ゲイがつらつらと書くブログ。

はじめてのハッピーバースデイ

退職まであと2週間。有給消化もままならず徹夜に近い形で提案書を作らされ、作ってメールを送った挙句に何のレスポンスも示さず提案書の担当箇所を全く作っていなかった担当営業に憤りを覚え、ストレスに任せて甘いものを貪り筋トレもせずに寝た結果、翌朝体重計に乗って絶望した。ストレスに絶望が勝ったのか、甘いものの効果か、一晩寝たら幾分か気が楽になっていた私に、家族のグループLINEに複数の通知が入っていた。

「誕生日おめでとう」

仕事でいざこざしていてすっかり忘れていたが、そういえば今日は私の誕生日だった。

 

先週までは覚えていて、一人で過ごすのもなんだかなぁと思い、友人に来週ヒマ?と連絡したところ、「週末から1週間、海外に行ってくる」ということだったので私は一人で誕生日を過ごすことを決めた。

思い返せば、社会人になってから誕生日は誰かしらと過ごしていた気がする。多くは付き合っていた人と過ごしていたし、そうでない時にはその時つるんでいた友達と過ごしていた。今はお付き合いしている人も居なければ、仲良くつるむような友達も居ない。4月からの新しい職場での仕事が慣れたら、少しはアクティブになろうかと思っていたが、直近の誕生日に関してはこれといって対処を考えていなかった。誕生日に対して対処という言葉選びはどうかと思うのだが、私はあまり集団の中心になるのが好きではないし、大げさに祝って貰いたいというタイプではないのである。

仕事で2つの大学を掛け持ちして担当している私が、それぞれの大学で退職する旨を伝えたとき、私はいいですと言ったにも関わらずそれぞれの現場で送別会を企画してくれ、来週は2回も送別会をして頂くことになった。こういう時は、ありがたいという気持ちと、自分なんかの為に申し訳ないという気持ちが交錯し、昔の私だったら申し訳なさを前面に押し出していたが、最近は嬉しそうに喜ぶことにしている。好意に甘えるというわけではなく、その方が送別する側もやってよかったと思ってくれるからである。私も、誰かを祝ったり送別したりするときには、どうせなら喜んでもらいたい。

Twitterは誕生日を設定しておくと、当日トップページに風船が飛ぶ仕様になっている。誰かが風船を飛ばしていると、素直におめでとうという気持ちになる。が、私は風船を飛ばしたくないので設定していない。不特定多数におめでとうを言われるのは苦手だし、言って欲しい人に言って貰えなかったら悲しいからである。昔はTwitterでの交流を良くしていたが、今は顔出しもしていないネタアカウントになってしまっており半分botのようになっているので、botが誕生日をアピールしたところで困惑する人もいるであろう。元々は、当時付き合っていた人が呟く内容にイチャモンを付けてきたため、そこからネタしか呟かなくなってしまったという経緯があり、今更感はあるが、そろそろTwitterでの振る舞い方も変えていこうかなぁとなんとなく考えている。いつかは風船を飛ばしたいが、まだ飛ばす気にはなれない。

 

友人が海外に行ってしまったので、これはもう1人でケーキでも買って食べるしかないなと意気込んでいたところ、「平日夜なら時間がとれそうです」と食事の予定を合わせていた別の友達から「火曜日はどうですか?」とお誘いがあった。その友達は、何人か集まった中で何回か会ったことはあったが、私とマニアックな趣味が一致していたので、いつか二人で語り合えたらいいなと思っていた人であり、私から連絡をとった。友達以上の関係は私は今のところ求めてはいないし、求めてくるようなタイプではない人なので特に気にしていないが、もし求められたら断ることはしないと思う。

二人きりで初めて会う人に「今日は誕生日なんです」だなんて言うつもりはない。仮に私が言われたとして興味が無い相手だったら物凄く困惑するし、何か期待されてるのかと疑わざるを得ない。だから今日は何も告げずに楽しく趣味の話に興じるのである。誕生日くらい誰かと過ごしなよと神様が言ってくれたのだと思って、今日はその好意に甘えることとしよう。

 

そして私は、自分の中でだけ、自分のことを祝うのだ。

ハッピーバースデイ、私。

 

最後の砦

仕事の話。

 

毎月定額で月に10回まで整体をしてもらえるというプランが近所の整骨院にあり、1月頃から週2回ほど整骨院で整体を施してもらっている。ここ2週間は毎日筋トレをしているにも関わらず時折腰が痛むので、どういうことなのかと自分の身体に問いただしたいが、問うたところで腹の贅肉はぶるぶると笑うばかりだったので、整体師のお兄さんに聞いてみることにした。「では身体の筋肉がどう使われているのかをチェックするプランがあるのでいかがですか」と言われ、お兄さんの爽やかさと私のNOと言えない性格がシンクロナイズしたため、1,500円程度のオプション料金を支払い、チェックをして頂くことにした。

キャバクラには行ったことはないが、おねだりされてついついお酒を頼む心理ってこういう感じなのかと思いながら、筋トレしてるからそれなりに筋肉はついてるんじゃないかなぁ、体格が大きいから人並みに筋肉はあるしなぁ、とナメてかかっていたところ、「お腹とお尻のインナーマッスルが5段階でいうと2ですね」と、これまた爽やかに現実を突きつけられた。学校の通知表ではほぼ4か5だった私にとって2という数字はあまりに衝撃的で、さらに筋肉から力が抜けていくのを感じた。

ボロボロの成績を元にインナーマッスルを鍛えるトレーニングをしながら、整体師のお兄さんと会話をする。ものぐさな私は、接客されている時に雑談をするのがあまり好きではなく、床屋で髪を切ってもらっている時なんかも会話を盛り上げる気持ちになれないのだが、流石に週2回も通っていれば慣れてきたのか、仕事の話をするようになっていた。トレーニングの後、いつも通りの整体の施術が終わったときに、お兄さんは今のプランとは別にインナーマッスルを鍛えるトレーニングの回数券があるんです、と私に話した。まぁ、そうなるよね、うん、そんな気がしてた、そう思いながら私は、これからのスケジュールについて話さざるを得なかった。

「今月で今の仕事を辞めて、来月から別の会社に転職するんです。新しい仕事のスケジュールによってはあまり通えなくなるかもしれないので、それはまた考えさせてください。」

お兄さんは残念そうな顔はせずに、「そうですか~それではまた新しい仕事が落ち着いたら、身体の調子を見てまた考えてみてくださいね」と爽やかな営業スマイルを添えて優しく言ってくれ、別にタイプではないけれど好きになっちゃってもいいですかと心の中で呟いた。

そう、私は今月末で今の会社を退職するのだ。

 

退職を決意したきっかけは2つあった。

 昨年の4月、私の職位は上がった。正社員の一般職のランクには2段階あり、ここでは上の段階をA、下の段階をBとすると、A・Bそれぞれの給与テーブルが細かく30段階ほどある。給与テーブルをそれぞれLv1~Lv30とすると、一般職のランクはBのLv1~AのLv30までで60段階あることになる。1年間の評価で上がるのはせいぜいLv3程度が通常らしいが、社内で最初の成功事例を成し遂げたこともあり、貢献度が高かった為か、BのLv15からAのLv10まで上がった。1年目でBからAになること自体かなり珍しいことのようだったが、給与テーブルとしてLv25も上昇したのも異例だったようである。

職位がBからAになる対象者は、人事からの説明と社長との面談があるということで、指定日に本社へ赴くことになった。当日は私を含めて5名おり、まとめて会議室で待たされた後、人事担当から新しい辞令と次の職位Aの給与テーブル月給一覧がそれぞれ配布され、各自で給与テーブルと号給を照合して昇進後の月給を確認することになった。給与テーブルを見ながら私が顔をしかめていたのに気づいたのか、人事担当が給与テーブルについて補足情報というには小さすぎる爆弾を投下してきた。

「BからAになったことで月給が下がっているのですが、賞与を含めると年収ベースでアップしています」

 虚を突かれたとはこういうことを言うのだろうか。言っていることは理解できるのだが、BのLv30からAのLv1では、BのLv30のほうが2万円程月給が上なのである。それなりに月給があるのであれば誤差と言えなくもないが、私たち一般職は薄給のためこの差はかなり大きく、生活レベルを考え直す金額である。幸いにも私はLv25上昇ということもあり月給が落ちていることはなかったが、それでも月1万円アップ程度だったため、糞デカ溜息をつきそうになるのを懸命に堪えていた。私以外の4名はおそらくそこまで昇給していないことを考えると、彼らの心中は計り知れない。彼らはテーブルを見つめたまま凍って時が止まっていたので、それ以上そちらを見るのが憚られた。

人事担当は説明を終え、「それでは社長がいらっしゃるまで暫くお待ちください」と会議室を後にした。時が止まった会議室に時間が戻り、リラックスしながらこの給与テーブルはなんなんですかね~と私の言葉を皮切りに雑談し、少なくともあの給与テーブルを見て嬉しくなった者は一人も居なかったことが確認できた。やれやれムードの中、社長が登場した。

「みなさん昇格おめでとう」と言った後に社長は何やら話し始めた。どんな話をしていたか覚えていないが、その程度の話だったのだろう。途中「○○という言葉を知っていますか?」と何度かこちらに横文字の言葉を問う場面があった。皆が知らないと答えると、「では帰ってから調べてみてください」と丸投げされた。説明しないんかい。せめてこれからのビジネスシーンにおいて何の役に立つかだけでも言わんのかい。と思ったが早く終わってほしかったので、はい、とだけ答えた記憶はある。なんかあまり好きになれないなこの社長、と思っていたところに今度は個人に話を振られた。君はいまどこで勤務していてどんな仕事をしているんだい、君は以前あそこで話をしたことがあったね、と本人にとっても他の人にとっても有益ではないだろう話を振っていた。最後は私であったが、私のこれまでの経歴についての話だった。「君は昨年入社してきたばかりだったね。前職は何をしていたんだい?」と履歴書を見ていないのかと思わせる質問をしてきたので、以前は教師をしていて、その前はIT系でSEをしていましたと答えた。今とはカテゴリの違う2つの業界だったので、職歴としては半端に見えるかもしれないが、この経験のお陰で仕事で成功を収めることができたので、その辺を掘り下げるのかなぁと思っていたら、社長はとんでもないことを言ってきた。

「君の経歴は、別にユニークでは無いね」

教師をしていた人は他にも社内に居るし、SEをしていた人も居るよ、と続ける社長の言葉に、二度目の虚を突かれた。えっ、なんのために聞いたの。喉まで出かかったが飲み込み、その後の社長の絡みはすべて当たり障りなくスルーした。

私が期待しすぎていたのかもしれない。昇給に関してはともかく、会社に貢献してこれから頑張って貰いたい社員を応援するような言葉を、社長はかけるものではないのか。思えば月に1回メールで送られてくる「今月の社長のお言葉」みたいなものも中身が無いし共感できた試しがない。上っ面の知識をひけらかしてポジションに胡坐をかいているような社長に尊敬の念を抱くはずもなく、この会社に長く居ることは無いな、と私はそのとき思った。これが転職を考えた1つめのきっかけである。

 

そんなこんなで半年過ぎた頃、常駐先では現場のリーダーとして程よく仕事を回していた私を上司が急に呼び出した。仕事後に現場の近くで上司と、私の現場の担当ではない営業が来て、「2日後から別の現場に行ってほしい」と要請された。私がポカをして左遷されるというわけではなく、別の現場で産休に入る担当者がおり、後任を充てていたのだが、顧客から後任の担当者にバツがついてしまい、その代わりも充てられず物凄く怒られているらしく、他に任せられる人がいないとのことだった。とはいえ、2日後から急に現場を離れるとなると、こちらの顧客も黙ってないだろう。私以外に人誰か居ないんですかね、と言ったが「貴方が最後の砦なんです」と上司に言われた。人材不足すぎるのでは。思うところはあったが、私も会社の正社員、私が断ることで会社の評価が悪くなるようなことはしたくなかったし、私の現場の担当者も業務に慣れて育ってきたところだったので、会社から顧客に説明をきちんとしてもらうことを条件に了承した。

上司に冗談っぽく、これで成功したら給料上がりますかね~、と言ったら「最終的にどのくらいの給料を希望しているの?」と上司に聞かれたので、このくらいですかね、と言ったところ「それくらいだと管理職にならないと難しいなあ」と言われた。私は決して吹っ掛けた金額を言っているわけではない。私の現場にも担当営業はいるが、私が顧客との調整や、担当者の教育や、見積書・提案書・契約書の作成や、新規部署のビジネス獲得を1人で行っているため、担当営業は放置していても問題ない状況だし、社内での話によると、こんな現場は他には無い。それにプラスして他の現場のトラブルを解決し更に案件獲得できるような人材であるなら、月給を数万円上げる程度、会社への貢献度からしたら大分コスパが良いと思うのだが。しかも管理職ですらそのくらいしか貰えないのか。社長の件はあれど、それなりに給料が貰えるのであれば頑張れるかな、と思っていたところにこの返答だったため、私のモチベーションの最後の砦は音を立てて崩れた。これが成功したところで私にはあまりメリットが無いし、成果を出しても見合う対価は無い。これが転職を考えた2つめのきっかけである。

新しく兼任となった現場では、トラブルを解決するどころか、このままずっと居てほしい、と名指しで言われるくらいには関係性が良好になったので、私が退職する旨を伝えたことで非常に落胆させてしまったのが残念である。なんとか私の後任が決まったが、決まったのが退職直前だったため、引継業務に追われ、さらに営業が作れないと泣きついてきたため私が提案書を作るハメになった。どれだけ放置してたんだと怒鳴りそうになったが、出来ない人に無理なことを要求しても仕方が無いし、私も中途半端なまま退職したくなかったので、残った有休はほぼ消化せずに月末を迎えることとなった。そして半年以上営業が作れていなかった提案書を、私は徹夜に近い時間までかけて2日で作り上げ、上司と担当営業にメールで送りつけたのが一昨日のことである。

 

30半ばにして中途半端な職歴の私にとって、転職活動は困難を極めたが、人の縁なのかタイミングなのか、運良く次の会社への内定を貰うことが出来た。通勤時間は1時間超から30分程度に変わり、年収も今の1.5倍はあるので概ね満足している。成果主義の文化らしいので、あとは私自身がどれだけやれるかにかかっている。

昨日は一仕事終えて寝不足のまま整体に行った。肩こりが酷い私は、仰向けの体制で肩の筋肉を指圧で小刻みに揺らされ、いつも腹の余分な肉が一緒に揺れて気になっていたのだが、昨日は疲れと仕事を終えた満足感のせいか気にならなかった。整体師のお兄さんと、来月からの新しい職場の仕事のことや、どうやってインナーマッスルを鍛えていこうか、などと話しながら、小刻みに揺れる私の腹の肉を眺めていた。

 

 

好きが来る前に

食にあまり拘りが無く、私は食べたいものを食べたいときに食べるので、案の定ブクブクと太り、年明けに行った健康診断で体重計に乗った際に自身の歴代最高記録を叩き出し、軽く眩暈を覚えた。ゲイ的にはガッチリでもデブでも無いしできれば細い体系でありたいので、ただのブタになってしまうと危惧した私は、2月の後半から食事の量を減らし、家で筋トレを始めた。外食が多かったので、節約も兼ねて夕飯を家で自炊することが多くなった。

とはいえ料理がそんなに好きではない私は、自炊と言っても人が聞いたら鼻で笑いそうなことしかしない。パスタを茹でて出来合いのソースをかけるだけ、これだけである。「パスタは炭水化物の中でも太りにくい」という、いつ聞いたのか本当かどうかわからないような記憶だけを信じてパスタを茹でている。しかもかけるのはパスタソースだけではなく、1個100円もしないレトルトのカレーだったりもする。本当はその上にチーズを乗せてレンチンしたいところだが、カロリーを考えてチーズという選択肢は捨てることにした。

近所のスーパーに行ったら、コロナの影響で乾麺が軒並み売り切れていて、その中で唯一残っていたゴツめのパスタ1kgを3袋と、パスタソースとレトルトカレーをいくつか買った。職場の昼休みに朝買ってきたパンを頬張りながら、そんな買い物事情を同僚の主婦と会話するのが結構楽しいのだが、最近の食生活を話したときに「パスタにレトルトのカレーかけるとかありえない」と笑われた。また、家には普通の鍋しかないので長いパスタを茹でるのが結構面倒なんですよねー急がないと入りきらない部分が焦げてくるし、と話してたら「パスタ半分に折って茹でればいいんじゃない?」とアドバイスを貰ったのだが、長くなかったらなんかパスタ感がなくなりませんかねと言ったら「カレーかけてる時点でパスタ感も何もない」と私の意見はバッサリ切り捨てられた。ちなみにズボラな私はフォークを出したり洗うのが面倒なので、茹でた菜箸を洗ってそれで食べてるのだが「パスタを箸で食べるとか、ウチのじいさんと同じ」と私のパスタ生活はボロ糞に言われた。

それにもめげず、連日パスタを茹でているのだがゴツいパスタは茹で時間に9分もかかり、茹で上がるまでの時間、物思いに耽ることが多い。ここ1週間くらいは、アプリで出会った人のことを考えていた。

 

1月に付き合っていた人と別れてから、とりあえずアプリに登録してマッチングの機能だけ楽しんでいた私だが、その中でも会ったみたいと思う人が居たのでメッセージを送り、ご飯を食べに行ったのが始まりだった。私はハキハキやウェーイとは無縁なので、落ち着いた感じのとは雰囲気が合い、会話も弾んで楽しく過ごすことができていた。ただ私と彼の間で大きな壁があった。

は私の一回り年下なのである。

私も彼も早生まれだったので、丁度12歳の差があり、つまり干支も同じ。年下と付き合うことはあったとはいえ、ここまで下だったことはこれまで無かったので、戸惑う部分や正体不明の背徳感があった。それでも彼はあまり気にすることもなく、私の年上というステータスをややイジりながら、会話をしてくれていた。教員時代に生徒から散々イジられキャラとして過ごしてきたので、特に不快に思うことはなく、むしろ楽しく食事を進めた。

食事が進み、私はお決まりの質問をした。

「いまお付き合いしている人はいるんですか?」

彼は少し回答に躊躇いつつも「います…けど良くわからないです」と答えた。

これは彼氏とは別れないけどセックスはしたいということなのか、と思ったが、私は特に彼氏もセフレも急を要していなかったので、棚に上げることにした。友達が少ない私にとって、楽しく過ごせる友達が増えればそれはそれで良いと思っていたので、彼が今の彼氏とどうなのか、何が良くわからない状況なのかは敢えて聞かなかった。ご馳走するよと私が言っても財布の紐を堅くすることはなく「自分の分は出します」と必ず自分の分は自分で払おうとし、もう少し甘えてくれてもいいのに、と思いながら私が気持ちばかり多めに支払った。

 

それから、私と彼は毎週末一緒に過ごした。

一緒にお風呂に行ったり、郊外を散策したり、なんでもない会話をしながら2人で出かけた。一度だけバスの中で手を繋いだが、それ以上のことは特に無かった。それでも楽しくて、毎週末の予定が決まるたびに、平日の仕事を頑張ろうという気になれたし、週末に予定があるって幸せだなと感じていた。いつからか、彼のことを恋愛の対象として少しずつ意識していったように思う。付き合ったらここ行きたいなとか、クリスマスはこんな風に過ごしたいなとか、パスタを茹でながら考えるようになった。けれど彼には彼氏が居るし、それを引き離してまで付き合いたいとまでは思わなかった。何より彼は若いしまだまだ遊び盛りだろうけど、ここまで年が離れていたら遊ばれてもいいかなと思っていた。

そんな風に過ごして1か月ほど経ち、コロナの影響で人混みに行くのがなんとなく憚られたので、家で映画でも見ようかという話になり、彼は実家暮らしだったので、彼が私の家に来ることになった。人が家に来ること自体久しぶりだったので、年末の大掃除をサボっていたツケが回ってきたなと思いながら、家のありとあらゆるところを掃除し、なんとか彼を家に招き入れることが出来た。

結論から言うと、彼とセックスをした。

あまり具体的に書くと生々しいので避けるが、相性は悪くはなかったのではないかと思う。事後はご飯を食べに行き、また来週会おうねと言葉を交わして別れた。

 

次に会う予定の日を決め、どこに行こうか色々考えていた予定日の2日程前、彼から連絡があった。

「少し体調を崩してしまったので、今週末はキャンセルでも良いですか」

ガッカリしたが、この季節だし体調が悪くなってはまぁ仕方ないと思い、身体を労わる言葉を送り、何も無い週末を過ごした。

週明け、彼はアプリにTwitterのIDを載せていたので、具合悪いのをボヤいているかと思って何気なくアカウントを見ていたら、週末はどうやらイツメンの友達と飲んでいたらしかった。体調が悪いところ無理に付き合わされたのかどうかはわからないが、見なかったことにして「体調は良くなりましたか?」とだけ連絡をしたら、「だいぶ良くなりました!」と返事が来たので、良かったです、と一緒に次の週末の予定を聞くことにした。すると「予定がわかったら連絡します!」と返事を貰った。特に私の予定を優先して欲しいわけではなかったが、なんとなくダメそうだなと思いながらも、わかりましたそれでは連絡をお待ちします、と返事をした。

それが彼との最後のやりとりになり、その後連絡が無いまま、週末を迎えた。

何がいけなかったのだろうかと考えたが、考えても仕方の無いことだったし、残念な気持ちもあるが、思っているほど傷ついても気にしてもいない自分がいた。彼を好きになっていたら、きっともっと苦しんでいただろうし、モヤモヤして眠れない日が続いていたかもしれない。とはいえ、予定があって忙しかったのかもしれないし、何か理由があったのかもしれないと、週末にアプリで彼の様子を見てみようとしたところ、そこに答があった。

彼はアプリで「今すぐ会いたい」ハウリングをしていた。

私は選ばれなかったのだ。

おそらくもう彼から連絡が来ることは無いだろうと確信した私は、LINEの友人リストから削除し、アプリでも彼をブロックした。この状況で私から彼にコンタクトをとることが彼にとって良いことではないし、未練がましい男だとも思われたくなかったので、短い間の良い思い出として心の中で処理することにした。少なくとも彼と出会えたおかげで私は健康にも気を遣い、徐々に体重を減らすことに成功しているので、感謝をしている。若い頃、同じように連絡をとらなくなってしまったことがあったことを思い出し、私には非難する権利など持ち合わせていないことを考え、今度は自分の番なんだなとしみじみ感じた。万が一また連絡が来るようなことがあれば、次からは一人の友達として接しようと思ってはいるが、果たして自分にできるだろうか。

 

ダイエットを始めて身体が整い始めてから、少しずつ自分に自信が持てるようになってきた。とはいえまだまだこれからではあるが、成果が目に見えるのはモチベーションに繋がる。そんな中、以前友人が話していたことを思い出した。

「前に家で何人か集まって飲んだりゲームしてた時にさ、ゲームで『自分の顔が良いと思っている人』を自己申告しなきゃいけないってのがあったんだけど、7~8人居て良いと思ってた人が自分ともう1人しかいなかったんだよね」

友人らしいなぁと思って聞いていたが、私も自分の顔は嫌いではない。昔は自分に自信が無かったのでそんなことは言えなかったが、いまこの年齢になって「自分、悪くないじゃん」と思えるようになった。ブタになりかけたここ最近の私に関しては目を瞑りたいところだが、思い返せばそこそこモテていたこともあった。そんな私なので、アプリの彼にどう思われようが、連絡がなかろうが、他に良いと言ってくれる人がどこかにいるんじゃないかと思っている。だから自分を磨く機会をくれた彼に感謝しているし、あの時付き合っておけば良かったなといつか思ってもらえるくらいになっていたい。

そんな風に自分に、そして自分の生き方に自信をもっていきたいし、おそらく友人は自信をもっているのだろう。それが鼻につく人もいるのかもしれないが、私はそういう友人が逞しくて羨ましい。友人のように沢山の拘りは無いけれど、こうありたい、という自分がなんとなく見えてきた気がする。

 

そんなことを沸々と思いながら、パスタを茹でる。パスタを折って茹でるのに抵抗があったが、いざやってみると茹でるのがとても楽だった。これで寸胴鍋を買う理由はなくなったが、折る時にパスタが周囲に多少飛び散るのが難点である。そのことを同僚の主婦に話すと「普通に折るんじゃなくてねじるようにすると飛ばないのよ」と、ぽたぽた焼きの裏面にあるおばあちゃんの知恵袋ばりのアドバイスを貰い、ねじりながらパスタを折るようにしているのだが、量が多いのかやり方が下手なのかまだ周囲に飛び散る。しかもグツグツいっている鍋のすぐ上でやるものだから、沸騰した水が跳ねて手を火傷しそうになる。

まだまだコツが要りそうだが、このパスタが飛び散らずに上手く折ることができるようになる頃には、また新しい出会いがあるかもしれない。その時には、今より素敵な自分で居られたらいいなと、今日もパスタにレトルトのカレーをかけ、箸で食べるのである。

 

スライド・オア・ホールド

電車内で妊婦に席を譲ったら、全然関係ない中年男性が悪びれなく割り込んで座り、更に憎まれ口を叩いたとかいう事象についてTwitterで盛り上がるや否や、ネットニュースになったりなんかもして盛り上がる直前のこと。

私はたまたま友人とそれに近い話をしていた。

 

先日、お付き合いしていた人と別れた話を友人にしたら、いたく心配してくれ、週末にカラオケに行くことになった。カラオケの前にご飯でも食べようと、近くにある美味しい洋食屋に連れて行ってくれた。相変わらずこういうところはちゃんと調べてチョイスするなぁ、とここ数年はほぼ松屋福しんでしか夕飯を食べていない私は唸る。福しんで冬に限定で登場するニラそばがお気に入りなので、週に2~3回は無駄に精力をつけていた私は、オシャレな洋食屋のドアを押すのに若干の勇気を使った。

バルサミコ酢で皿のフチにデザインが描いてあるランチプレートを食べながら、ここ1か月くらいのことを振り返っては、友人にあれやこれやを話した。私のやることなすこと全部が思うような結果にならなくて、もしかしたら私のしていたことは間違っていたのかなと話しながら、中学校の教員だった時代にクラスでやった道徳の授業を思い出した。

 

道徳の授業といえ、学校の授業には学習指導要領がある。簡単に言うと、この授業のこの単元での生徒の目標はこれです、という指標になるものである。自分の担当教科であれば、これが正しい、これが間違い、なぜならばこう、ということが説明できるのだが、道徳はそれが難しい。道徳は教科書と言わず副読本と呼んだりするのだが(文科省が道徳を「特別な教科」扱いとしていたから教科書と言って構わないと思うが)、道徳の教科書には人の心を考えるような話が沢山掲載されている。それぞれの話は学習指導要領の項目ごとに分類されており、この話ではこの心を深めていきましょう、という構成である。

その中で、電車内の広い座席を高校生が部活の荷物を置いて、年配の男性に注意されてしまう、というエピソードがあった。話の中では、高校生は注意された後、何も言わずに荷物を持って別の車両に移り、電車の中は空虚な時間が流れた、というような描写で終わっている。

道徳の内容項目としては「遵法精神・公徳心」の分類にあたり、簡単に言うと、社会の中で人に迷惑をかけないようにしましょうね、ということなのだが、学習指導要領解説を参考にすると、高校生の対応をどう考えるかに焦点が絞られていた。中学生になれば大体の生徒はそんなことわかっているわけで。学年主任が、道徳の時間は次はコレを全クラスで統一してやる、と言い出してから私は少し憂鬱だった。

実際に授業を進めたとき、何が起きたかというと、高校生の対応や態度も勿論悪いけれど、年配の男性の注意の仕方もおかしい、という意見がそれぞれ挙がった。そうなる予感はしていたというか、私もそう思っていた。反抗期を迎え、大人に対して敏感な中学生なので、彼らは私以上に大人に対して厳しい目で見ることは想像に難くなかった。だから学習指導要領解説の進め方は気に入らなかったし、かといって遵法精神・公徳心を深めるにはどうしたらいいかと考え、「では高校生はどうすれば良かったのか、年配の男性はどんな風に声をかければよかったのか、考えて実際にやってもらいましょう」と班活動で考えさせて、いくつかの班で実際に演技をしてもらう、ということを提案した。今の中学生がどんな風に注意されれば言うことを聞く気になるのかという参考にもなったし、やってみると案外楽しんで深めてくれたようで良かったように思う。元々道徳というものには答が無く、考えることに意味がある、と研修でも言われていたので、これで何かを考えるきっかけになれば良いかな、と思ったし、正しいと思っていることは間違いかもしれなくて、間違いは1つだけではないかもしれないと、その時思ったのである。そんなことを思い出した。

 

中学生くらいになると大体そんなことわかってる、と私が言ったくだりで、友人

「でも今は家庭でそんなこと教えてないかもしれないから、教えてあげないといけないのかもね」

と言ったので、確かにそうかもしれないなぁと反省していると「電車と言えばさ」と友人が切り出した。 

 「電車で座ってて自分の両脇が1人分ずつ空いててさ、そこに2人乗ってきて近くに来たら、横にスライドして空けることって、あるじゃん?」

「あるね」

「こないだ自分がそれで横にスライドしたら、その人たちお礼も言わずに黙って座ったんだよ、おかしくない?」

 「自分だったら、お礼は言うよ」

「だよね!でさ、これおかしくない?っていう話を友達にしてたら、『席が空いたところに座っただけだから、わざわざお礼とか言わなくない?』って言われてさ。別にお礼を言われたくて席をズラしたわけじゃないけどさ、気遣いに対して感謝の言葉を言うのって、当たり前じゃないの?」

 

時代だなあ、と思った。

私は友人の言いたいことも、気持ちもすごく良くわかる。それが時代なのか、土地柄なのか、個人差なのかはわからないけれど、他人に関して無関心で、優しくできない時代になっているな、と思う。人が人に優しくする暖かい話も、いつしかそれが本当か嘘か、そちらのほうが大事になってしまっているように感じる。それが良いとか悪いとかは私はあまり考えないことにしている。考えてしまうとストレスになるし、それが時代の流れであれば流されるしかないや、と流れにプカプカ浮いているのが私である。そして浮いているうちに、その流れが正しいと思ってしまうこともある。いま現在、私が座席を横にスライドする確率は、60%くらいだ。色々なことを見なかったことにして座席をホールドすることもある。しかしそれじゃダメだなぁと思ったので、スライドの確率を上げていきたい。

友人とはそういった価値観が割と合う、というか私が共感してばかりな気がする。友人と私で違うのは、「これおかしくない?」と自分の気持ちを言えるか、「時代だなあ」と流されてしまうか、というところである。こんな風に私が思ってるけど口に出さないような気持ちを代弁してくれるときが多々あるので、そういう時は心の中でイイネのボタンを連打している。そしてそういう時は、この人と友人で良かったなと思う。私が別れてしまった人とは、こういう話で共感できることは殆ど無かったな、とも思った。

 

そのあとは二人で3時間カラオケをした。

音楽の趣味は別に合うわけではないが、いつも二人でカラオケに行くときは、お互いがお互いの歌をなんとなく聴いて、なんとなく楽しんでいる。

「これはお前とカラオケするときにしか聴かない曲だ」

そう言って、友人はニヤニヤしながら私の歌を聴いていた。

 

 

好きだけじゃだめなんだ

何年か付き合っていた人と、先日別れを迎えた。

彼は別れたくないと言っていたし、私も別れたくはなかった。

 

彼のことは好きだった。

 

だけど、お互いにお互いを理解することが本当に難しくなってしまって、私がボロボロになって耐えられなくなってしまった。同じ部屋で暮らしていて、自分が当たり前だと思っていたことが、彼にとっては当たり前ではなくて、なんでわかってもらえないんだろうと思うことが毎日続いた。好きという気持ちだけで今までなんとかやってきていたけれど、自分が大切にしたいと思っていたことを大切にしてもらえない日々を過ごすうちに、好きかどうかもわからなくなってしまった。

彼のほうも理解しようと努力はしてくれていたし、私も彼のことを理解しようと努力はしていた。そう、お互いに努力はしていた。それでもやはり、私の心を打ち砕くような決定的なことが重なり、私は自分の気持ちを保てなくなってしまった。彼と私が唯一違ったのは、彼はそのことに対して、良くも悪くもナーバスになることは無かったことだ。私もそんな風に生きれたら、とは思うが、そんな風になりたくはない、とも思う。

 

私は、彼と共に2人の人生を歩むつもりでいた。おそらく彼は、彼自身の人生のひとつの要素として私という存在があっただけなのだと思う。パートナーでも家族でもない、彼の人生のアクセントのひとつだったのだ。その違いに気づいてしまった時から、私の中から好きという気持ちが少しずつ薄れていってしまった気がするし、彼と2人で描こうとしていた未来が描けなくなってしまった。

 

そして、彼は今よりも遠く離れた土地で生きることを決めた。

 

毎日一緒に居て、お互いが努力しているのにも関わらず分かり合えないのに、さらに離れて暮らすことになったとき、私たちはどんな関係になるのだろう。今よりも良い関係になるとは思えなかったし、これ以上苦しい思いもしたくなかった。私にとって彼がどんな意味を成すのか、彼にとって私は何なのか、考えても考えても、悲しいくらい良い答が出てこなくて、私は別れることを決めた。

 

彼のために、時間や友達、仕事、趣味、色々なことを犠牲にしてきた。今更戻れないという思いもあったが、それ以上に、私の人生で犠牲とするものをこれ以上増やしたくなかった。とはいえ、犠牲にすることを選択したのは私だし、その点について彼を責めるつもりは毛頭無い。もう私は大人なのだ。自分の人生を他人の所為にするほど、落ちぶれてはいない。そう自分に言い聞かせて、今は先のことだけ考えることにしている。

これまで何人かと付き合い、別れてきて、その度に色々なことを学んできたつもりだったが、今回学んだことは「お互いがどれだけ好きでも、二人でどう頑張っても、理解し合えない人間は、恋人や人生のパートナーになれない」という、当たり前といえば当たり前の、なんとも悲しい教訓だった。もし時間が戻せるなら、彼と出会う前に戻したいけれど、どうせできないことなので、願うくらいは許していただきたい。

 

 

彼と別れてから、誰かに話を聞いて貰おうと思った結果、私は元カレに連絡をとった。当時私の身勝手で酷いフリ方をしてしまったので、どんな顔をされるか些か不安ではあったが、数年ぶりに会った私の話を色々聞いてくれた。時が経つのは早いもので、付き合っていた当初20代前半だった元カレも、もう30になろうとしていた。

「そういえば前にTwitterで、どっかのゲイが『別れました』って報告をしてた時に、リプで『お疲れ様』ってその人の友達が言ってて、『お疲れ様って、それってどうなの?』って炎上してたんだよね」

元カレが場を持たせようとしたのか、何気ない話題をしてくれた。私もあと5年若かったら、Twitterに別れました報告をしていたかもしれない。

 

しかし私はつい先日、友人に別れを報告したときに「お疲れ様」と返事を貰っていた。

それに対して失礼だと思うことはなかったし、友人は私が恋愛に疲弊しきっている様子を何度も何度も見ていたし、時には手を差し伸べてくれていたので、その一言が私にとっては有難かった。うん、もう、本当に疲れたよ、とその返事を見ながら私は思った。Twitterで炎上したそのゲイのことは良く知らないけれど、何か疲れる恋愛をしていたのかもしれないし、単にそういう文化なのかもしれない。最近は理解できない若者やゲイの文化が増えてきて、年をとったなとしみじみ感じさせられる。

 

しばらく恋愛はいいかなぁと思うけれど、またそのうちするかもしれない。付き合いはじめの頃と比べると、気軽に遊べる友達が極端に減ってしまったので、また人間関係を一から始めないといけないのが出不精の私にとって最大の難関だが、前向きに考えて生きていかなければならない。

 

今30代半ばだが、思い返せば20代の頃、30代のキラキラした大人に何度もトキメいてきた。今度は私がそうなっていなければならないし、そうありたい。

 

 

一枚の付箋

職場の話。

 

私は現在、大学で派遣職員として勤務している。とはいえ、大学との契約が派遣というだけで、別の会社(ここでは本社と記述する)の正社員である。大学内の業務を業務委託として請負うために、派遣職員という形で所属し、業務の分析を行い、提案し、委託化するといったミッションを持っている。私は、業務委託を請負う本社の正社員なのである。昨年5月下旬に入社したので、まだ1年も経っていない上、全く知らない業種に1人で放り出されたため右往左往していたが、(自分で言うのは憚られるが)持ち前の能力とコミュニケーション力で無難にこなし、しかも新規開拓の職場で1人派遣で入っているところを、4月から2~3人の業務委託契約まで繋げた薄給の私は、会社的には充分貢献していると言えるのではないだろうか。


そんなこともあってか、本社が主催する下半期の優秀者の一人として推薦されることとなった。日頃から「この給料でこれだけ仕事する人いないですよ」と同僚や直属の上司(♀)に愚痴っており、その甲斐あって4月からは大幅に昇進することになったが、傍から見たらモンスター社員である私なので、多少配慮をされた形でもあると思う。先日、その推薦者が集まるパーティーに参加をしてきた。


推薦者が何人位いるのか、そのパーティーでは何が行われるのか、あまり知らないまま参加した私も悪いのだが、上司の「楽しんできて下さい」という一言を信じて某ホテルへ向かった。会場はホテル最上階のレストラン。普段大学で仕事をしているときはネクタイを締めないのだが、本社でノーネクタイだと色々言われるので、今回もそのパーティーだけのためにネクタイを締めて向かった。派遣先で許されていることが本社で許されないという、よく分からない風土である。というか、本社の風土はとても古臭い。1970年代に創立し、創業40年以上と私が生まれる前からある会社だけあって、古い文化が未だに残っている気がする。上司はどちらかというと私と同じ考えであり「今の制度は良くない」ともしている上で「変えようとしているが、正しいことを言うだけでは変えられないし、女性というだけで虐げられる。それに実力どうこうよりもゴマすりで伸し上がってきている人が殆どだから、逆に実力がある人は叩かれたりする」と言っていた。上司は歯に衣着せぬ物言いをする人なので、アグレッシブな表現をしてしまったのだろうということは想像できたが、会社のためになることを言ったり実行したりしているのに叩かれるとは。小学生が教室でマジメに掃除をしていたら同級生に「なにお前マジメにやってんだよー」となじられているのと一緒である。その話だけで社内の人間の器の小ささを表現するには充分である。


パーティーにはおそらく会社の重役や役職者が参加するであろうことから、彼らがどんな人間性なのかを確かめるのも一つの目的であった。果たして私は、この会社に居るべきなのか、給料は上がるのか、上に立つことができるのか、可能性を探りたかった。別に私は偉くなりたいわけではない。給料を上げたいのである。この会社でそうなるためには、偉くならないといけない。それなりの仕事をしてそれなりの対価を貰えれば私としては不満は無いし、なるべく早くそれなりの仕事をしたいと思っている。能力だけではなく外堀を埋めるような人海戦術も必要であるので、社内の役職者に顔を売る絶好の機会であると共に、自分の今後の判断をするきっかけとしたかった。

 

結果として、私は絶望した。

 

ネクタイをしっかり締めて向かったホテルの最上階の受付では、名札とプログラムが用意されており首から提げてレストランへ向かった。そこで出迎えていたのは、色とりどりの蝶ネクタイをつけた会社の重役や管理職であった。楽しい雰囲気を作り出したいのは分かった。私は中に入ってプログラムを見た。そこには私と同様に推薦された社員の氏名と部署と功績が書かれていた。全部で40名程であろうか。本社の社員の人数から換算すると全体の13%くらいであろうか。功績は一行で簡単に記されているので、どの程度貢献したかもわからないし、果たしてこれが貢献なのかも理解できないものもある。というか新規顧客とのそこそこの額の新規契約という、少なくともここ数年できていなかったことを1年もかけずに1人で行った私と同じくらいなのかというと果たして疑問である。もしその結果をこのパーティーのみで終わらせようものなら、温厚な私でもブチギレ確実である。


そんな私を余所にパーティーは始まった。重役の挨拶に始まり、予め指定されたテーブルで料理を食べる。同じ部門の人間が同じテーブルに集められたが、それぞれ違う場所で派遣や業務委託で働いているため、面識が全く無い。しかも職種柄、8名いるテーブルで男性は私だけであった。各テーブルには重役がそれぞれついて場を取り持つ予定だったらしいが、私のいるテーブルには重役が居なかったため、誰も口を開くことなく黙々と食べる行為のみが行われた。とはいえそれは忍びなかったので私が「皆さん初めましてなので自己紹介しませんか?」と口火を切って、なんとなく自己紹介が始まった。そういった役回りは割と得意なのでそれぞれの紹介を回していくと、不思議なことを言う人が何人かいた。

 

「私、なんでここに推薦されたのかわからないんです」

 

会社として業績を上げたわけでもなく、何か貢献したわけでもない人もどうやら居るようだった。おそらくだが、この推薦者たちは「各部署から必ず一人誰かを推薦しなければいけない」というルールの元に推薦されたのではなかろうか。そう思ったときから、私はこのパーティーの趣旨をなんとなく理解し始めていた。

 

これは、単なる飲み会だ。

 

上半期、下半期の推薦者を呼んで高価な食事を楽しんでほしいと謳いつつ、ただ飲み食いをする場なのだ。推薦対象者は40名、しかしそれ以外に所属長や管理職が20名ほどいる。表彰とは名ばかりの、ちょっとリッチな立食パーティーに過ぎない。集まった推薦者から、この場に呼ばれて嬉しい、という発言も無ければ、達成した充実感を顕わにする人もほぼ居ない。そのくせ、運営側の所属長や管理職はいかにも楽しそうにその場を過ごしている。目的が業績を達成した社員への還元であるのであれば、あまりにも運営側の独りよがりではないだろうか。


途中で席替えがあり、指定されたテーブルへ向かった。同じ部門だけでなく、他の部門の社員や重役とも交流を図れということだ。テーブルには2人の重役が居たが、どちらも私とは異なる部門であった。さて、どう出ようかと思っていたが、重役2人は自分の所属部門の部下とだけ話し、私を含む他の部門の社員とは名前を訊いたのみで以降は一言も口を聞かなかったのである。人見知りか。人見知りなのか。だとすると何のためにここに居るのか、その蝶ネクタイは飾りなのか。蝶ネクタイひとつで道化を演じられると思っているのなら浅はかなことこの上ない。しかも重役は社員にどんな仕事をしているのか聞くわけでもなく、ずっと自分の話をしているのである。部門の異なる私含め数人は取り残されたままであった。

重役2人のうち1人は取締役の男性だった。部下の綺麗めの女性とだけ楽しそうに話し、時折身体を小突いたりしてスキンシップを図っていた。いや、それセクハラやん。私は最近見た「セクハラと訴えた女性は嫌がっておらず拒否しているようには思えなかったとのたまう男性」というヤフーのニュース記事を思い出していた。

 

それでも金一封でもあればまだ我慢できる。それだけあればもう他のことには目を瞑っていい。と半ば諦めた気持ちで、ジンジャーエールと間違えて手にしたハイボールを飲みながら私は思った。そんな中、司会の女性社員がゲームをするとアナウンスしていた。

 

「ゲームは、本日来ている取締役3名にまつわるクイズです!」

 

ほう。

 

「商品は、なんと…金一封です!」

 

本日一番聞きたくなかったワードである。
商品として金一封が用意されているということは、ゲームに勝たなければ貰えないということである。説明によるとクイズは3択で勝ち残り制であり、取締役1名につきクイズ優勝者1名に商品がもらえる。つまり貰えるのは3名のみである。40名中3名、確率は10%以下。

 

「第1問、取締役Aさんの血液型は?」

 

知らねえ。

 

そしてしょうもねえ。

 

完全に運ゲーのクイズになんとなく参加するも2回とも初戦敗退。もはや勝っても負けても嬉しくない戦いであった。3回目も参加するかーと思い腰を上げたところ、どうやら3人目の取締役に関してはクイズではないらしい。

 

「取締役Cさんはクイズではなく、Cさんとじゃんけんして勝った人がもらえます!」

 

小学校の給食であまったプリンの争奪戦か、はたまた結婚式の二次会か。じゃんけんて。何度か勝ったが優勝できるはずもなく、怒りに任せて何度か拳で空を切っただけだった。ほとほと呆れたところで一本締めとなり、解散となったが、セクハラじゃないかと前述した取締役は、先程セクハラしていた女性社員の肩を抱いていた。取締役だし誰も言えないけど、私は忘れない。いつかの武器にとっておこうと思ったが、その写真を撮るのを忘れていた。

帰り際にお土産としてパウンドケーキを手渡された。引き出物か。私が欲しいのはケーキではない。お金も勿論欲しいのだが、一番欲しかったのは、「あなたのおかげで成功した、ありがとう」であった。心にぽっかりと空いた穴に、帰り道の北風が吹き込んでくる。なぜこんなに寂しい気持ちになるのだろう。

 

 

大学で派遣として働いているが、本社でこういうのに推薦されたんです、という話をしたら皆喜んでくれた。派遣先の所属長ともう一人にしか伝えていなかったのだが、当日の朝には部署の皆が知っていて、おめでとうと言ってくれた。いつも私にお菓子を与えて餌付けしてくれる女性社員がいるのだが、その人は大きめの付箋に"表彰状"として日頃の感謝の気持ちを手書きで綴り、私の机に貼ってあった。


私は、人の心を動かすのは、最終的には人の心だと思う。派遣先の職場の人たちが本当によくしてくれて、その人たちの為に頑張ろうという気持ちになる。私は高いディナーよりも、お土産のパウンドケーキよりも、金一封よりも(貰ってないけど)、派遣先で頂いた一枚の付箋のほうが嬉しかった。同時に、自分の本社に対する憤りは増し、今後の身の振る舞いを考えていかなければならないな、とパーティーの招待状をシュレッダーにかけ、ノートに付箋を貼り付けた。

足りないピース

弟の話。

 

年末年始に特に予定は無く、一人で紅白を観るのもなんだか味気無いなと思い、仕事を納めてから割とすぐに、実家に帰ることにした。母に訊いたところによると、年が明けてからは、弟家族も妹家族も実家に集合するとのこと。家族、という表現をしたが、弟も妹も結婚しており、共に子供が3人ずつ居る。つまり私にとっては甥と姪が、両親にとっては孫が、現在6人いる。両親と私を含めると、年始は13人が実家に居ることになる。

 

年末は両親と3人でのんびりだらだら過ごし、年が明けて妹家族が到着してから一気に実家は嵐のようになった。妹の子供は一番大きくて5歳、一番下は0歳。遊ぶ、笑う、喧嘩する、泣く、眠るを繰り返し、あらためて子供のもつエネルギーの大きさに驚く。果たして私はこんな子供であったのだろうか。

子供がひとしきり動いておとなしくなったあと、両親・妹夫婦と私でお茶をしていた。その際に、先日あった弟との話題を出した。弟と会話が上手くできなくて、悲しくなったよと。欠席裁判のような感じがして少し後ろめたかったが、他の家族がどのように弟と関わりあっているのか知りたかった。最もその話を面白がっていたのはであり「えー!そんなことも話したのー?」と教室で恋バナをする女子高生のように食いついてきた。

そんなリアクションをはじめとして、弟に対する見解は皆、割と同じ方向を向いていた。母も妹も、弟と会話するとやり込められたような気分になるらしく、私と抱く印象はほぼ同じであった。父は何も言わなかった。どういう気持ちなのかはわからないが、言いたくないことかもしれないので私は何も訊かなかった。驚いたのは妹の旦那である。

「あの人は我が強いからなぁ」
そう言ったのだ。

我が強い。妹の旦那にとって弟は義兄であるが、丁寧な人だと思っていたので、そんな彼に我が強いと言わせるような何かが、彼と弟の間にあったのだろうか。

 

しかしとんでもないことである。

弟を擁護する様な意見が一つも出てこないのである。
そしてそれに対してヤバいんじゃないかと思っている人間がおそらく私しか居ない。明日実家に帰ってくる弟に居場所はあるのだろうか。平和な正月を過ごせるのだろうか。

 

そして弟家族が実家にやってきた。弟も生まれたばかりの一番下を含む3人の子供を連れてきたので、リビングはごった返していたが、家が大きめなのでなんとかなっていた。実家は大きめの一戸建てだが、それを見越してこの大きさを建てていたのだとしたら、父は賢い選択をしたと思う。

折角家族が集まったのだから、と夕飯を実家でとる際に父の姉である伯母夫婦を呼ぶことにした。伯母夫婦には子供はおらず、そのため私たち兄弟は小さい頃からとてもよく可愛がってもらった。よって夕飯時には15人となった。流石に15人で囲めるほど大きいテーブルは無かったので、ダイニングに大人が、ひとつづきのリビングに子供たちとその母親がつき、夕飯を食べていた。

自然にというか、案の定というか、伯母夫婦もよく喋るので昔の話に花が咲いた。長男で一番よく可愛がられていた私に関する話が多いので、その度に妹の旦那は「またお義兄さんの話ですか!」とツッコミを入れるが、もうそんなことには彼も慣れているのでその言葉を潤滑油にして話はまた広がっていく。妹の旦那は、そういった空気を読んだりバランスをとったりするのが上手である。いまだ父に冷たい態度をとる妹は見習うべきだと思う。

 

そこで事件は起きた。

話は私たち兄弟が小学生の頃に遡った。私は気づいたら習い事をさせられていた。ピアノ・水泳・サッカー・英語、今思えばよくあれだけやれたなと思った。妹はサッカーではなく新体操だったが、ピアノと水泳と英語は気づいたら兄弟皆やっていた。しかしピアノに関しては、私と妹は中学終わりまで習っていたが、弟は小学校の3,4年くらいで辞めてしまった。伯母はそこに言及したのである。

私はそのとき食卓におらず、台所で洗い物をしていた。田舎のため、洗い物や家のことは女性がやるような風習があるのだが、妹も弟の嫁も子供の相手で大変なので、嫁が居ない私が自発的に洗い物を行っていた。一人で帰ってきてもちゃんと家のお手伝いとかはしますよ、嫁とか必要ないですよ、という無言のアピールでもある。

ダイニングと台所はひとつづきなので、顔も見えるし会話も聞こえる。すばやく食べ終わった私が色々と洗っていると、伯母の声が聞こえてきた。

「そういえば、2人ともピアノ続けてたけど、あなたは途中でやめちゃったわねぇ」と。

別に嫌味でもなんでもなく、思い出したように言った伯母に対して、は言った。

 

「あれは、教育方針が間違ってた」

 

…えっ

 

…どういうことなの

 

一瞬、弟以外の全員の表情が凍りついたのを私は見逃さなかった。

しかし弟はそれだけでは終わらず、何がどう間違っていたのか説明し始めた。幼少期に強制された学習は~とか、やりたくないことをやらせ続けると~とか、そんなことを言い出し、最終的にはもう一回「教育方針が間違ってた」と言って締めたのである。

弟に力説された伯母は、悲しい顔をして一息つき、こう言った。

「そう…あなたは、そう思うのね」

 

弟よ、いま間違っているのは、君だよ。

 

 仮に昔の教育方針が間違っていたとして、それを指摘したところでどうしたいのか。同じ食卓に居る自分の両親を非難したいのか。自分のせいではないと主張をしたいのか。

伯母さんがそんな話をしたのは君を非難したいわけでも反省してほしいわけでもないよ。ただ昔の話をしたいだけだよ。もう何回会えるかわからない伯母さん夫婦と食事をしているんだから、どうせなら楽しい気分で帰ってもらいたいじゃない。久しぶりに元気な姿が見れて良かったわ、楽しかったわって、そう言ってもらえるように持て成すのが、昔可愛がってもらった甥と姪の役目であり、仕事であり、思いやりではないのか。伯母さんにそんな言葉を言わせるなよ、と私は怒り心頭でその会話を聞いていた。

しかし私がここで怒るのは得策ではない。一番ベストなのは同じテーブルにいる父が何か言うことだ。別に他の話でもいい、会話をリードしてくれ。これ以上弟に喋らせないでくれ。そんな私の願いを余所に、父は何も言わずに夕飯を頬張っていた。父よ。ああ、父よ。教育方針が間違ってたって、親のあなたを否定していることにもなるんですよ。黙ってたら認めてしまうことになるじゃないですか。悲しいからそんなことにさせないで。そう思っていたが、この件に関して父が食事以外のために口を開くことはなかった。

 

決して家族仲が悪いわけではない。ただ時々、どうしてもピースが見つからないジグソーパズルのような状態になる。そのピースは父が持っていたり、母が隠していたりして、ひとつの絵にはならない、穴があいた状態になるのだ。私はその穴が嫌いだし、だから色んな方法で埋めようとはするのだが、すべてのピースを持っているわけではないし、同じピースでもはめられる人とそうでない人がいるのだ。

結局「そういえば前に~」と話題を変えたのは妹の旦那だった。できる、あんたできる人だよ。もうあんたが弟でいいよ。

 

後からあれは間違いだったと言うことなんて簡単だけど、両親の場合はそうだっただけだと私は思うので、決して間違っていたとは思えないし、思っていたとしても伝えたところで過去は過去である。

教育方針が間違っていたと言っていた弟には、いま子供が3人居る。彼はどんな子育てをし、どんな家族を築くのだろう。それを隣で聴いていた弟の嫁は、どんな気持ちでいるのだろう。

まだ何もわからないであろう6人の子供たちを見て、彼らのこれからが幸せでありますように、と願いながら、私は次々と増える洗い物を片付けていた。

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