ゲイがつらつらと書くブログ。

一匹狼のジレンマ

ここ数ヶ月、毎日夜遅くまで仕事をしている。21時を過ぎても「まだ21時か」となり、23時を過ぎた頃に「そろそろ帰る準備をしないと」と私の感覚は麻痺してきている。コロナがどうした、リモートワークなぞクソくらえ、という職場であり、ブラックな職場だと言われれば否定できるものは何一つないが、ようやく仕事が楽しくなってきていたので、体力的に疲れることはあるが、まあ頑張ってやっている。

仕事が忙しくてプライベートが疎かになっているが、そもそも友人が少ないので予定も少ない。そんな少ない予定の中で出会ったゲイに、「あなたにとって仕事って何?」と言われた。

私は少し考えたが、私は仕事は「自分の居場所を守る為のもの」だと答えた。ゲイのコミュニティに居場所を置いていない今の私にとって、職場は私が存在を許されている数少ない居場所なのである。ゲイのコミュニティにも居場所を置こうと思えば置けるのかもしれないが、今の私はあまり求めていない。勿論あったらあったで楽しいのだろうが、時間が無いことを言い訳に、今はコミュニティには属さないし、属せない。それには理由があるし、昔に遡らなければならない。

 

10年程昔、まだ私が20代半ばだった頃の話である。

 

当時、同じ趣味で集まって良く遊んでいた同世代のグループがあった。決して広いとは言えないワンルームの私の部屋に4、5人で集まり、くだらないゲームをしたり、料理を楽しんだり、趣味に没頭したり、朝まで飲みながら語り合ったり、今思えば少し遅い青春を謳歌していた。私はいつまでもずっとこんな関係が続いていくと思っていたし、ずっとこんな風に楽しく過ごせるものだと思っていた。

男女の間に友情は成立するのか、という命題が古今東西老若男女問わず語られるが、ゲイの間に友情は成立するのか、というのも然りである。グループ内の1人と私は恋愛関係になり、いつしか恋人として2人で会うようになっていた。とはいえ、恋愛関係にあった彼は、あまりグループで集まることは無く色々なところを転々としていたので、彼以外のグループのメンバーとは友人として付き合っていた。自慢ではないのだが、グループの中の2人が、自分に関して恋愛感情を抱いていることがわかった。わかったところで私は気持ちに応えることはできなかったので、そういう気持ちは無いと伝えた上で、それでもグループで楽しい時間を過ごした。

私が上京して最初に住んでいた葛飾区の家は、最寄駅から歩いて15分もかかり、更に職場まで電車で1時間くらいかかっていた。新宿に出ることが多く、西のほうに住みたいと思い、引っ越すことにした。引っ越そうと思うんだよね、とグループで話したときに、そのうちの1人、自分を好きだと言ってくれた1人が「それなら一緒に住もう」と言ってくれ、自分のことが好きならきっと自分に対しても気を遣ってくれるのでは、という打算的な考えもあり、私は二つ返事で了承した。その時には前述した恋愛関係にあった彼とは既に終わりを迎えており、私はフリーだった。

 

そんなこんなで私は、ゲイの友人である彼と2人で同居するというスタイルをとった。2LDKの間取りの部屋を、それぞれの個室とLDKに分け、カギはかからないが各自のプライベートは保てるような部屋だった。彼はお洒落で個性的で、自分のポリシーを沢山持っていた。私は拘りが無くのんびり生きていたので、彼の感性や生き方に少なからず刺激を受けた。引越して早々、トイレと風呂場の電球を色付きの電球に交換し、私はクラブかゲイバーみたいだなと思いながら緑の空間で用を足し、赤の空間で風呂に入っていた。同居していた彼と身体の関係は全くなく、それぞれで恋愛を楽しんでいた。

同居してから半年程経った頃、私は仕事が忙しくなり、朝出て終電近くまで仕事をして帰宅することが増えた。同居人の彼は仕事柄夜は家を空けることが多く、2人の生活はすれ違いになっていた。私が朝に家を出る時に彼の部屋を覗くと、仕事帰りで寝ていて、あまり会話が出来なくなっていた。そんなとき、仕事中の私の携帯に不動産会社から連絡が入った。

「○○さん(同居人の彼)から先月分の家賃が振り込まれてないです」

家賃については、大家さんのご好意で「それぞれから半額ずつ振り込んでもらえれば大丈夫ですよ」と言って頂いていたので、私たちはそれぞれが半額ずつ支払うことになっていた。それが彼のほうは先月は支払っていない。私は大家さんに迷惑をかけたくなかったので、とりあえず彼の分を振り込み、彼にメールをした。当時はまだLINEなど無くメールが主な連絡手段だった。からは「ごめん」と連絡が入り、「いま仕事が上手くいってなくて、来月渡すね」と返信があった。帰ったら話し合いかなと思ったが、帰った時には彼は家に居ない。そして朝には彼は部屋で寝ている。そんな日が何日も続き、なかなか話すことができずにいたところ、「今月も家賃が振り込まれてないです」と二度目の督促があり、私はまたしても彼の分の家賃を支払うことになった。こんな感じで彼の未払いと2人の生活のすれ違いが続いた。独身貴族とはいえ倍額の家賃を払うと流石に家計が逼迫し、未払いが4回目になった頃、私はストレスでどうにかなってしまいそうだったので、彼に手紙を書いた。もうこの生活を続けていけない。次は家賃を払えないから、この日までに部屋を出てください、と。そのとき私は次の部屋を決めていた。彼にとって退去の期限はそれほど長くは無かったが、彼は実家が神奈川だったので最悪実家に帰れる環境であったため、私は強硬手段に出た。これまでに送ったメールにも、私が書いた手紙にも、彼からの返事は無かった。

結局彼からは連絡が無かったが、退去の期日が近い日に部屋を覗くと、彼の部屋からは物が減っていたので、なんとか期日までには退去できるだろうと安心していたところ、後日不動産会社から「部屋の片方が色々散らかってるんですが、全部捨ててしまっていいですか」と連絡がきた。どうやら彼は要らないものを捨てずにそのまま放置して部屋を出てしまったらしい。私が使っていた部屋は入念に掃除をしていたし、散らかっているものを聞いたところ彼が使っていた壊れた家具であった。どうやら彼のほうとは連絡がとれないらしく、申し訳ありませんと私が謝罪し、あるものはすべて捨ててください、と連絡をした。

それから、彼とは連絡をとっておらず、私は仕事が忙しかったこともあり、自分がいたグループの仲間とも連絡をとらなくなってしまった。彼と会いたくなかったし、彼のことを話すことさえストレスになってしまっていた。

 

一人暮らしをしてから程なくして、私に連絡があった。前述で私を好きだと言ってくれた2人のうちの、もう1人のほうである。彼は東北の実家に帰っていて、やはり東京で暮らしたいという思いが強く、私も彼は誠実な人だと思ったので、暫く家に居てもいいよと言った。ある日、突然やってきたのにはビックリしたが、彼の生活を応援したい気持ちがあったので、快く迎え入れた。私の前の失敗を知っていた彼は、同じことが繰り返されることの無いよう、2人で家でのルールを決め、こんな時にはこうしようとか、これはしないようにしようとか、そんなことを話しながら一緒に住み始めた。

そうして1か月が過ぎた頃、私はまたしてもストレスをかかえることになった。私の家に居る彼は、1か月間何もしていなかったのである。彼が仕事先を決めて、一人暮らしを始めるまでの一次的な同居だと割り切っていた私は、何もしていない彼に業を煮やした。一緒に住み始めた頃、私は確かに「仕事が決まるまでいつまでも居ていいよ」と言ったが、それは彼が一生懸命就職活動をして仕事を決めることが前提であったし、私は彼がそうしてくれると勝手に思っていた。彼は私の言葉に甘えてしまったのである。

彼は近所の総菜屋でアルバイトを始めたが、そのアルバイトで家賃が稼げるほど給料を得ていたわけでもなく、アルバイト以外では家でダラダラと過ごすのが日常になっていた。私はそんな彼を見てまたストレスを抱え、3、4か月が経っても彼は独り立ちできる状況ではなく、私が耐えられなくなってしまい、軽い気持ちで迎え入れたことを後悔した。

前回とは違い、彼とは会話ができたので、私の心情を伝えた。もうこれ以上この生活をするのは耐えられない。申し訳ないが、出て行ってほしい。その分のお金が必要なら貸すから。と彼には伝えた。彼も私の部屋にずっと居候しているのは心苦しかったらしく、また私のストレスが溜まっているのも怖かったということだったので、幾らかのお金を貸し、彼は部屋を決めて出て行った。

 

同居していた彼も、私の部屋に居候していた彼も、私の元を離れた後に連絡がくることは無かったし、それぞれに貸したお金が返ってくることも無かった。2人のために負担した金額を合計すると、100万円ほどになるだろうか。私は100万円と引換に、膨大なストレスと、同居する難しさと、人を信じる心と、ずっと仲良くしていけると信じていた友人を失うことになった。人を信じすぎてしまっていたことや、ストレスに耐え切れなくなってしまった私の未熟さの所為でもある。

こんなにも人間関係は脆くて、崩れやすくて、心に負担をかけるものなのだと思ってから、私はあまり人と深く関わりをもつことをしなくなった。疲弊して傷つくことを避けながら、上辺だけの関係や刹那的な関係を好み、人に深入りするようなことはしなくなった。何を考えているのかわからないと言われることが良くある。「何も考えてないですよ」と答えるようにはしているが、私はいかに自分が傷つかないかを考えている。30代後半になった今も、弱くて、幼くて、自分の未熟さに耐えられないのだ。

集団の中に居ると自分の立ち位置を考える。このグループでは私はこういう役割、このグループではこういう役割、私は必要、居なくてもいい。そんなことを考えてしまうということは、おそらく他人にも同じことを求めているのかもしれない。あいつは必要、あいつは要らない、役に立つ、立たない。とても現実的で、冷酷で、優しくない人間なのだと思う。漫画のキャラみたいに、それぞれにちゃんと立ち位置や役割があるわけじゃないし、ピッタリはまることのほうが少ないのに、私は自分の存在意義を集団の中で見出そうとする。悪い癖である。

 

こんな私は、職場でも自分の立ち位置にかなり拘る。他人に文句を言わせないように仕事で結果を出すし、他の人にはできない動きをしてやろうと思いながら仕事をする。だから4月から働いている今の職場でも、新規のプロジェクトを任されたし、任される仕事の量もかなり増えてきている。とても忙しいのだが、今の私の居場所は職場にあるのである。結果が出せれば、評価もされるし、何より裏切られない。

私はもう、裏切られたくないのだ。付き合っている人に裏切られたり、信じていた人が信じられなくなったり、ただ流れるだけで、無かったことにしてくれない涙は、当分流さずにいたい。

だから私は今は群れない。本当は寂しい。けれど傷つきたくない。そんなジレンマを抱えながら、自分の居場所を守る為に、自分が自分であるために、明日も夜遅くまで仕事をするのだろう。終電まで飲み明かす大学生、酔いつぶれてフラフラのサラリーマン、ホテル帰りのカップル、道端で構えるホームレス、彼らだけでなく、そんな彼らを横目で見ながら帰路を急ぐ私も、ありふれた新宿の夜の一部になるのである。

 

 

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