他人の背中

の話。

 

「今度東京に行くんだけど
 よかったらご飯でも食べない?」

弟から連絡が来て衝撃が走った。

弟と二人でご飯を食べる。

それだけ聞けば大したことないと
思われるかもしれないが
私にとっては一大事だった。

なにせ弟とは普段全く連絡をとらず
二人だけでご飯など行った事が無い。

LINEの履歴を見てみると、
弟から最後に連絡が来たのは2年前。
しかもその内容は
「年賀状を送るから住所を教えて」
というものだった。

とはいえ、弟から誘ってくるなんて
これは何かあるのかと勘繰ったが
折角なので会うことにした。
自分はその日仕事だったので
終わった後に職場の近くで待ち合わせて
適当に居酒屋で一杯呑んだ。

 

私は今年になって転職をした。

割とブラックな職場だったのだが
今は定時に帰れるホワイトな職場だ。
人間関係も程よくやれているし
安い給料以外は満足している。

久しぶりに会ったので
とりあえず自分の新しい仕事の話とか
生活の話とかをした、のだが。

 

会話が噛み合わない。

 

「朝5時半に起きてたのが
 今は7時半で良くなったから
 2時間長く寝てられるんだよ」

と言った私に対して弟は

「え、そんなの、
 2時間早く寝れば良くない?」

と言ったのである。

 

いや、そうなんだけどさ。

 

そして、土日は何してるの?
と私は弟に聞かれたので、
「最近はドラクエばっかりしてて
 全然外に出てないなぁ」
と割と正直に、
半ばツッコミを期待して言ったら

「家から出ないんだったら
 家賃のこと考えると
 東京に住む必要なくない?」

と言ったのである。

 

いや、そうなんだけどさ。

 

そんな風に基本的に私の話に

「それはこうじゃない?」

「こうすればいいんじゃない?」

と返してくるのである。

 

いや、そうなんだよ。

言ってることは間違ってないし
確かにそうなんだけどさ。

私が話したいことって
そういうことじゃないんだよ。

そして全部に異論を唱えられると
自分が、これまでの人生が、
今まで経験してきたことが、
否定された気がして嫌だった。

 

弟は論理的で頭がいい。
職業も医者である。
今回も東京には学会で来ている。

中学・高校もお互いあまり家におらず
大学もそれぞれ遠方だったので
気持ちのすれ違いはあっただろうし
それは当たり前だと思っていた。

でもなんだか、
幼い頃に一緒に過ごしていた
あの頃の私と弟の関係からは
だいぶ変わってしまっていて。

話しても話しても同じなので
弟とは分かり合えない気がして
私はなんだかとても悲しくなった。

そう弟に告げたら

「なんで悲しくなるの?」

と言われてしまった。
彼としては普通に会話してるつもりで
別に喧嘩を売っているわけでもなく
私を蔑むわけでもないのである。

 

私はただ

弟である君と

お互いが何してるのかとか

元気にやってるのかとか

悩みがあったら聞いたりとか

何でもない話をしたかったんだよ。

 

何が正しいか、間違っているのか
他に別の考え方があるのか
議論をしたかったわけじゃない。

それさえも感じてもらえなくて
それさえも伝えられなくて
ただただ、悲しかった。

 

そして、突然連絡くれたけど
何かあったの?と聞いたらば

「色々考えすぎたりするときに
 今までしたことが無いことをすると
 新しい刺激を得られるんだよ」

さすがにこの返答には
私はもう笑うしかなかった。

果たして私は
彼から兄だと思われているのか。
ただの新しい刺激のひとつなのか。

そんなことは無いとわかっていても
なんだかやるせなくて、悲しかった。

 

2時間ほどで店を出る際に
弟が「俺の方が稼いでるから」
支払いをしようとしていたので
「さすがにここだけは
 いい格好させてくれ」と
なんとか財布をしまわせた。

 

またねと見送った弟の背中は
幼い頃に見ていた背中じゃなく
なんだか他人の背中に見えた。

 

 

 

プラトニック・ラブ

今まで付き合ってきた人は
付き合う前に身体の関係があったが
唯一そうでなかった人がいた。

付き合った人としかしないと言われ
付き合ってから初めてしたのだが
結局私の不貞で別れ話になった時に

「あなたとのセックスは最悪だった
 全然気持ちよくなった」

と言われたのは生涯忘れないと思う。

 

下世話な話だが、
私は付き合う人の条件として
「セックスが飽きない」を挙げている。

他にも色々条件はあったりするのだが
長続きする要素のひとつとして
私の場合はこれがある。

 

私と友人はあまりそういった話はしないが
友人は当時付き合っていた彼氏と
セックスが無いことを悩んでいた。

正確に言えば、友人というよりも
友人の彼氏のほうが悩んでいた。

友人は性に対しては淡白なほうらしく
そこまで相手に求める訳ではないらしい。
が、彼氏のほうはそうではなく
どうやら悶々としているらしい。

そしてそれを言い出せないでいるらしい。

そんな友人の話を聞いて
「マジかよ」の声と共に私の頭の中で
価値観の相違という言葉が巡っていた。

 

「最後にしたのはいつなの?」
そうが聞いたのだが
友人の答は私にとって驚くべきものだった。

 

「そういえば、付き合ってからは
 ちゃんとしてないかもしれない」

 

私は二度目の「マジかよ」を発し
「付き合ってどのくらいだっけ」
と訊いた。

 

「半年以上経つかな」

 

三度目は飲み込んだ。

それは私にとっては苦行である。
付き合った彼氏と半年以上も
セックスが出来ないのである。

「彼氏は、したいっぽいんだけどね」

そりゃそうだろう。
年齢も友人より下のその彼氏は
おそらくそれなりに
性欲を持て余しているであろう。

「さすがにそこまで無いと
 彼氏も可哀想だよ」

大きなお世話を私は言った。

価値観は人それぞれとは言うが
価値観をあまり押し付けない私が
こんなことを言うのは
自分でも珍しいと思う。

私も30代半ばであるので
流石に20代のような勢いは無いが
衰えつつも未だ性欲はある。

 

「自分でも、相手しなきゃな
 とは思うんだけど、
 なかなか気分が乗らなくてさ」

難しい問題である。

嫌々相手をされるのも
彼氏としては不本意であろうし
乗らないままするのも
友人としては不本意であろう。

別にお互いが嫌とかではない。

好き同士なのに
恋人同士なのに
幸せになれないセックスもあるのだ。

 

それ以上私が干渉する権利も必要も
別段無かったので
この件に関しては触れないことにした。

 

なんのために身体を重ねるのか。

思い返せば私も
色々なセックスを経験した。

愛し合うためのセックス。
繋ぎとめるためのセックス。
忘れるためのセックス。
復讐するためのセックス。
何の意味も無いセックス。

抱く理由も抱かれる理由も
結局本人にしかわからないのだ。

友人がしない理由も
友人の彼氏が言い出せない理由も
私にはわからないし
わかろうとすること自体
それは私の傲慢なのである。

 

願わくば。
次に友人と彼氏がする時には。

お互いがしたくてしてたらいいなと
他人事ながら私は願った。

 

 

 

一度だけ抱きしめて

友人と出会って1、2年経った頃だろうか。
は友人に旅行に誘われた。

「来月、俺の誕生日なんだけど
 一緒に旅行に行かない?」

行き先は某避暑地。
1泊2日のお泊り旅行だった。

「でもさ、誕生日なんだから
 私じゃなくて彼氏と行ったほうが
 良いんじゃないの?」

「そこなんだが」

友人には当時彼氏がいた。
しかし遠距離恋愛であったので
も会ったことがなく、
どんな人物なのかもよく知らなかった。

「最近上手くいってなくてさ
 しばらく連絡もとってない」

元々は彼氏と2人で行く予定だったらしく
旅行の計画を1人で立てていたのだが、
関係が微妙なので一緒に行くのを
やめて他の人を誘うことにしたらしい。

「誕生日だし、それまでに仲直りして
 彼氏と行けそうだったら行ってね」
ということを付け加えてOKした。

 

旅行の1週間程前くらいだったか。

「彼氏と別れた」

と友人から連絡があり、
旅行の相手は私となることが確定した。

私の予定では、友人と彼氏が仲直りし
土産を貰うとともに
面白い話でも聞くはずだったのだが。

別れてしまったものは仕方がない。

 

旅行当日。

移動のためにレンタカーを借りた。
私はペーパードライバーなので
友人が運転をする。

なんだこれは。

まるでデートじゃないか。

私が焼いてきたCDをBGMにしながら
助手席で窓の外を眺めていた。

 

 

夕飯を食べて泊まる所に辿り着いた。
静かな林の中にある
ペンションのようなところだった。

随分洒落たところだなと思いつつ
ここは自分が来るべき所なのか
そんなことを思った。

それは今日車に乗った時からずっと
私の頭の片隅でグルグルしていた。

 

本当に自分が来て良かったのか。

 

もっと他に良い人がいるんじゃないか。

 

誰でも良かったのか。

 

余計なことを考えてしまうのは
私の悪い癖だ。
もちろん楽しかったし
食べたご飯も美味しかった。

友人も、楽しんでいるように見えた。

 

 

夜がきた。

それぞれシャワーを浴びた私達は
ツインベッドに各々横になった。

部屋の電気を消すと、
月と外灯の光とカーテンで
部屋の中が薄い青に染まった。

 

目を閉じると風の音と虫の声。
静かな夜だった。

 

「寝れそう?」

 

隣のベッドから友人の声がした。
友人はすぐには寝付けないようだった。

「まだ、寝れないと思う」

本当はちょっと眠かったけど
友人は何かを話したいようだったので
そう返事をした。

 

 

 

「さみしい」

 

 

 

そうか。
そうだよね。

 

「こっちに来て」

 

「うん」

 

私が友人のベッドに潜ると
友人は私の胸に顔をうずめた。

なんて言えばいいのかわからなくて
ただ黙って、肩に手を回した。

 

 

友人のことを抱きしめたのは
彼が私に弱みを見せた
あの夏の夜だけである。

 

 

 

走光性

友人との出逢いはTwitterだった。

当時はまだ今ほど始めている人が少なく
私も手探りで呟きながら
良い出会いが無いかと探しながら
なんとなく使っていただけだった。

 

学校とかで休み時間になると
自然と人が集まるタイプっているけど
人が増えてある程度の数になると
現実でもインターネット上でも
カリスマというかアイドルというか
キラキラした人が出てくる。

それはTwitterでも同じで。
まだツイドルなんて言葉が生まれる前。
脱ぎ垢や裏垢という概念が存在しない頃。

面白いことを言う人達のことを
ネタクラスタなどと呼び始めていた頃。
みんな同じ時期に始めたはずなのに
ぼちぼち注目される人が出始めていた。

 

彼は、少なくとも私にとっては
とても輝いた存在だったように見えた。
アイコンの写真も良いし
言葉の使い方がとても上手い。

 

頭の良い人だ。

仲良くなりたい。

 

けど、わかっていた。

休み時間にボールを持って
校庭に駆けてく男子を尻目に
教室で女子と一緒に絵を描いていた私は
彼とは住む世界も乗る土俵も違う。

 

自分はなれないとわかっていたけど
嫉妬なのか、羨望なのか、憧憬なのか
そんな人たちと仲良くなりたいし
あわよくば自分もそうなりたいと
ずっと思っていた。

だから、近づきたくて。

 

この人と繋がるにはどうすればいい?
どんな人と繋がってる?
自分が繋がりたい人はどういう人だ?
この人のTLには何が見える?

 

友人に限らない話だが、
繋がりたいと思った人がいたとき
私は次の手段をとっていた。

 

①対象が好きそうな(面白そうな)アカウントを目指す。
②親しそうな人と繋がって外堀を固める。
③RTで対象の目に触れる機会を与える。
④気に入ったものにふぁぼする。
⑤自分のツイートがふぁぼされる。
⑥少し時間を置いてフォローする。
⑦フォローされる。

 

今、思い返してみると
我ながら本当に気持ち悪いと思う。

 

飛んで火に入る夏の虫、という。
キラキラしたものに直進すれば
光で死んでしまう闇属性の私は
何かの光を反射しながら
光っていると勘違いさせながら
光に近づいていくしかないのである。

今はこんなこと考えてないし
若かったからそんなエネルギーがあったと
そういうことにしておこう。

 

少なくとも友人は、良いと思った人しか
フォローしないタイプの人だったし
これは勘だけど、
一度フォローされる機会を逃すと
二度としてもらえないような気がした。

 

 

夏休みの読書感想文よりも、
入試の小論文よりも、卒論よりも
こんなにも考えて言葉を綴ったのは
初めてなんじゃないかってくらい考えた。

失敗も沢山したし、トラブルもあったけど
今自分が紡いでいる言葉の土台には
この時の経験が大きくあるんじゃないか
と思う。

 

 

有難いことに、
見て楽しんでくれる人もいて
どうにかこうにか1~2ヶ月くらいで
今の友人とTwitterで繋がることができた。

 

繋がったあとは何気ない会話から始まり
ある日、

 

ご飯に行きましょう、

 

と。

 

 

少しだけ、キラキラになれた気がした。

 

 

 

真夜中のサイクリング

SNSで炎上する案件が増えている。
TwitterSNSではないという話があるが
ここでは十把一絡げにしてSNSとしよう。

 

炎上について様々な意見があるが
は「奥ゆかしさの消失」だと思う。

ダイバーシティが叫ばれ
同性パートナーシップが登場し
LGBTうんたらな話が賑わう昨今で
時代錯誤だと言われるかもしれないが
私が伝えたいのはそういうことではない。

 

"I love you"を"月が綺麗ですね"と言ったり
"私と結婚してください"を
"君の作る味噌汁を毎朝飲みたい"と言ったり
はたまた "真冬の寒い深夜頃"を
"電気ストーブの低いノイズと
   君の寝息がとける頃"と言ったり
なんていうか、私はそういうのが好きだ。

ここ何年かSNSをやっていて感じるのは
何かを伝えるときには直接表現しないと
まるで伝わらないことが多すぎる。

ラブソングを聴いていても
「好き」とか「愛してる」とか
直接表現するのが多くなっていると思う。

別にそれが悪いということではない。
そういう時代なのだと思う。

奥ゆかしさの「欠如」ではなく
「消失」としたのはそのためである。

 

友人は私生活をTwitterには書かない。
書くとしても日々見つけた小ネタか、
誰に何を言いたいのかよくわからない
謎の呪文のようなフレーズか
猫の写真である。

私は私生活の話を書いたりしているが
喜怒哀楽の表現はあまり使わないせいか
「普段何をしているのか
 何を考えているのかよくわからない」
と言われることがある。

 

考えていることは書いていないので
わからないのは当たり前である。

 

強いて言うならこのブログについては
多少感情を交えて書いてはいるが
言いたいことは書いていなかったりする。 

 

少なくともこのブログを通して
自分のことを知って貰おうとか
誰かと出会いたいという趣旨は無い。
勿論、良いきっかけとなって
出会うことがあるかもしれないけれど
それは本来の私の目的ではない。

長くなるのでブログを始めた理由は
別の話にしようと思う。
そのうち書く。たぶん。

 

 

同調圧力が苦手である。

お泊り会をした時に一人が突然
「好きな人の話」を始める。
始めた人から順に恋愛の話をし
話したくない話題なのに
無理やり話さなきゃいけないやつ。
そういうのが苦手である。

とはいえ話さないのも興ざめするし
適当な話が一人歩きされても困る。
結局「そんな人いない」とか
そう答えて終わってしまい、
「あいつはつまらない人間だ」
などと言われたりする。

SNSではいつからか
自分のことを話すことが当たり前になり
誰かと2人でどこかに行った話を
一人が書いてもう一人が書いていないと
「何か書けない理由があるの」
と思われたりすることがある。

 

別に書けない理由はないけど
書く理由もない。

 

ただそれだけである。

自分が当たり前と思っている感覚を
知らないうちに押し付けないよう
気をつけたいと思う。

万人に伝えるべきことかどうか
そんなことは自分で決めることだ。
個人の感情や考えなら、なおさら。

 

その辺の私と友人の感覚は
近いところにあるので、楽である。

 

 

ある夜、自宅でエロ動画を漁っていると
友人から連絡があった。

"いま彼氏と一緒にサイクリングしてて
 ○○駅(私の最寄駅)にきた"

友人の彼氏には会ったことがなく
今度紹介してよ~と何度も言っていた。
「タイミングを図っている」と言われ
全然紹介されていなかったのだが
ついにその時がきたのだ。

"サイクリングデートいいね!
 どこいるの?そっちいくよ"

そう返事をして、
せめて変な友人と思われないように
何を着るか服を選んでいたのだが、
その後返信が途絶えた。

 

事故ったのだろうか。

心配していたら30分後に返信があった。

 

"すでに通り過ぎて別の場所にいる"

 

なんだこれは。

 

私に紹介する訳では無かったのか。

 

家を出る気満々だった私は落胆したが
友人は私に何を言いたかったのだろう。

 

 

ああ。

 

ノロケか。

 

友人は私に
「いま彼氏といるぜヘイヘーイ」
ということ伝えたかったのである。
もしくは
「最寄駅に来たからなんとなく連絡した」
ということであろう。

 

どちらにせよ、嬉しい事である。

ノロケることをあまりしない友人が
私にデートを報告してきたのも、
会う訳でも無いのに連絡してきたのも。
他の人にはしないことだろうなと思うと
友人冥利に尽きるのである。

 

私もサイクリングデートに行きたいと思い
家の外に置いてある自転車を見た。

籠付の錆ついたママチャリでは
デートの相手に申し訳ないと思ったが
おそらくママチャリも望んでいるまい。

夜の風は、歩いても感じられるのだ。

 

 

知らないままのほうがいい

私は以前、友人との話をマンガにして
Twitterに載せていたことがあった。

絵は時々描いていたが久しぶりで
しかもマンガを描きだしたので
文字列での私しか知らない人には
ビックリした事案かもしれない。

3月で仕事を退職し
転職活動をしていたのだが
日中朝から晩まで転職活動はできず
どうしても時間を持て余してしまう。
私の性格上ダラダラ過ごしてしまうので
いつか買おうと思っていて買えなかった
ペンタブとお絵描きソフトを購入し
腐る前に趣味に没頭することにしたのだ。

「エッセイストになったの?」
と知人から言われたが
エロやギャグを描く力が無いので
淡々と友人との話を描いていただけだ。

 

マンガを20個ほど描いたところで
私と友人の話は一旦締めたのだが
一番最後の話はなんとなく、
どうとでもとれる話にしてしまった。

友人
「性格も趣味も考え方も違うのに
 俺達どうして友達で居れるんだろうな」
と言ったことに対して、
「さぁ…なんでだろうね」と答え
「わからなくてもいいんじゃないかな
 知らないほうがいいことかもしれない

と、一人で想い耽るシーンで終幕。
曖昧な空気を残したまま終わった。

それに対して観て頂いた方から
「これ、友人のことが好きなパターン」
「悲しい結末だ」
という感想を頂いたのである。

というか、そういうミスリードは狙ったし
真実は読者の想像にお任せします
といった幅をもたせるみたいな
そういうことを、してみたかったのだ。

 

「あの話は、あなたのことが好きだとか
 そういう話じゃないからね」
私は念のため友人に言った。

「大丈夫だよ」と友人は答えた。

何が大丈夫なのかモヤモヤしたが
彼が大丈夫だと言うのなら
おそらく大丈夫なのであろう。

 

友達とはなんなのか。

私が友達と思っている多くの人は
共通の趣味の数や価値観の一致である。
一緒に楽しめるものが多ければ多いほど
価値観が同じものが多ければ多いほど
お互い理解しやすいし楽しいものである。

しかし私と友人に関しては
そういったところはあまり多くはない。

 

「知らないほうがいい」と表現をしたが、
わかっているけど教えないのではなく
私自身もわからないのである。

 

友達をランク付けするつもりは無いが
共通の何かが多かったり
他の人よりも特に優しくしてくれたり
共感できることがとても多かったり
めっちゃタイプだったり、と
複数の人がそこに存在してしまう限りは
多少なりとも比較してしまうものである。

それによって
「AよりBのほうが仲が良い」
「CよりDのほうが一緒にいて楽しい」
のような順位が自然とできてしまう。

 

そして時に、例外の人物が現れる。

私にとって友人はそういう存在だし
友人にとっても私はそういう存在らしい。

性格も趣味も好みも価値観も違うけれど
干渉もせず喧嘩をすることもない。

だけど困った時には助けたいと思うし
実際、力になってくれている。

 

他の友達と比較するにしても
なんだか別の所にいるような存在なのだ。

なぜ今のような関係になれているのか
全くもってわからない。

 

でもそれで良いのである。

 

理由や条件がわかってしまったら、
より条件の良い人がいたら
その人が素敵な友達になってしまうので

私達は特別な存在ではなくなってしまう。

そして友達の条件に1つカテゴリが加えられ
数多くの友達の中に納まってしまうのだ。

 

だから私は知りたくもないし
知らないままのほうがいい、と思う。

私と友人が、私と友人であるために。

 

 

シュレディンガーのバリネコ

私はイケメンではない。

以前、元彼に私の容姿レベルを聞いた際
「程よく手を出し易いブス」と揶揄され
それはそれで腹が立つ表現ではあるが
つまり客観的にもイケメンではない。

そんな私は恋愛を確率論で考える。
あの人と知り合える確率はこれくらい。
セックスができる確率はこれくらい。
付き合える確率はこれくらい。

その確率とフられたときのダメージを
天秤にかけて動くのである。

 

イケメンはサイコロを振らない。

容姿が評価され得をする世界では
私の用いる天秤など使わなくとも
大抵の男は手に入れられるのである。

好意をもたれることが多い分
自分への接し方がどうあるかで
好意の有無を判断できる余裕もあり
それがしばしば魅力に輪をかける。

 

蓼食う虫も好き好きとは言うが、
自分を良いと思ってくれる人って
どういう人なのか、
そしてどこが良いのか
いつしか不安になってしまうのだ。

自己顕示欲や承認欲求は
そんな不安から生まれるのではないか。
自分への興味があるのかどうか
そんな人がいるのかどうか確認し
更にふるいにかけて確率を上げるのだ。

と私は思っている。
やり方は人それぞれだと思うけど。

 

 

私は友人と天ぷら蕎麦を食べていた。

友人との話をマンガにしたところ
なんとなく反響があったと話したら
友人も悪い気はしないとのことだった。

「描いて欲しい話がある」

友人がに何か要求することは
あまり無いことだったので
「どんな話?」と訊いた。

「アレだよ。質問箱。よく見るじゃん」

「よく見るね」

「アレさ、どうにも理解ができない。
 匿名の質問を受けて答えることに
 何の意味があるのかわからないし
 アレをしてる人ってなんか幻滅する」

 

自分は他人にどう思われているか
そんなことは気にしない友人にとって
質問箱のシステム自体も
利用する人の理由も
おそらく共感できないものなのだろう。

そして、共感できないそのシステムを
何度も何度も多用している人に
嫌気がさしたのではないか。

「そのことについてマンガにして
 皆がどう思っているか確かめたいんだ」

成程、成程。
やりたいことはわかった。

でも私がマンガでやりたいことは
そういうことではないのだ。
誰かに疑問を投げかけたり
意見を訊く為に描いたのではない。

 

あれは日記だ。

 

私と友人のエピソードを
つらつらと日記にしただけなのだ。
大切な写真を集めて
アルバムにしたようなもの。

「だから申し訳ないけど
 マンガには出来ないよ」

友人は残念そうだったが
今回こうやってブログにしたので
良しということにしてもらおう。

 

 

ホームページ全盛期時代には
100の質問」というものがあった。

知らない人のために説明すると
100個の質問のテンプレートを使い
答えてプロフに貼り付け、
自分のことを知ってもらうものである。

私はこういう性格です。
こういうことに興味があります。
こんなことを考えています。
そんな情報を質問の答に散りばめ
自分に合う人に見つけてもらうのだ。

SNSのプロフィール欄に
好きなものを羅列して書いているのと
同じようなものである。

おそらく質問箱は、現代の100の質問

その質問が予めわかっているか
誰から何が来るかわからないかの違い。

 

質問箱は、猫を入れた箱だ。

ただ、箱の中の猫が生きてるかどうか
そんなことは問題ではない。

 

生きているのか、死んでいるのか。

大切なのは、
自分がそれを考えてもらえるような
猫であるかどうかなのだ。

観る人が観れば
生きているかもしれないし
死んでいるかもしれないし
どちらでもないかもしれない。

 

だけどその箱は猫にとっては
誰かが自分に興味をもってくれると
信じてやまない希望の箱なのだ。