ゲイがつらつらと書くブログ。

誰にも言えない人生を

最近、週末に会ってご飯を食べる人が居る。5個以上年下だが、落ち着いていて笑顔が素敵な人である。これは恋愛に発展するのかもしれない、と思っていたが、何回か会い、楽しい時間を重ねるうちに、私の中であまり気持ちが盛り上がらなくなってしまった。理由はよくわからない。性的な興味も今はそこまで沸かない。年をとると、恋愛の仕方も変わってしまうんだろうか。そんなことを考えながら、私は友人と電車に揺られていた。

 

この週末に、私は友人と少し離れたスパ銭に向かった。電車で片道1時間以上、普段はあまり乗らない京王線に乗り、なんだか少し豪華で柔らかいシートに座りながら、私は友人にそんなことを話した。

実は、友人ではなく、元々は週末に会っていた彼を誘っていた。日々の仕事に疲れていた私は久々の土曜休みだったが、このままでは土日まるまるぼんやりしてゴロゴロした週末を送ってしまうと思い、予定を入れる算段を立てた。疲れた身体にはデトックスデトックスといえば岩盤浴の方程式を立て、出した解は彼を誘うというものだった。私は彼に暇?とメッセージを送ったところ、暇だと返事が来たので、遊ぼう、と送った。

私と彼の共通点は優柔不断なところである。お互いの時間が合ったあと、その後何をするかで決めるのに物凄く時間がかかる。二人ともアレしたいコレしたいということはあまり拘りが無く、なんとなくご飯を食べて終わる、というのがここ何回か続いていた。今回は私にしては珍しく、岩盤浴に行きたいという手札があったので、それを切った。しかし彼の反応は私が思っていたものとは違った。行きたいと伝え、からの「どこ行く?」という問いに私は2つの選択肢を提示したが、「片方行ったことある」と返事がきたところで、私はなぜか行く気が無くなってしまった。彼が行きたいのかどうかわからなかったのである。行きたくないなら無理に行かなくてもいいと思ったが、行きたいの?行きたくないの?みたいな質問をしたくなかったし、無理矢理付き合わせるのもストレスがたまるからである。

せっかくの休日にストレスを溜めたくなかった私は、理由は言わなかったが、なんか行く気がなくなってしまった、と正直に伝えた。彼は別にそれを気にしているわけではなく、「また気が向いたら言ってね」という趣旨の返事をくれた。気まぐれな人だと思われたのかもしれないし、私の気持ちには気付いていないかもしれない。少なくとも彼との予定が無くなったことで、私の心理的負荷が軽減されたのは確かだった。

しかしどうにかして行きたかった私は、友人を誘うことにした。予定が空いていることを確認し、私が岩盤浴に行きたい旨を伝えたところ、「いいね」と返事をくれた。私が欲しかったのはコレである。どこかへ誰かと行く時、こんなところ行きたいと言った時に、賛同してくれる言葉こそが、私の求めていたものである。私のモヤモヤをたったの3文字で解消してくれた友人は、私の2つの選択肢を検討するばかりか、施設を私よりも細かく調べて割引チケットまで購入してくれた。なんとなく行ってなんとなく帰ってこられればいいと思っていた私とは大違いである。

揺られた電車の中で、私はそういった経緯があったことを友人に伝えた。加えて、冒頭に書いた、年をとったら恋愛の仕方が変わって、恋に溺れたりすることは無くなっていくのかなぁ、と意見を求めた。はこのブログを時々見ているらしく、「またネタを提供するようだけど」と前置きしてから言った。

 

「僕は付き合うときはいつも、相手が自分の手中に入るように攻略するのを楽しむから、恋愛に溺れたりとかは無いよ」

 

そうですか。

でも、自分にもそんな経験はあった。自分のことを好きになるように悪戯してしまったことや、好きにさせるだけさせて結局傷つけてしまったことが、私にはあった。誰にも言えないような非道い方法で、簡単に人を傷つけてしまったことも、私にはあった。そして当時も今も、その竹箆返しっぺがえしを食らっている。

「それって、落とすだけ落として傷つけたりしないの?」

私は聞いた。友人がそうであったとしても私は咎めることは出来ないが、昔と今の私を重ねた。けれど、友人のそれは私のそれとは違った。

「落とした人とは、ちゃんと付き合うよ」

言葉として適切かどうかでいうと不適切だが、偉いなぁ、と思った。自分のしたことに責任をちゃんととることは、大人として、一人の人間として至極当然であるのだが、昔の私は自分を棚に上げて、好き勝手やっていたなと思った。「あまり好きでもないのに落としてしまった人とも付き合うけど、気持ちが入ってないからいつ付き合っていつ別れたのかあんまり覚えてない」という台詞はこの際聞かなかったことにした。

 

辿り着いたスパ銭の駅は、友人が元カレと付き合っていた頃の元カレの最寄駅だったらしく、友人は駅の写真を撮ってその元カレに送っていた。私は恋人と別れた時、大抵良い別れ方をしないことが多かったので、元カレとは連絡をとらない。付き合う前から別れることを前提に考えるのは本末転倒かもしれないが、次に別れることがあるとすれば、どちらもなるべく傷つかない形でありたい。

どこかで何かをしたとき、例えば誰かと食事に行ったとき、こんな風にどこかへ出かけたとき、今回はブログに書いているが、私は誰にも言わない。SNSでは、何をした、どこへ行った、誰と会った、そんな情報で埋め尽くされているが、私はなんとなく発信することが憚られている。別に悪いことをしている訳ではないが、たぶん、私とその相手の間に誰も入ってきてほしくないと思っている。誰かが入った瞬間に、思い出が汚されてしまって、関係性が壊れてしまう気がして。こんな風に、私は誰にも言わないことを、誰にも言えないことを重ねながら生きてきた。

 

そんな私だが、最近よく聴く歌がある。

アイドルが好きで、アイドルソングに胸キュンすることはあるが、歌に自分を重ねたことは殆どない。そんな中、今の私に響いた歌がある。

 

誰にも言えない人生を、抱きしめさせてよ。
汚れても、泥まみれで進んだのを、不純だなんて思わない。
やり直さない。消さなくていい。
そのままで素敵な君なんだ。

 

そう言ってくれる人もいるんだなぁ。そしていつか、そんなこと言ってくれる人が傍に居てくれるといいなぁ。汚れたのも、泥まみれになったのも、私の場合は殆ど自分の所為だけれど、そんな自分を見ないようにしてきたし、無かったことにしようとしていた。肯定することはできないけど、無かったことにしなくても良いって、そんな自分もいるんだって、いい加減認めなきゃいけないなって、誰にも聞こえないように、岩盤浴で汗を流しながら、この歌を口ずさんでいた。

 

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