたいのかよくわからない
謎の呪文のようなフレーズか
猫の写真である。

私は私生活の話を書いたりしているが
喜怒哀楽の表現はあまり使わないせいか
「普段何をしているのか
 何を考えているのかよくわからない」
と言われることがある。

 

考えていることは書いていないので
わからないのは当たり前である。

 

強いて言うならこのブログについては
多少感情を交えて書いてはいるが
言いたいことは書いていなかったりする。 

 

少なくともこのブログを通して
自分のことを知って貰おうとか
誰かと出会いたいという趣旨は無い。
勿論、良いきっかけとなって
出会うことがあるかもしれないけれど
それは本来の私の目的ではない。

長くなるのでブログを始めた理由は
別の話にしようと思う。
そのうち書く。たぶん。

 

 

同調圧力が苦手である。

お泊り会をした時に一人が突然
「好きな人の話」を始める。
始めた人から順に恋愛の話をし
話したくない話題なのに
無理やり話さなきゃいけないやつ。
そういうのが苦手である。

とはいえ話さないのも興ざめするし
適当な話が一人歩きされても困る。
結局「そんな人いない」とか
そう答えて終わってしまい、
「あいつはつまらない人間だ」
などと言われたりする。

SNSではいつからか
自分のことを話すことが当たり前になり
誰かと2人でどこかに行った話を
一人が書いてもう一人が書いていないと
「何か書けない理由があるの」
と思われたりすることがある。

 

別に書けない理由はないけど
書く理由もない。

 

ただそれだけである。

自分が当たり前と思っている感覚を
知らないうちに押し付けないよう
気をつけたいと思う。

万人に伝えるべきことかどうか
そんなことは自分で決めることだ。
個人の感情や考えなら、なおさら。

 

その辺の私と友人の感覚は
近いところにあるので、楽である。

 

 

ある夜、自宅でエロ動画を漁っていると
友人から連絡があった。

"いま彼氏と一緒にサイクリングしてて
 ○○駅(私の最寄駅)にきた"

友人の彼氏には会ったことがなく
今度紹介してよ~と何度も言っていた。
「タイミングを図っている」と言われ
全然紹介されていなかったのだが
ついにその時がきたのだ。

"サイクリングデートいいね!
 どこいるの?そっちいくよ"

そう返事をして、
せめて変な友人と思われないように
何を着るか服を選んでいたのだが、
その後返信が途絶えた。

 

事故ったのだろうか。

心配していたら30分後に返信があった。

 

"すでに通り過ぎて別の場所にいる"

 

なんだこれは。

 

私に紹介する訳では無かったのか。

 

家を出る気満々だった私は落胆したが
友人は私に何を言いたかったのだろう。

 

 

ああ。

 

ノロケか。

 

友人は私に
「いま彼氏といるぜヘイヘーイ」
ということ伝えたかったのである。
もしくは
「最寄駅に来たからなんとなく連絡した」
ということであろう。

 

どちらにせよ、嬉しい事である。

ノロケることをあまりしない友人が
私にデートを報告してきたのも、
会う訳でも無いのに連絡してきたのも。
他の人にはしないことだろうなと思うと
友人冥利に尽きるのである。

 

私もサイクリングデートに行きたいと思い
家の外に置いてある自転車を見た。

籠付の錆ついたママチャリでは
デートの相手に申し訳ないと思ったが
おそらくママチャリも望んでいるまい。

夜の風は、歩いても感じられるのだ。

 

 

知らないままのほうがいい

私は以前、友人との話をマンガにして
Twitterに載せていたことがあった。

絵は時々描いていたが久しぶりで
しかもマンガを描きだしたので
文字列での私しか知らない人には
ビックリした事案かもしれない。

3月で仕事を退職し
転職活動をしていたのだが
日中朝から晩まで転職活動はできず
どうしても時間を持て余してしまう。
私の性格上ダラダラ過ごしてしまうので
いつか買おうと思っていて買えなかった
ペンタブとお絵描きソフトを購入し
腐る前に趣味に没頭することにしたのだ。

「エッセイストになったの?」
と知人から言われたが
エロやギャグを描く力が無いので
淡々と友人との話を描いていただけだ。

 

マンガを20個ほど描いたところで
私と友人の話は一旦締めたのだが
一番最後の話はなんとなく、
どうとでもとれる話にしてしまった。

友人
「性格も趣味も考え方も違うのに
 俺達どうして友達で居れるんだろうな」
と言ったことに対して、
「さぁ…なんでだろうね」と答え
「わからなくてもいいんじゃないかな
 知らないほうがいいことかもしれない

と、一人で想い耽るシーンで終幕。
曖昧な空気を残したまま終わった。

それに対して観て頂いた方から
「これ、友人のことが好きなパターン」
「悲しい結末だ」
という感想を頂いたのである。

というか、そういうミスリードは狙ったし
真実は読者の想像にお任せします
といった幅をもたせるみたいな
そういうことを、してみたかったのだ。

 

「あの話は、あなたのことが好きだとか
 そういう話じゃないからね」
私は念のため友人に言った。

「大丈夫だよ」と友人は答えた。

何が大丈夫なのかモヤモヤしたが
彼が大丈夫だと言うのなら
おそらく大丈夫なのであろう。

 

友達とはなんなのか。

私が友達と思っている多くの人は
共通の趣味の数や価値観の一致である。
一緒に楽しめるものが多ければ多いほど
価値観が同じものが多ければ多いほど
お互い理解しやすいし楽しいものである。

しかし私と友人に関しては
そういったところはあまり多くはない。

 

「知らないほうがいい」と表現をしたが、
わかっているけど教えないのではなく
私自身もわからないのである。

 

友達をランク付けするつもりは無いが
共通の何かが多かったり
他の人よりも特に優しくしてくれたり
共感できることがとても多かったり
めっちゃタイプだったり、と
複数の人がそこに存在してしまう限りは
多少なりとも比較してしまうものである。

それによって
「AよりBのほうが仲が良い」
「CよりDのほうが一緒にいて楽しい」
のような順位が自然とできてしまう。

 

そして時に、例外の人物が現れる。

私にとって友人はそういう存在だし
友人にとっても私はそういう存在らしい。

性格も趣味も好みも価値観も違うけれど
干渉もせず喧嘩をすることもない。

だけど困った時には助けたいと思うし
実際、力になってくれている。

 

他の友達と比較するにしても
なんだか別の所にいるような存在なのだ。

なぜ今のような関係になれているのか
全くもってわからない。

 

でもそれで良いのである。

 

理由や条件がわかってしまったら、
より条件の良い人がいたら
その人が素敵な友達になってしまうので

私達は特別な存在ではなくなってしまう。

そして友達の条件に1つカテゴリが加えられ
数多くの友達の中に納まってしまうのだ。

 

だから私は知りたくもないし
知らないままのほうがいい、と思う。

私と友人が、私と友人であるために。

 

 

シュレディンガーのバリネコ

私はイケメンではない。

以前、元彼に私の容姿レベルを聞いた際
「程よく手を出し易いブス」と揶揄され
それはそれで腹が立つ表現ではあるが
つまり客観的にもイケメンではない。

そんな私は恋愛を確率論で考える。
あの人と知り合える確率はこれくらい。
セックスができる確率はこれくらい。
付き合える確率はこれくらい。

その確率とフられたときのダメージを
天秤にかけて動くのである。

 

イケメンはサイコロを振らない。

容姿が評価され得をする世界では
私の用いる天秤など使わなくとも
大抵の男は手に入れられるのである。

好意をもたれることが多い分
自分への接し方がどうあるかで
好意の有無を判断できる余裕もあり
それがしばしば魅力に輪をかける。

 

蓼食う虫も好き好きとは言うが、
自分を良いと思ってくれる人って
どういう人なのか、
そしてどこが良いのか
いつしか不安になってしまうのだ。

自己顕示欲や承認欲求は
そんな不安から生まれるのではないか。
自分への興味があるのかどうか
そんな人がいるのかどうか確認し
更にふるいにかけて確率を上げるのだ。

と私は思っている。
やり方は人それぞれだと思うけど。

 

 

私は友人と天ぷら蕎麦を食べていた。

友人との話をマンガにしたところ
なんとなく反響があったと話したら
友人も悪い気はしないとのことだった。

「描いて欲しい話がある」

友人がに何か要求することは
あまり無いことだったので
「どんな話?」と訊いた。

「アレだよ。質問箱。よく見るじゃん」

「よく見るね」

「アレさ、どうにも理解ができない。
 匿名の質問を受けて答えることに
 何の意味があるのかわからないし
 アレをしてる人ってなんか幻滅する」

 

自分は他人にどう思われているか
そんなことは気にしない友人にとって
質問箱のシステム自体も
利用する人の理由も
おそらく共感できないものなのだろう。

そして、共感できないそのシステムを
何度も何度も多用している人に
嫌気がさしたのではないか。

「そのことについてマンガにして
 皆がどう思っているか確かめたいんだ」

成程、成程。
やりたいことはわかった。

でも私がマンガでやりたいことは
そういうことではないのだ。
誰かに疑問を投げかけたり
意見を訊く為に描いたのではない。

 

あれは日記だ。

 

私と友人のエピソードを
つらつらと日記にしただけなのだ。
大切な写真を集めて
アルバムにしたようなもの。

「だから申し訳ないけど
 マンガには出来ないよ」

友人は残念そうだったが
今回こうやってブログにしたので
良しということにしてもらおう。

 

 

ホームページ全盛期時代には
100の質問」というものがあった。

知らない人のために説明すると
100個の質問のテンプレートを使い
答えてプロフに貼り付け、
自分のことを知ってもらうものである。

私はこういう性格です。
こういうことに興味があります。
こんなことを考えています。
そんな情報を質問の答に散りばめ
自分に合う人に見つけてもらうのだ。

SNSのプロフィール欄に
好きなものを羅列して書いているのと
同じようなものである。

おそらく質問箱は、現代の100の質問

その質問が予めわかっているか
誰から何が来るかわからないかの違い。

 

質問箱は、猫を入れた箱だ。

ただ、箱の中の猫が生きてるかどうか
そんなことは問題ではない。

 

生きているのか、死んでいるのか。

大切なのは、
自分がそれを考えてもらえるような
猫であるかどうかなのだ。

観る人が観れば
生きているかもしれないし
死んでいるかもしれないし
どちらでもないかもしれない。

 

だけどその箱は猫にとっては
誰かが自分に興味をもってくれると
信じてやまない希望の箱なのだ。

 

 

セクショナリズムとアンチテーゼ

とても良い天気である。

GWに山登りをするために
友人は電車に乗っていた。

 

久しぶりの非日常な世界に
私は幾分興奮していた。
行く前は腰が重いけれど
いざ行くとなんだかんだ楽しめる。

Twitterとか見てるとさ
 色んな人がドコ行ったココ行ったって
 やっぱりなんだか羨ましいんだよね」

殆ど旅行に行かない私は本音を漏らす。
行けばいいと思われるかもしれないが
行く友達も行きたい場所も思いつかない。

友人は「そうだよね」と言った後、
「たしかに、何人かで旅行って
 楽しそうだし、いいよね」
と続けたが、私は疑問を感じていた。

「そういえば、よく旅行とか行くけど
 大抵1人か2人で行ってるよね?」

そうなのだ。
友人は私と違ってよく旅行に行く。
1人で行ったり、彼氏と2人で行ったり。
何人かで行った話を聞いたことがない。

「思ったんだけどさ」

友人はポツリポツリと話し始めた。

 

「何人かで行く旅行とかってさ
 基本的に仲の良い友達と行くじゃん。
 例えばそこにあまり知らない人がいたら
 気も遣うし楽しめないこともあるよね」

「すごく、わかる」

花見とか、飲み会とか、
全員が友達なら良いのだけれど
知らない人が1人混じっているだけで
なんだか自分の居場所が
不安定でフラフラしているような感覚。

半分以上知らない人だった場合は
もはや合コンだよねコレは、と思う。

「なんか、ある程度仲良くなると
 仲良しグループみたいなのが
 できたりするじゃん」

「できるね」

「それで、そういうグループって
 他を寄せ付けない感じの空気になって
 独自の色に染まっていくんだよ」

「それ、なんとなくわかる。
 すごい楽しそうだなと思うし
 この人たちと一緒に楽しみたいなとか
 思うこともあるんだけど、
 絶対入れないし入れさせないよって
 圧力みたいなものを感じたりもする」

「入れさせないとかは
 無いと思うんだけどね」

私の表現が下手だったせいか
友人は笑った。

 

「でさ、俺はそういう風に
 染まりたくないなって思うわけ」

 

私と友人は、人間性は大きく違うけれど
どちらも一匹狼である。

私はそもそも友達自体が少ないし
ここ何年か仕事が多忙で誘いを断ってたら
いつしか声がかからなくなってしまった。

20代でよくつるんでいた友達は
それぞれ別の道を歩んでいる。
ここ最近そのうちの1人と偶然再会したが
それはまた別の話。

 

かくいう友人には友達はちらほらいて
自宅で何人か集めてゲームしたりしている。

「けどほら、家に集まって
 なんか遊んだりしてなかったっけ?」
私は疑問を口にした。
結局はグループに所属してない?

「あれは同じ趣味の人が集まって
 ただゲームをしているだけであって
 一緒に旅行に行くとか
 他の場面で会うことはない」

「そうなんだ」

「それにさ」

「うん」

 

「やっぱり一人は寂しいから
 染まりたくはないけど
 どこかのグループには居たいっていう
 そういう気持ちもあるんだ」

 

「そうなの?」
友人は1人で生きていけるだろうと
勝手に思っていたので少し驚いた。

集団に対しての帰属意識
持ちあわせているけれども
強い同族意識には賛成できないのは
共感できるところはある。

私は染まるのも悪くないと思っているし
どこかに所属できたらいいなと思う。
染めてくれる人達がいるなら
何色でもいいからお願いします
と、ここで主張したい。

もう30代も半ばの私にとっては
1人で新しいグループを作り
一から染め上げるのは相当疲れるし
染めるのは白髪だけで充分である。

 

「だけど俺には難しい」
友人は、かぶりを振った。

「そうかな?
 入ろうと思えば入れるんじゃない?」

「たぶんね。
 でも入ったあとが大変だから」

「大変なんだ?
 恋愛沙汰でトラブルとか?」

「そういうのもあるかもしれないけど
 そういうグループに所属するとさ
 色々な付き合いが発生するわけ。
 毎週のように会って飲んだりして
 やれ誰々の誕生日だ、お祝いだ、
 花見だプールだクリスマスだ、って」

「うん」

「そんなに沢山付き合いきれないし
 行かなかったら行かなかったで
 後ろ指をさす人も必ず出てきて
 ギクシャクしたりするんだよ」

まして自分の性格だから
相性の悪い人と必ず喧嘩になる
と友人は言った。

「難しいところだね」

 

得てしてそういうグループというのは
プライベートについて共有をする。

友人は自身のことについて話すのは
あまり好まないので、
隠し事ナシだよ、みたいなノリが
見えた瞬間グループを脱退しそうである。

「かといってどこかのグループに
 時々入ってしまうこともできるけど
 いざ入っても居るだけになる」

「たしかにね。
 自分が知らない話題で盛り上がられたら
 なんだか寂しいし、かといって
 自分がいるせいで話題を選ばれるのも
 なんだか申し訳ない気持ちになるなぁ」

「結局さ、自分が無駄だと思ってる
 飲み会だったり付き合いだったり
 そういうのって
 グループに居続けるための
 必要経費なんだな、と思ったんだよ」

 

 

必要経費。

 

 

なんだかその言葉に妙にリアルさを感じて
背筋がゾゾゾっとした。

 

お酒が好きで集まって飲む人達にとっては
それが目的なので経費とは思わないが
友人のように飲むのが好きでなければ
飲み会の集まりは不要な出費でしかない。

 

なんだか職場の飲み会に似ている。

私はお酒があまり飲めないので
職場の飲み会は完全に付き合いである。

お酒を楽しむこともないし
腹を割って話すこともない。
恋愛とか結婚の話は振らないで欲しいし
まぁタイミングがあればぁ~
とか、そんなことを適当に答える。

それに引き換え、友人ときたら
職場の飲み会にも一切行かないのである。

 

「俺は、したくないと思ったことは
 できるだけやりたくないし
 我慢とかもしたくないから
 やっぱり仲良しグループみたいなのは
 向いてないんだと思う」

「たしかに、向いてないかもね」

「でも、何かのグループには居たいから
 ゲーム以外では集まらない
 あのグループの中には入っているわけ」

「そういうことなんだね」

 

あ。

 

ひとつ思いついた。

 

「2人でグループを作ってみようか。
 そういう面倒な付き合いが無いやつ」

「提案としてはいいけど…」

「けど?」

 

 

「この2人に入れそうな人、誰か居る?」

 

 …

 

 

 ……

 

 

「…居ないね」

「そうだね」

私と友人は隣り合って笑った。

 

 

居ないけど。

 

 

居ないほうがいいかな。

 

 

もし居たとしたら
きっと今の2人の関係では
なくなってしまうような気がして。

 

 

 

NOと言える男

いくつになっても、怒られるのは嫌だ。

悪いことをしたときに注意され
あわよくば叱咤され、叱責され
嫌な気持ちになったことは
おそらく誰にでもあると思う。

そして怒られた時は
怒っている相手を嫌いになるのも
よくある話だと思う。

その結果、人の行動基準は
「怒られるか」「怒られないか」になり
優しい人の定義は
「怒るか」「怒らないか」になったりする。

 

友人は、好き嫌いがハッキリしている。

いや、好き嫌いと言うのは正確ではない。
彼の中での善悪が非常に明確なのである。

あれは良い。
これは悪い。

しかもなんとなく、とかではなく
1つ1つの判断に根拠をもっている。
そしてそれを相手にズバッと言える。

それが故か
優柔不断な姿勢は彼を苛立たせるし
うやむやな態度を良しとしない。

そんな自分のことをを苦手とする人も
少なくないと、友人は言う。

「俺は面倒くさい人だと思われるから」

悩みであるのかないのかわからないが
いつだったかそんなことを言っていた。

は優柔不断でフラフラしているので
そんな友人となぜ上手くやっていけるのか
それは未だに疑問である。

 


もう何年も前の話になるが
私には荒れていた時期があった。

 

当時付き合っていた彼氏に散々浮気され
その事実を知った私も憤慨し
それ相当の浮気を繰り返していた。

よくないことだということも
同じことをして自分の価値を下げるのも
浮気相手に失礼なことだということも
わかっていながら、行為をすることで
心の荒みを和らげていた。

 

友人とは暗黙の了解というか
お互いの性生活に興味が無いので
あまりそういった話をしないのだが
ある日心のバロメーターが臨界点に達し
友人の家でそのことを話した。

ボロボロの状態で私が説明すると
友人はこう言った。

 

「同じことをしているのなら
 相手のことを悪くは言えないね。
 お互い様じゃん」

 

正論である。

 

心のどこかで、友人ならば
味方になってくれると思っていた私は
救われるどころか
突き落とされた気持ちにすらなった。

他の友人に話した時は

「それは辛いね」
「大変だったね」
「別れちゃえばいいのに」

と言われることが殆どだったので
友人のその一言は衝撃的で
まさに痛恨の一撃として
私に大ダメージを与えた。
ベホマを期待していたら
ザキを唱えられた気分である。

 

「でもさ」
友人は続けた。

 

「彼氏のこと、好きなの?」

 

「別れたくは、ないの?」

 

私は膝を抱えながら
「うん」というのが精一杯だった。

 

そう。
好きなのだ。
別れたくはないのだ。

そして他の誰かには
どうすることもできないし
最後は自分で決めるしかないのだ。

 

「そしたらさ」

友人は、私のために
言葉を選びながら言った。

 

「もうこれ以上無いくらい傷ついて
 本当に本当に嫌になって

 別れたくなるのを待つしかないね」

 

うん。

 

そうだね。

 

結局はそうなのかもしれない。

どんなに他の人に何か言われようとも
好きなものは仕方がないし
別れたくないものはどうしようもない。

それでいて私は
結構頑固な部分を持ち合わせているので
私の気持ちが変わらない限りは
今の関係が変わることはないのだ。

 

おそらく友人は
それを私に気づかせようとしているし
この件に関して友人に出来ることは
それ以上何も無い、という意味も含んでいた。

他の友人たちの優しい言葉も勿論嬉しい。

ただ、友人は私に真実を吐きつけ
言うべきことを言うだけだった。
それが私の為だと友人は思ったのだろう。

私にそういうことを言ってくれるのは
友人くらいなものだし
私に必要な言葉を選んだのだと思う。

 

「ありがとう、もう帰るよ」
私は友人宅の玄関へ向かった。

「また辛くなったら、言えばいい」

友人の言葉を背に、扉を閉めた。

 

「また辛くなったら」とは言われたが
既に帰り道の足取りは重い。

苦しいものは、苦しいし。

辛いものは、辛いし。

「好きなものは、好きなんだなぁ…」

 

自分で何言ってんだろうなと思い
私の口からフフッと笑いがこぼれた。