知らないままのほうがいい

私は以前、友人との話をマンガにして
Twitterに載せていたことがあった。

絵は時々描いていたが久しぶりで
しかもマンガを描きだしたので
文字列での私しか知らない人には
ビックリした事案かもしれない。

3月で仕事を退職し
転職活動をしていたのだが
日中朝から晩まで転職活動はできず
どうしても時間を持て余してしまう。
私の性格上ダラダラ過ごしてしまうので
いつか買おうと思っていて買えなかった
ペンタブとお絵描きソフトを購入し
腐る前に趣味に没頭することにしたのだ。

「エッセイストになったの?」
と知人から言われたが
エロやギャグを描く力が無いので
淡々と友人との話を描いていただけだ。

 

マンガを20個ほど描いたところで
私と友人の話は一旦締めたのだが
一番最後の話はなんとなく、
どうとでもとれる話にしてしまった。

友人
「性格も趣味も考え方も違うのに
 俺達どうして友達で居れるんだろうな」
と言ったことに対して、
「さぁ…なんでだろうね」と答え
「わからなくてもいいんじゃないかな
 知らないほうがいいことかもしれない

と、一人で想い耽るシーンで終幕。
曖昧な空気を残したまま終わった。

それに対して観て頂いた方から
「これ、友人のことが好きなパターン」
「悲しい結末だ」
という感想を頂いたのである。

というか、そういうミスリードは狙ったし
真実は読者の想像にお任せします
といった幅をもたせるみたいな
そういうことを、してみたかったのだ。

 

「あの話は、あなたのことが好きだとか
 そういう話じゃないからね」
私は念のため友人に言った。

「大丈夫だよ」と友人は答えた。

何が大丈夫なのかモヤモヤしたが
彼が大丈夫だと言うのなら
おそらく大丈夫なのであろう。

 

友達とはなんなのか。

私が友達と思っている多くの人は
共通の趣味の数や価値観の一致である。
一緒に楽しめるものが多ければ多いほど
価値観が同じものが多ければ多いほど
お互い理解しやすいし楽しいものである。

しかし私と友人に関しては
そういったところはあまり多くはない。

 

「知らないほうがいい」と表現をしたが、
わかっているけど教えないのではなく
私自身もわからないのである。

 

友達をランク付けするつもりは無いが
共通の何かが多かったり
他の人よりも特に優しくしてくれたり
共感できることがとても多かったり
めっちゃタイプだったり、と
複数の人がそこに存在してしまう限りは
多少なりとも比較してしまうものである。

それによって
「AよりBのほうが仲が良い」
「CよりDのほうが一緒にいて楽しい」
のような順位が自然とできてしまう。

 

そして時に、例外の人物が現れる。

私にとって友人はそういう存在だし
友人にとっても私はそういう存在らしい。

性格も趣味も好みも価値観も違うけれど
干渉もせず喧嘩をすることもない。

だけど困った時には助けたいと思うし
実際、力になってくれている。

 

他の友達と比較するにしても
なんだか別の所にいるような存在なのだ。

なぜ今のような関係になれているのか
全くもってわからない。

 

でもそれで良いのである。

 

理由や条件がわかってしまったら、
より条件の良い人がいたら
その人が素敵な友達になってしまうので

私達は特別な存在ではなくなってしまう。

そして友達の条件に1つカテゴリが加えられ
数多くの友達の中に納まってしまうのだ。

 

だから私は知りたくもないし
知らないままのほうがいい、と思う。

私と友人が、私と友人であるために。

 

 

シュレディンガーのバリネコ

私はイケメンではない。

以前、元彼に私の容姿レベルを聞いた際
「程よく手を出し易いブス」と揶揄され
それはそれで腹が立つ表現ではあるが
つまり客観的にもイケメンではない。

そんな私は恋愛を確率論で考える。
あの人と知り合える確率はこれくらい。
セックスができる確率はこれくらい。
付き合える確率はこれくらい。

その確率とフられたときのダメージを
天秤にかけて動くのである。

 

イケメンはサイコロを振らない。

容姿が評価され得をする世界では
私の用いる天秤など使わなくとも
大抵の男は手に入れられるのである。

好意をもたれることが多い分
自分への接し方がどうあるかで
好意の有無を判断できる余裕もあり
それがしばしば魅力に輪をかける。

 

蓼食う虫も好き好きとは言うが、
自分を良いと思ってくれる人って
どういう人なのか、
そしてどこが良いのか
いつしか不安になってしまうのだ。

自己顕示欲や承認欲求は
そんな不安から生まれるのではないか。
自分への興味があるのかどうか
そんな人がいるのかどうか確認し
更にふるいにかけて確率を上げるのだ。

と私は思っている。
やり方は人それぞれだと思うけど。

 

 

私は友人と天ぷら蕎麦を食べていた。

友人との話をマンガにしたところ
なんとなく反響があったと話したら
友人も悪い気はしないとのことだった。

「描いて欲しい話がある」

友人がに何か要求することは
あまり無いことだったので
「どんな話?」と訊いた。

「アレだよ。質問箱。よく見るじゃん」

「よく見るね」

「アレさ、どうにも理解ができない。
 匿名の質問を受けて答えることに
 何の意味があるのかわからないし
 アレをしてる人ってなんか幻滅する」

 

自分は他人にどう思われているか
そんなことは気にしない友人にとって
質問箱のシステム自体も
利用する人の理由も
おそらく共感できないものなのだろう。

そして、共感できないそのシステムを
何度も何度も多用している人に
嫌気がさしたのではないか。

「そのことについてマンガにして
 皆がどう思っているか確かめたいんだ」

成程、成程。
やりたいことはわかった。

でも私がマンガでやりたいことは
そういうことではないのだ。
誰かに疑問を投げかけたり
意見を訊く為に描いたのではない。

 

あれは日記だ。

 

私と友人のエピソードを
つらつらと日記にしただけなのだ。
大切な写真を集めて
アルバムにしたようなもの。

「だから申し訳ないけど
 マンガには出来ないよ」

友人は残念そうだったが
今回こうやってブログにしたので
良しということにしてもらおう。

 

 

ホームページ全盛期時代には
100の質問」というものがあった。

知らない人のために説明すると
100個の質問のテンプレートを使い
答えてプロフに貼り付け、
自分のことを知ってもらうものである。

私はこういう性格です。
こういうことに興味があります。
こんなことを考えています。
そんな情報を質問の答に散りばめ
自分に合う人に見つけてもらうのだ。

SNSのプロフィール欄に
好きなものを羅列して書いているのと
同じようなものである。

おそらく質問箱は、現代の100の質問

その質問が予めわかっているか
誰から何が来るかわからないかの違い。

 

質問箱は、猫を入れた箱だ。

ただ、箱の中の猫が生きてるかどうか
そんなことは問題ではない。

 

生きているのか、死んでいるのか。

大切なのは、
自分がそれを考えてもらえるような
猫であるかどうかなのだ。

観る人が観れば
生きているかもしれないし
死んでいるかもしれないし
どちらでもないかもしれない。

 

だけどその箱は猫にとっては
誰かが自分に興味をもってくれると
信じてやまない希望の箱なのだ。

 

 

セクショナリズムとアンチテーゼ

とても良い天気である。

GWに山登りをするために
友人は電車に乗っていた。

 

久しぶりの非日常な世界に
私は幾分興奮していた。
行く前は腰が重いけれど
いざ行くとなんだかんだ楽しめる。

Twitterとか見てるとさ
 色んな人がドコ行ったココ行ったって
 やっぱりなんだか羨ましいんだよね」

殆ど旅行に行かない私は本音を漏らす。
行けばいいと思われるかもしれないが
行く友達も行きたい場所も思いつかない。

友人は「そうだよね」と言った後、
「たしかに、何人かで旅行って
 楽しそうだし、いいよね」
と続けたが、私は疑問を感じていた。

「そういえば、よく旅行とか行くけど
 大抵1人か2人で行ってるよね?」

そうなのだ。
友人は私と違ってよく旅行に行く。
1人で行ったり、彼氏と2人で行ったり。
何人かで行った話を聞いたことがない。

「思ったんだけどさ」

友人はポツリポツリと話し始めた。

 

「何人かで行く旅行とかってさ
 基本的に仲の良い友達と行くじゃん。
 例えばそこにあまり知らない人がいたら
 気も遣うし楽しめないこともあるよね」

「すごく、わかる」

花見とか、飲み会とか、
全員が友達なら良いのだけれど
知らない人が1人混じっているだけで
なんだか自分の居場所が
不安定でフラフラしているような感覚。

半分以上知らない人だった場合は
もはや合コンだよねコレは、と思う。

「なんか、ある程度仲良くなると
 仲良しグループみたいなのが
 できたりするじゃん」

「できるね」

「それで、そういうグループって
 他を寄せ付けない感じの空気になって
 独自の色に染まっていくんだよ」

「それ、なんとなくわかる。
 すごい楽しそうだなと思うし
 この人たちと一緒に楽しみたいなとか
 思うこともあるんだけど、
 絶対入れないし入れさせないよって
 圧力みたいなものを感じたりもする」

「入れさせないとかは
 無いと思うんだけどね」

私の表現が下手だったせいか
友人は笑った。

 

「でさ、俺はそういう風に
 染まりたくないなって思うわけ」

 

私と友人は、人間性は大きく違うけれど
どちらも一匹狼である。

私はそもそも友達自体が少ないし
ここ何年か仕事が多忙で誘いを断ってたら
いつしか声がかからなくなってしまった。

20代でよくつるんでいた友達は
それぞれ別の道を歩んでいる。
ここ最近そのうちの1人と偶然再会したが
それはまた別の話。

 

かくいう友人には友達はちらほらいて
自宅で何人か集めてゲームしたりしている。

「けどほら、家に集まって
 なんか遊んだりしてなかったっけ?」
私は疑問を口にした。
結局はグループに所属してない?

「あれは同じ趣味の人が集まって
 ただゲームをしているだけであって
 一緒に旅行に行くとか
 他の場面で会うことはない」

「そうなんだ」

「それにさ」

「うん」

 

「やっぱり一人は寂しいから
 染まりたくはないけど
 どこかのグループには居たいっていう
 そういう気持ちもあるんだ」

 

「そうなの?」
友人は1人で生きていけるだろうと
勝手に思っていたので少し驚いた。

集団に対しての帰属意識
持ちあわせているけれども
強い同族意識には賛成できないのは
共感できるところはある。

私は染まるのも悪くないと思っているし
どこかに所属できたらいいなと思う。
染めてくれる人達がいるなら
何色でもいいからお願いします
と、ここで主張したい。

もう30代も半ばの私にとっては
1人で新しいグループを作り
一から染め上げるのは相当疲れるし
染めるのは白髪だけで充分である。

 

「だけど俺には難しい」
友人は、かぶりを振った。

「そうかな?
 入ろうと思えば入れるんじゃない?」

「たぶんね。
 でも入ったあとが大変だから」

「大変なんだ?
 恋愛沙汰でトラブルとか?」

「そういうのもあるかもしれないけど
 そういうグループに所属するとさ
 色々な付き合いが発生するわけ。
 毎週のように会って飲んだりして
 やれ誰々の誕生日だ、お祝いだ、
 花見だプールだクリスマスだ、って」

「うん」

「そんなに沢山付き合いきれないし
 行かなかったら行かなかったで
 後ろ指をさす人も必ず出てきて
 ギクシャクしたりするんだよ」

まして自分の性格だから
相性の悪い人と必ず喧嘩になる
と友人は言った。

「難しいところだね」

 

得てしてそういうグループというのは
プライベートについて共有をする。

友人は自身のことについて話すのは
あまり好まないので、
隠し事ナシだよ、みたいなノリが
見えた瞬間グループを脱退しそうである。

「かといってどこかのグループに
 時々入ってしまうこともできるけど
 いざ入っても居るだけになる」

「たしかにね。
 自分が知らない話題で盛り上がられたら
 なんだか寂しいし、かといって
 自分がいるせいで話題を選ばれるのも
 なんだか申し訳ない気持ちになるなぁ」

「結局さ、自分が無駄だと思ってる
 飲み会だったり付き合いだったり
 そういうのって
 グループに居続けるための
 必要経費なんだな、と思ったんだよ」

 

 

必要経費。

 

 

なんだかその言葉に妙にリアルさを感じて
背筋がゾゾゾっとした。

 

お酒が好きで集まって飲む人達にとっては
それが目的なので経費とは思わないが
友人のように飲むのが好きでなければ
飲み会の集まりは不要な出費でしかない。

 

なんだか職場の飲み会に似ている。

私はお酒があまり飲めないので
職場の飲み会は完全に付き合いである。

お酒を楽しむこともないし
腹を割って話すこともない。
恋愛とか結婚の話は振らないで欲しいし
まぁタイミングがあればぁ~
とか、そんなことを適当に答える。

それに引き換え、友人ときたら
職場の飲み会にも一切行かないのである。

 

「俺は、したくないと思ったことは
 できるだけやりたくないし
 我慢とかもしたくないから
 やっぱり仲良しグループみたいなのは
 向いてないんだと思う」

「たしかに、向いてないかもね」

「でも、何かのグループには居たいから
 ゲーム以外では集まらない
 あのグループの中には入っているわけ」

「そういうことなんだね」

 

あ。

 

ひとつ思いついた。

 

「2人でグループを作ってみようか。
 そういう面倒な付き合いが無いやつ」

「提案としてはいいけど…」

「けど?」

 

 

「この2人に入れそうな人、誰か居る?」

 

 …

 

 

 ……

 

 

「…居ないね」

「そうだね」

私と友人は隣り合って笑った。

 

 

居ないけど。

 

 

居ないほうがいいかな。

 

 

もし居たとしたら
きっと今の2人の関係では
なくなってしまうような気がして。

 

 

 

NOと言える男

いくつになっても、怒られるのは嫌だ。

悪いことをしたときに注意され
あわよくば叱咤され、叱責され
嫌な気持ちになったことは
おそらく誰にでもあると思う。

そして怒られた時は
怒っている相手を嫌いになるのも
よくある話だと思う。

その結果、人の行動基準は
「怒られるか」「怒られないか」になり
優しい人の定義は
「怒るか」「怒らないか」になったりする。

 

友人は、好き嫌いがハッキリしている。

いや、好き嫌いと言うのは正確ではない。
彼の中での善悪が非常に明確なのである。

あれは良い。
これは悪い。

しかもなんとなく、とかではなく
1つ1つの判断に根拠をもっている。
そしてそれを相手にズバッと言える。

それが故か
優柔不断な姿勢は彼を苛立たせるし
うやむやな態度を良しとしない。

そんな自分のことをを苦手とする人も
少なくないと、友人は言う。

「俺は面倒くさい人だと思われるから」

悩みであるのかないのかわからないが
いつだったかそんなことを言っていた。

は優柔不断でフラフラしているので
そんな友人となぜ上手くやっていけるのか
それは未だに疑問である。

 


もう何年も前の話になるが
私には荒れていた時期があった。

 

当時付き合っていた彼氏に散々浮気され
その事実を知った私も憤慨し
それ相当の浮気を繰り返していた。

よくないことだということも
同じことをして自分の価値を下げるのも
浮気相手に失礼なことだということも
わかっていながら、行為をすることで
心の荒みを和らげていた。

 

友人とは暗黙の了解というか
お互いの性生活に興味が無いので
あまりそういった話をしないのだが
ある日心のバロメーターが臨界点に達し
友人の家でそのことを話した。

ボロボロの状態で私が説明すると
友人はこう言った。

 

「同じことをしているのなら
 相手のことを悪くは言えないね。
 お互い様じゃん」

 

正論である。

 

心のどこかで、友人ならば
味方になってくれると思っていた私は
救われるどころか
突き落とされた気持ちにすらなった。

他の友人に話した時は

「それは辛いね」
「大変だったね」
「別れちゃえばいいのに」

と言われることが殆どだったので
友人のその一言は衝撃的で
まさに痛恨の一撃として
私に大ダメージを与えた。
ベホマを期待していたら
ザキを唱えられた気分である。

 

「でもさ」
友人は続けた。

 

「彼氏のこと、好きなの?」

 

「別れたくは、ないの?」

 

私は膝を抱えながら
「うん」というのが精一杯だった。

 

そう。
好きなのだ。
別れたくはないのだ。

そして他の誰かには
どうすることもできないし
最後は自分で決めるしかないのだ。

 

「そしたらさ」

友人は、私のために
言葉を選びながら言った。

 

「もうこれ以上無いくらい傷ついて
 本当に本当に嫌になって

 別れたくなるのを待つしかないね」

 

うん。

 

そうだね。

 

結局はそうなのかもしれない。

どんなに他の人に何か言われようとも
好きなものは仕方がないし
別れたくないものはどうしようもない。

それでいて私は
結構頑固な部分を持ち合わせているので
私の気持ちが変わらない限りは
今の関係が変わることはないのだ。

 

おそらく友人は
それを私に気づかせようとしているし
この件に関して友人に出来ることは
それ以上何も無い、という意味も含んでいた。

他の友人たちの優しい言葉も勿論嬉しい。

ただ、友人は私に真実を吐きつけ
言うべきことを言うだけだった。
それが私の為だと友人は思ったのだろう。

私にそういうことを言ってくれるのは
友人くらいなものだし
私に必要な言葉を選んだのだと思う。

 

「ありがとう、もう帰るよ」
私は友人宅の玄関へ向かった。

「また辛くなったら、言えばいい」

友人の言葉を背に、扉を閉めた。

 

「また辛くなったら」とは言われたが
既に帰り道の足取りは重い。

苦しいものは、苦しいし。

辛いものは、辛いし。

「好きなものは、好きなんだなぁ…」

 

自分で何言ってんだろうなと思い
私の口からフフッと笑いがこぼれた。

 

 

行き先が決められない

人と会うのが苦手だ。

といっても会うこと自体は苦手でなく
初対面でも割と会話はできる方だと思う。

 

行きたい場所が無いのだ。

 

幼い頃から絵を描いたり
ピアノを弾いたりゲームをしたり
とにかくインドアな生活をしていた為か
外に遊びに行くことについては
そもそも行きたいところがないので
計画すら立てられない始末である。

かといって外に行くのは嫌ではなく
誘われれば尻尾を振って付いていくし
行ったら行ったで楽しめるのだ。

 

ただ、何をしたいかと訊かれても
アレがしたいコレがしたいという欲求が
他の人よりも極端に少ないと思う。

でもSNSとかで誰かがどこかで何かして
楽しそうにしている姿を見ると
いいなぁ~とも思う。
が、自分から動く気にはなぜかなれない。

 

友人は計画的に物事を進める。

旅行に行ったり、遊びに行ったり
誘われる時には大体プランがある。
私はそれに反抗することなく動くし
お互いに楽しむことができるので
Win-Winの関係だと勝手に思っていた。

 

GWも間近な4月下旬。
私のスケジュールは空っぽだった。

 

出不精な自分が今年目標としていた
「月1でナイトに行く」というのは
早々と3月で頓挫してしまい
どこか行きたいけど相手も場所も無い
という崖っぷちの状態であった。

 

その昔、GWのすべてを使って
CPUを相手に桃鉄を1人で99年やったり
ペルソナをずっと周回していたり
そんな経験もあった私は
最悪1人でもいいかと思いながら
何人かに連絡をしたが時既に遅し。

そうだよね、みんな予定もうあるよね。

ダメ元で友人に連絡をとった。

友人には彼氏がいたので
奴のことだから2人でどこか旅行にでも
行っているんだろうと予想しながら。

「助けてください
 GWの予定が何も無いんです」

友人からはすぐに返事が来た。

「5月3日なら、空いてるよ」

 

神よ。

まだ私は救われる余地があったのですね。

 

「どこか行きたいところあるの?」

「特に希望は無いけどどこかに行きたい」

いつもならここで
「じゃあここ行こうか」と友人が提案し
私がそれに便乗する形になるのだが。

「行きたいところ言ってくれれば
 一緒に行くよ」

 

計画と違う。

しかしここで無いと返すのは危険だ。
いつもの友人の返しではない。

 

たぶん友人に何かがあった。

 

そう直感した私は、
とりあえず幾つかジャンルを挙げてみる。

「温泉」「どこの温泉?」

「映画」「なに観たいの?」

「スカイダイビング」「予約は?」

 

詰みである。

 

しかしまだ4月。
まだ大丈夫、そう自分に言い聞かせて
「考えるから時間をくれ」と伝えた。

 

そこから3日間ほど
仕事よりも頭を使って調べまくった。

何を軸にする?その周りに何がある?
映画よりはどこか特定の所に
行きたいという気持ちがあったので
温泉、を中心に考えることにした。

東京、温泉、日帰り。検索。
成程。しかしGWなので都心は避けたい。
だが郊外の温泉の場合は、
その周辺で他に行くところがあまり無い。

そんな中で1つだけ
GWに適しているかはわからないけど
いつか行きたいと思っていた所があった。

「決めました」

「どこに行く?」

 

 

「高尾山に登る」

 

 

LINEのメッセージの向こう側で
一瞬、息を飲む音が聞こえた気がした。

「登るの?登山?」

「いつか行きたいと思ってたんだ。
 登ったことある?」

「ある」

「え…じゃあ、やめとこうか」

「いや、行こう」

そこからはいつもの友人だった。

服装はこんな感じで
持っていくものはコレで
この時間の電車に乗って
お昼はこの辺で食べて…

相変わらず頼れる友人の計画を
頭を物凄く使って提案した私は
ぼんやりと聞いていた。

 

 

5月3日。当日。

高尾山に向かう電車の中で
友人は話し始めた。

 

 「彼氏がさ
 どこか行きたいって言うんだけど
 聞いても行きたい所が無いって」

 

ああ。

やっぱり。

 

あの時感じた違和感の正体は
こんなところにあったのですね。

「彼氏の気持ちは、わかるよ」

自然と私の立場は友人の彼氏と
同じところになっていた。

 

私や、おそらくその彼氏にとっては
どこに行くかというよりも
誰と一緒に行くかというほうが
大切なのだ。

好きな人とどこかに出かけたい。
けどどこに行けばいいかわからない。
そんな彼氏の葛藤が
手にとるようにわかる。

だから、一緒に行きたいという
その気持ちばかりが先行して
言葉になってしまったんだと思う。

そんな内容のことを、友人に伝えた。

「でもさ…
 少しは考えてもよくない?」

「私もいつも考えてないから
 それに関しては耳が痛い」

「お前はさ、言ったらちゃんと
 考えてくれたじゃん」

めちゃめちゃパワー使いましたけどね。
計画立てる魔法があったとしたら
1年分くらいのMPを消費したレベル。

 

友人の彼氏には会ったことがないし
どういう人物なのかはわからないけど
その彼氏も自分と同じように
四苦八苦しながら考えていたのだろうか。

「いつか彼氏が計画した場所に
 二人で一緒に行けたらいいね」

そんなことを友人に言った気がする。

 

行きたいところに行くのって
私にはものすごく大変なことだけど
案外、悪くないのかもしれない。

 

ホームに降りた私は
噛み締めるように深呼吸をしながら
そんなことを考えていた。

 

 

傘を買う理由

友人の家でなんとなくだらだら過ごした後
なんだか小腹が空いたと主張したら
「何か作ろうか?」と言ってくれたが
手間をかけさせて悪いかなと思い
「外で食べたい」というの一言で
外食をすることになった。

来た時は晴れていたのに
今はどんより曇り空。

「なんだか雨が降りそうだね
 傘もってきてないや」
その言葉が引鉄になったのかどうか
それはわからないが、友人が話し始めた。

 「傘を買う彼氏が許せなくてさ」

 

数日前の話。
友人とその彼氏は、私たちと同じように
友人の家を出発したところだった。

駅までは歩いて10分。
家を出て5分くらいしたところで
ポツポツ雨が降ってきた。

「家に戻って傘を取りに行こう」

友人が彼氏にそう提案すると

「今から戻るの面倒くさくない?
 必要だったら途中で買おうよ」

彼氏はそう答えた。

「5分戻れば家に傘があるのに
 わざわざ買うの勿体無くない?」

「その5分戻るのが面倒くさいし
 傘はそんなに高いものでもないじゃん。
 買ったら買ったでいつかまた使えるし」

 

「で、ケンカになったわけか」

「どう思う?」

私だったら傘も買わずに雨の中走って
結局ずぶ濡れになって風邪をひくと思うが
おそらくそんな答は求められていない。

ここでは友人かその彼氏かどちら側か
友人にとってはそれが大切なので
私がどちらに近いかと考えると…

「彼氏のほうに近いかな」

「そっか」

「でも、どっちの気持ちもわかるよ。
 どっちが正しいかはわからないけど」

それは傘に対する考え方の違いだと思う。
友人は傘を所持品として考えているけど
彼氏や私は消耗品として捉えている。
私はメガネや上着だったら家に戻るけど
ティッシュやタオルだったら戻らない。

そして家からまた戻るまでの10分間を
どう捉えているかの違い。
彼氏や私は、その10分という時間と手間を
1,000円程度のお金で買うことになる。
「高速バスより新幹線を使うとか
 時間をお金で買ったりするじゃん?」

私はなぜか自分にフォローを入れた。

「調べてみたんだよ」

「何を」

 

「そういうとき傘を買う人と
 傘を取りに戻る人の違い」

 

そういえば友人はそういう奴だった。
他人と意見が食い違ったり
何か納得がいかないことが起こると
徹底的に証拠を探し出すのだ。

「そこで面白いことがわかった」

「なに?」

 

「傘を買う人はお金が貯まらない」

 

見透かされた気がした。

「別に買う人が皆そうじゃないけど
 家にビニ傘が溜まるような人は
 お金が溜まらない傾向にあるらしい」

「ある。3本ある」

「そして傘に始まったことじゃない」

そういう風に傘を買うような思考の人は
携帯の充電器とか、そういった類の
小さい買い物を知らず知らずに買って
それが積み重なって結局無駄遣いする。

「だから、簡単に傘を買う人は
 お金が貯まらないらしいよ」

 「特に反論はありません」

「その解説が書いてあるサイトの
 リンクを送ってあげようか」

「大丈夫です心に刻みました」

 

またひとつ。
自分のダメな部分が露呈した気がして
入った店でご飯を食べながら
ほんの少し落ち込む。

そして、友人にまたダメなところを
知られてしまったな、とも思う。

「でも、わからないことがある」

「わからないこと?」

「友達がそうだった場合は
 別になんとも思わないのに
 彼氏がそうだったときは
 なんだかそれが許せない。
 なぜ許せないのかが、わからない」

 

ああ。
それは多分わかるよ。

大切な人とだったら
自分が大事だと思ってる価値観は
共感してもらいたいよね。

共感できなくても
お互いの価値観を理解したいのに
わかろうとしなかった彼氏と
うまく伝えられなかった自分が
なんだかやるせなくて
寂しくなっちゃったんじゃないかなぁ。

「彼氏のことが、大切なんだね」

と、だいぶ端折って伝えた。

 

ご飯を食べて友人と別れ
駅に着くころには雨が降り始めた。

 

傘は買わずに、バスを待つことにした。