ゲイがつらつらと書くブログ。

アナログマのアンテナ

仕事以外であまり外に出る機会が無い私は、服装に悩まされることが多い。どんなところへ何を着て行けばいいかがわからないのもあるが、それ以前に持っている服のレパートリーが少ない。お洒落に疎い私にとっては、スーツ以外の服を着て外へ出かけて誰かと会うこと自体、他の人よりもハードルが高くなる。いっそ決まった格好でしか行けない場所なら気軽に行けるのかと思ったが、いつだか流行った全身白スーツでのパーティーや、某ノーパンスウェットナイトや、お揃いコーディネート旅行なんかの集合写真を見る度に、ここに自分は居られないという気持ちになるので、服装だけの問題ではないような気がしてきた。オシャレな人はいいなと思いながらも、オシャレになる努力をしていないので、私は相も変わらず拘りのない服を着ている。

私の誕生日はだいぶ前であったが、コロナで都内の自粛期間が始まったかどうかの時期であったということで、5月の終わりに友人は焼肉でお祝いをしてくれた。今年の誕生日は家族のLINEグループでお祝いの言葉を貰ったのみだったので、私は改めてお祝いをしてくれるという友人の気持ちが有難かった。友人の誕生日は先月であったので、おめでとうを伝えると共に、私も何か友人にご馳走したいと思い、「何か食べたいものある?」と聞いところ、「天ぷらが食べたい」と言われたのである。こういう時にパッと答えられる友人が羨ましい。私の場合、食べたいものが日によって、気分によって違うので何日も後に食べたいものを訊かれると非常に困るのだが、きっと友人は日頃からあんなもの食べたいとか、どこの店に行きたいとか、アンテナを張っているのだと思う。逆に言えば、私がアンテナを張らなさ過ぎているのだと思う。もしアンテナが見えるものだとしたら、私のものは埃だらけで合わせるべき周波数もわからないポンコツなものであり、いまや地デジカしか居ない群れの中にいるアナログマなのである。

天ぷらの店、といっても私にはピンと来なかったので色々と調べてみたが、本当にピンキリであった。お祝いだから高級天ぷらかな、と調べてみたところ、高いところでは一回の食事で一人3万円を超えるところもあり、その天ぷらを食べているであろう顔も名前も知らない人との世界の違いを、インターネットの天ぷらの店一覧だけで見せつけられた。ピンとキリの間でとろけそうになっていた私は、友人に「行きたいお店とかある?」と聞いてみたところ、「ここに行ってみたい」と二つ返事で返ってきたので、やっぱり友人は凄いなと思いながら、銀座のお店のランチを予約した。

迷ったのはドレスコードである。ランチとはいえ銀座のお高いお店に行くからには、それなりの服装でいかなければいけないのでは、と思い私は部屋のクローゼットと暫く睨めっこした。カウンターで天ぷらを食べる二人をイメージしながら、友人はどんな服を着てくるのか、バランスがとれなかったらどうしようとか、ああでもないこうでもないと逡巡しながら、結局Tシャツと膝上ハーパンにキャップというそのまま二丁目にでも行けそうな服装で臨んだ。当日、友人はポロシャツにハーパンという割とラフな格好であったので、私は胸を撫でおろしながら天ぷら屋に向かった。

 

向かったお店は少し路地を入ったところにあり、平日の昼だったこともあり人通りは少なかった。店前にスーツを上品に着こなした紳士が、この暑い中立っており「お食事ですか?」と丁寧な口調で声をかけてきた。予約した旨を伝えると店に案内され、店内では着物の女性がいらっしゃいませと席に案内してくれた。それだけでもかなり恐縮してしまったのだが、店の中には私たちしか居なかったので少し安心しておしぼりで顔を拭いた。店内はカウンター席のみであり、その中で料理人が目の前で揚げてくれるというシステムである。

メニューを頼むと「本日の具材はこちらですが苦手なものはございますか?」と丁寧に全ての具材を見せてくれ、一品ずつ揚がった順にカウンターに並べられた。一気に盛り合わせで来るのだと思っていた私は、これはコース料理なのだと再認識させられた。食レポは得意ではないので表現するのが憚られるが、ひとつひとつが上品で口の中が幸せになった。時間をおいて一つずつ並べれた天ぷらを口にする度、ちびまる子ちゃんが一家でフランス料理を食べに行ったときの話の中で、父ヒロシが「この一口一口が100円くらいする」と言っていたのを思い出し、私は父ヒロシの心境をまさに体現していた。

 

 一品ずつ出てくる品に舌鼓を打ちながら、友人と近況を話した。最近キャンプにハマっている友人は、直近で行ってきたキャンプの映像を見せてくれ、友人なりに夏をエンジョイしていることを私に伝えた。アウトドアはおろか外に出ることに縁がない私にとってはとてもキラキラして見え、羨ましいなと思っていたら、なんと動画配信も最近やっているとのことだった。

「どんなのを配信してるの?」

「こないだ行ったキャンプもそうだし、あとは料理とか、猫とか」

たしかに友人には配信向けの趣味が沢山あるなと思いながら、自分には向いてないなとも思った。私はアドリブが聞くわけではないし、臆病なので何かを発信することに対して凄く慎重になる。マンガを描くときも見た誰かが嫌な思いをしないかどうか推敲したり、この文章も何回も書いては消してを繰り返している。自分が伝えたいことが意図した通りに伝わるためにはどうするかを考えるのだが、それに時間がかかる。友人は説明も説得も上手なので、人より時間をかけずに言葉を選ぶのが上手なのだと思う。物事に関する考え方がハッキリしているので、性格的なものもあるのかもしれない。私はネチネチと色々なことを考えてしまうし、だから私の文章は長くなる。自分に自信が無い臆病な私は、人にどう見られるのかを極端に気にし、理論武装で自己防衛を行う。文字にすると、とても面倒臭い人間だなと苦笑する。

 

そんな面倒臭い私は、未だに前の恋愛を引き摺っていた。だいぶ気持ちは落ち着いていたものの、やはり長く一緒だった相手との別れに伴う心の穴を塞ぐのには時間がかかる。大学時代に恋愛をしていた相手と破局をしたときは、1年以上の時間を要した。ふとしたときに色々なことを考えてしまう。そんな私を知ってか知らずか、友人は私の出会いについて訊いてきた。

「前に会った年上の人とはどうなの?」

「恋愛には発展しなそうだったかな。でも最近ちょっと良い感じの人がいてね、もしかするともしかするかもしれない」

詳細は伏せるが、いま私にはもしかするかもしれない相手が居る。数か月前にも、もしかするかもしれないと思った相手が居たが、結局自然消滅のような形で御破算になった。良い形になったら伝えようと思っていたが、今後どうなるかはわからない。

「じゃあ、次に会う時には良い話が聞けると良いね」

友人は言った。そうだね、良い話にして報告したいと思っているよ。そう思いながら私は、〆の掻き揚げの茶漬けを啜った。上品な味は、自分も上品になった気分にさせてくれる。実は今日の服装ですごい悩んだんだよね、と告げたら友人は得意そうな顔で言った。

「俺はちゃんとボタン締めてるんだよ」

と、首元を指さし、ポロシャツのボタンを一番上まで締めているのを見せてきた。全然気づかなかったが、ちゃっかりと彼は彼なりにドレスコードを気にしていた。そのためのポロシャツのチョイスであったのなら、抜け目がない。そしてそれに気づかなかった私は、勝手に一本取られた気分になった。

 

天ぷらを満喫した私たちは、友人が寄りたいと言っていた、一人で来ていたら絶対に行かないであろうカメラのショールームとメガネのお店に行った。楽しそうにカメラとメガネを見ている友人を見ながら、夢中になれるものがある人はいいなぁと思い、そういえば、私のアンテナはアイドルとコンビニスイーツの電波だけは拾うことができることに気付いた。そして普段は興味がわかないことでも、例外的に、この人と何かしたいなと思った時だけは動くのである。

思い返せば私は物や行為よりも、人で動く人間であった。もしかするかもしれない人とは、ここ行きたいとか、なに食べたいとか、こんな服を着たいとか、そんな話題を多くする。一緒に素敵な時間を共有したいと思う気持ちが、私のアンテナを動かす原動力なのかもしれない。自分の好きなことを突き詰めていくよりも、誰かの為に生きていくことが、私にとっては生きている意味を見出すことができるのだと思う。そんな誰かに出会えたとしたら、それはとても幸せなことであると思うし、私はアナログマではなくなるのだろう。そんな希望を抱きながら、私は今日も埃だらけのアンテナで、決して強くはない微弱な電波で、心地良い波長を探すのである。

 

 

洗濯が終るまでは

今の部屋に越して5年近く経つ。前に住んでいた家は隣駅にあり、交通の便はそこまで変わらなかったが、部屋の構造に少し難があったのと、年をとって少し良い部屋に住みたかったのと、色々な踏ん切りをつけて気持ちを整理をしたかったのとで、思い切って引越しをした。その際に家具は冷蔵庫と電子レンジ以外全部変えた。シングルのベッドは良さげなマットのセミダブルにし、地デジ非対応のテレビデオは捨て、パソコン用の机や椅子も一新した。当時付き合っていた人に引越しを手伝ってもらい、結局その人とは私の不貞が原因で別れてしまったのだが、それはまた別の話である。

新調した家具の中で最も買って良かったと思ったのは、洗濯乾燥機である。ベランダが無く洗濯物を干すスペースが上手く取れないこともあり、少々値が張ったが、洗濯から乾燥まで一気に終わらせてくれるこの洗濯機は人生で1、2を争う良い買い物だったのではないだろうか。ものぐさな私としては、できれば洗濯物を畳むところまで機能として付けて頂きたかったが、流石にそれは今の技術では難しく、嫌々ながら服を畳んでいる。それにしても、朝スイッチを入れて仕事が終わって帰ってくると乾燥まで終わっているのは、朝から晩まで仕事をして干す時間がとれない私の生活にかなり貢献している。

そんな洗濯乾燥機だが、5年近く使い続けているせいか、段々と挙動が不審になってきた。洗濯する際の音がだんだんと大きくなったり、洗濯を開始すると、あと何時間で終わります、という表示がされるのだが、乾燥時の残り10分になってから1時間以上待たされるのである。洗濯機に嘘をつかれるのはなんだか嫌だったが、朝にスイッチを入れて帰る頃には終わるので、そこまで気にはならかった。家に人が来る機会はあまり無いが、来るときは極力控えるようにしている。

 

新しい職場で働き始めてから3か月が経ち、かなりブラックな環境だと確信しながらも、忙しさの半分くらいはコロナのせいだったので、これは普通ではない、落ち着いたらもう少しゆとりをもった生活ができるはずだと言い聞かせながら働いている。家に着くのは23時を過ぎることも多いので、平日夜の出会いは当分難しいかなと、出会い系アプリは1日に1回くらい開いて事業仕分けの如くマッチングするくらいしかしていない日が続いていた。それでも時々メッセージをくれる人も居て、久しぶりに年上の人からお声がかかったので、会ってみることにした。

若い頃は週に何回も出会うほどフットワークが軽かったが、年のせいか出会い1回に使う体力の消耗が激しく、近頃はあまり出会うことをしなくなっていた。20代の頃は年上に恋焦がれていた私も、30を過ぎた頃から年下と好んで会うようになっていた。年上と初めましてをするのは久しぶりだなと思い、もしかしたら恋愛をするなら年上と落ち着いた感じで過ごすほうが自分にとっては幸せなのかなとも思い、下世話な話だが、いざ求められたら答えられるようにヤれるだけの精力を溜めて会うことにした。

関係を持つにせよそうでないにせよ、自分の部屋は掃除が必要なほど散らかっていたので、何かあっても今回は自分の部屋に呼ぶことはないと思い、特に掃除はせずに溜まった洗濯物を洗濯乾燥機に投げ入れ、スイッチを入れて家を出た。少し雨が降りそうだったが、会う場所は新宿、家から最寄駅まで徒歩4分、新宿まで電車で30分とかからない距離なので、まぁいいかと思い傘は持たずにドアのカギを閉めた。

新宿に着くまでの電車の中で、私は妄想をする。もしお互いに良い感じでこれが恋愛に発展したらどうしようか。毎週末一緒に過ごすことになるのだろうか。2人でどんなところに行って何を食べようか。毎日連絡を取ることになるんだろうか、いずれは一緒に暮らすんだろうか。相手のアプリの写真は、どストライクではなかったが、気になるタイプだったので、私は勝手にイメージを膨らませながら待ち合わせ場所に向かった。

 

メッセージで約束した場所で私は相手を見つけた。アプリでは若い感じであったが雰囲気は年相応、写真では気になるタイプではあったが、写真とは少々異なり、私が気になるタイプではなかった。いや、しかし、人を見た目と第一印象で決めつけてはいけない。めちゃめちゃ良い人かもしれないし、凄い面白い人なのかもしれない。そう言い聞かせながら、私はとランチの店を探した。優柔不断で準備不足な私は、やはり店を決めていなかった。

「新宿に着くまでに、お店を探してみたんですよ」

そう言っては、スマホでいくつかの店を見せてくれた。私がアプリでプロフ欄に書いていた好きなものから、新宿でお店を探してくれていた。とはいえ、彼も新宿にそんなには来るわけではないらしく、地図を頼りに一緒に店を探した。結局そのお店はやっていたものの混雑していたため、入店を断念して、私が時々行く食事処に向かった。

個室の席に通され、一息つく。オッサンらしくオシボリで顔を拭いた後で、私たちは改めて自己紹介をした。仕事のこと、最近の東京のこと、恋愛観のこと。初めて会う場合、何を話しても初めて聞く内容になるから、楽である。友人が聞き飽きた話も、ブログに書いた話も、仕事の鉄板エピソードも、なんでも会話のエッセンスになる。お互いに色々な話をしながら、私は、彼が私に少なからず興味を持ってくれていて、一歩先の関係に進みたいであろうことを確信し、私は彼に恋愛感情をもつことはないことを確信した。

ランチを食べた後、私はこれ以上彼と一緒に居るのが辛くなってしまった。彼の気持ちに私は答えられない。しかし彼は新宿まで1時間ほどかけて来ており、1時間ちょっとのご飯で解散するのは彼に申し訳なく思い、お茶でもしましょうとカフェに向かった。

 

以前、友人に誘って貰ってゲイのチャットグループの会話に参加した時、話題になったことがある。

「リアルして楽しく過ごしたと思ってたんだけど、そこから連絡がつかなくなったりブロックされたりすることがあるんだけど、あれは一体どういうことなのか」

顔の知らない誰かがそう言って、憤っていた。

私にはどういうことなのかわかっていたが、その場では何も言わなかった。相手に興味が無くても、たとえもう会う気が無くても、楽しく過ごしているよう装うことがある。たとえ興味が無くても、嫌な奴だと思われたくない。嫌われたくない。良い人だったと思われたい。そのエゴイズムは、時に相手を惑わせ、憤らせる。ではそんな時はどうしたらよいのか。最適解が話題に出ていたような気がするが、私は思い出せなかった。

 

ハッキリ言わないと伝わらないこともあるし、言わなくても察することもある。その感覚が異なっていると、意思の疎通ができず、誤解を生み、関係をダメにしてしまうことがある。自分にとっての当たり前が、相手にとっての当たり前ではない。以前の恋愛で、私は嫌という程痛感していたし、カフェで話しながら、私はどうやって彼に自分の気持ちを伝えようか悩んでいた。

彼は私の話をよく聞いてくれていたし、話してつまらなかったわけではなかった。けれど、恋愛の相手としてはやはり見れなかった。彼も同じ気持ちであれば釣り合いがとれていたが、彼は私を恋愛の対象と見ていることを、彼の言葉の端々に感じていた。このままでは、まずい。私は彼に興味が無いことを伝えなければ、期待だけをさせてしまい、いずれ彼を傷つけてしまうことになる。悪手を打たないよう、言葉を慎重に選んだつもりだった。

「自分の恋愛の対象は年下なんです」

なんでもないように言ったつもりだったが、相手の表情は分かりやすく曇ってしまった。恋愛対象の人から、あなたは恋愛対象ではないですよ、と言われたのだから、嬉しいはずがない。それでも、とても話しやすいですし、話していて楽しいですよ、とフォローを入れたものの、私の言葉は空を切った。実際、彼は良い人だと思う。仕事の話をしていても、とても誠実だし、真面目な人なんだろうなと思う。だから余計に、期待をさせたくなかったし、私も彼に対してせめて誠実でありたかった。黙ってブロックされるよりも、連絡がとれなくなるよりも、どう思われているのか分かったほうが、伝えたほうが、相手に対して誠実だと、思う。しかし果たしてこの形が彼にとって誠実であったかどうかは、私にはわからない。何も告げずに居なくなったほうが、良かったのかもしれない。

話が一息ついたところで、カフェを出た。時刻は17時前。夕飯には早い。私は明日の仕事があったし、気持ちのモヤモヤと彼に対する申し訳なさで、居たたまれなくなっていた。これ以上一緒に居られない。作り笑顔が崩れそうだった。仕事疲れが溜まっていたのもあり、体調も良くなかったので、彼に伝え、帰ることにした。

「また、会ってもらえるかな」

彼は言った。私は、はい、と答えた。食事をするくらいなら、と余計な一言を付け加えた。もう会うつもりが無かった私は、最後まで誠実になりきることはできず、嘘をついた。私との時間は楽しかったのだろうか。また会いたいと思って貰えたのだろうか。今日のこの時間を、無駄だったと思われなかっただろうか。私は良い人になれていたのだろうか。誠実であっただろうか。エゴイズムを飲み込みながら、私は帰り道を歩いた。空はずっと曇り空で、雨が降る匂いがした。

 

家に着くと、洗濯機がまだ音を立てて動いていた。乾燥のフェーズになり、表示は残り10分。おそらくあと1時間くらいはこの表示のまま動き続けるのだろう。嘘つきの私は、嘘つきの洗濯機を責めることは出来ない。

気付けば窓の外は雨が降り出していた。やっぱり買って良かったよと、嘘つきだけど、居てくれて良かったよと、私は洗濯物を畳むのであった。

 

誰にも言えない人生を

最近、週末に会ってご飯を食べる人が居る。5個以上年下だが、落ち着いていて笑顔が素敵な人である。これは恋愛に発展するのかもしれない、と思っていたが、何回か会い、楽しい時間を重ねるうちに、私の中であまり気持ちが盛り上がらなくなってしまった。理由はよくわからない。性的な興味も今はそこまで沸かない。年をとると、恋愛の仕方も変わってしまうんだろうか。そんなことを考えながら、私は友人と電車に揺られていた。

 

この週末に、私は友人と少し離れたスパ銭に向かった。電車で片道1時間以上、普段はあまり乗らない京王線に乗り、なんだか少し豪華で柔らかいシートに座りながら、私は友人にそんなことを話した。

実は、友人ではなく、元々は週末に会っていた彼を誘っていた。日々の仕事に疲れていた私は久々の土曜休みだったが、このままでは土日まるまるぼんやりしてゴロゴロした週末を送ってしまうと思い、予定を入れる算段を立てた。疲れた身体にはデトックスデトックスといえば岩盤浴の方程式を立て、出した解は彼を誘うというものだった。私は彼に暇?とメッセージを送ったところ、暇だと返事が来たので、遊ぼう、と送った。

私と彼の共通点は優柔不断なところである。お互いの時間が合ったあと、その後何をするかで決めるのに物凄く時間がかかる。二人ともアレしたいコレしたいということはあまり拘りが無く、なんとなくご飯を食べて終わる、というのがここ何回か続いていた。今回は私にしては珍しく、岩盤浴に行きたいという手札があったので、それを切った。しかし彼の反応は私が思っていたものとは違った。行きたいと伝え、からの「どこ行く?」という問いに私は2つの選択肢を提示したが、「片方行ったことある」と返事がきたところで、私はなぜか行く気が無くなってしまった。彼が行きたいのかどうかわからなかったのである。行きたくないなら無理に行かなくてもいいと思ったが、行きたいの?行きたくないの?みたいな質問をしたくなかったし、無理矢理付き合わせるのもストレスがたまるからである。

せっかくの休日にストレスを溜めたくなかった私は、理由は言わなかったが、なんか行く気がなくなってしまった、と正直に伝えた。彼は別にそれを気にしているわけではなく、「また気が向いたら言ってね」という趣旨の返事をくれた。気まぐれな人だと思われたのかもしれないし、私の気持ちには気付いていないかもしれない。少なくとも彼との予定が無くなったことで、私の心理的負荷が軽減されたのは確かだった。

しかしどうにかして行きたかった私は、友人を誘うことにした。予定が空いていることを確認し、私が岩盤浴に行きたい旨を伝えたところ、「いいね」と返事をくれた。私が欲しかったのはコレである。どこかへ誰かと行く時、こんなところ行きたいと言った時に、賛同してくれる言葉こそが、私の求めていたものである。私のモヤモヤをたったの3文字で解消してくれた友人は、私の2つの選択肢を検討するばかりか、施設を私よりも細かく調べて割引チケットまで購入してくれた。なんとなく行ってなんとなく帰ってこられればいいと思っていた私とは大違いである。

揺られた電車の中で、私はそういった経緯があったことを友人に伝えた。加えて、冒頭に書いた、年をとったら恋愛の仕方が変わって、恋に溺れたりすることは無くなっていくのかなぁ、と意見を求めた。はこのブログを時々見ているらしく、「またネタを提供するようだけど」と前置きしてから言った。

 

「僕は付き合うときはいつも、相手が自分の手中に入るように攻略するのを楽しむから、恋愛に溺れたりとかは無いよ」

 

そうですか。

でも、自分にもそんな経験はあった。自分のことを好きになるように悪戯してしまったことや、好きにさせるだけさせて結局傷つけてしまったことが、私にはあった。誰にも言えないような非道い方法で、簡単に人を傷つけてしまったことも、私にはあった。そして当時も今も、その竹箆返しっぺがえしを食らっている。

「それって、落とすだけ落として傷つけたりしないの?」

私は聞いた。友人がそうであったとしても私は咎めることは出来ないが、昔と今の私を重ねた。けれど、友人のそれは私のそれとは違った。

「落とした人とは、ちゃんと付き合うよ」

言葉として適切かどうかでいうと不適切だが、偉いなぁ、と思った。自分のしたことに責任をちゃんととることは、大人として、一人の人間として至極当然であるのだが、昔の私は自分を棚に上げて、好き勝手やっていたなと思った。「あまり好きでもないのに落としてしまった人とも付き合うけど、気持ちが入ってないからいつ付き合っていつ別れたのかあんまり覚えてない」という台詞はこの際聞かなかったことにした。

 

辿り着いたスパ銭の駅は、友人が元カレと付き合っていた頃の元カレの最寄駅だったらしく、友人は駅の写真を撮ってその元カレに送っていた。私は恋人と別れた時、大抵良い別れ方をしないことが多かったので、元カレとは連絡をとらない。付き合う前から別れることを前提に考えるのは本末転倒かもしれないが、次に別れることがあるとすれば、どちらもなるべく傷つかない形でありたい。

どこかで何かをしたとき、例えば誰かと食事に行ったとき、こんな風にどこかへ出かけたとき、今回はブログに書いているが、私は誰にも言わない。SNSでは、何をした、どこへ行った、誰と会った、そんな情報で埋め尽くされているが、私はなんとなく発信することが憚られている。別に悪いことをしている訳ではないが、たぶん、私とその相手の間に誰も入ってきてほしくないと思っている。誰かが入った瞬間に、思い出が汚されてしまって、関係性が壊れてしまう気がして。こんな風に、私は誰にも言わないことを、誰にも言えないことを重ねながら生きてきた。

 

そんな私だが、最近よく聴く歌がある。

アイドルが好きで、アイドルソングに胸キュンすることはあるが、歌に自分を重ねたことは殆どない。そんな中、今の私に響いた歌がある。

 

誰にも言えない人生を、抱きしめさせてよ。
汚れても、泥まみれで進んだのを、不純だなんて思わない。
やり直さない。消さなくていい。
そのままで素敵な君なんだ。

 

そう言ってくれる人もいるんだなぁ。そしていつか、そんなこと言ってくれる人が傍に居てくれるといいなぁ。汚れたのも、泥まみれになったのも、私の場合は殆ど自分の所為だけれど、そんな自分を見ないようにしてきたし、無かったことにしようとしていた。肯定することはできないけど、無かったことにしなくても良いって、そんな自分もいるんだって、いい加減認めなきゃいけないなって、誰にも聞こえないように、岩盤浴で汗を流しながら、この歌を口ずさんでいた。

 

youtu.be

不協和音のアルペジオ

転職先から内定取り消しがあるか心配していたがそんなことはなく、無事4月から新しい職場で仕事が始まったのだが、想像以上の激務が待ち受けていた。転職初日から終業時間は21時を越え、翌日からは22時以降が当たり前になった。東京の緊急事態宣言を受けて、翌週から在宅のスケジュールをグループリーダーが組み、各自予定では週に1回の出勤になっていたが、業務の特性もあって在宅勤務ができたのは4月は2回だけだった。

3月までは定時に上がって有り余った時間を部屋での筋トレに費やしており、おっこれはちょっと筋肉ついてきたんじゃないのとホクホクしていたのも束の間、そんな時間と余裕がなく全然鍛えられなかったため、4月が終わるころには筋肉量と抵抗力が落ち、GWに入ってすぐ風邪をひき鼻水が止まらなくなった。葛根湯を飲んでゆっくりしていたら落ち着いたが、咳も熱も無いのでコロってはいないと思われる。

 

友人は3月に海外旅行に行っており、タイミングもあってか職場から自宅待機を言い渡され、そのまま在宅勤務にシフトしているらしく、ずっと家でゲームをしているらしい。友人はボドゲも好きだがPCゲームもかなりやっていて、彼の家にはゲーミングPCがある。ゲーマー御用達のDiscordという音声チャットツールを使って仲間と話しながらゲームをやっているということで、私もDiscordをインスコし友人や友人のゲーム仲間と話した。私はPCゲームは大学時代MMOをしていたが、一度始めると止まらなくなるので、そのせいで単位を落としかけたこともあり、現在の仕事状況を考えると手を出しづらい。

彼が居るDiscordのグループ(全員ゲイ)では皆が同じゲームをしているわけではなく、各々別のゲームをしながらなんとなく会話をしていることも多いということで、友達が少なくプライベートで暫く人と触れ合っていない私を友人は誘ってくれ、会話に混ぜて貰うことにした。

 

会話に混ざり、何人かと話しながら、今まで薄々気付いていたけれど認めたくなかったことが、ある程度の確信になった。

 

 

私はコミュ障なのだ。

 

 

気が付くと他人の顔色や反応を伺い、嫌われないようにということを優先して考えてしまっている。これが一般的に良いことなのか、悪いことなのかはわからないけれど、30代後半の私にとってはかなり悪いほうに作用してしまっている。自分の話をしなくなり、自分主体の話ができなくなっていた。自分がどう思われるのか、怖がっている。

Discordのグループで「共通点が無い人と話す時に何を話せばいいのかわからなくて困る」と相談したときに、友人がすかさず「自分の好きなことを話して相手が乗ってくればいいし、自分が好きで相手も好きそうなものがあれば当たりを付けて話してみる。もしそれで相手から興味を持たれなかったりしても、その人とはそれまでの関係かな」と言っていて、あぁ今の自分は出来てないなと思いながら、なるほどねぇと聞いていた。

私には自信をもって好きだと他人に言えるような趣味が無い。無趣味ではないが、いつからか、自分が好きなものは他人にとってはあまり意味を為さなかったり、気持ち悪く思われるんじゃないかと、そう思うようになった。それも、自分が他人にどう思われるのかを、極端に気にした結果であるのだと思う。そんな風に、私はいつの間にか、自分を守るために、自分を肯定することが出来なくなっていた。自分が思う程、他人は自分のことに興味が無いことなど、これまで生きてきて、とっくの昔に理解していたはずなのに。

学校のクラスでも、部活でも、サークルでも、友達でも、顔も知らないチャットグループの人達にさえも、嫌われないように振舞い、自分がそこに居てもいいという地位や役割を探りながら、右往左往していた。職場であまりそういった悩みが無いのは、仕事をする上で自分の役割と立ち位置がハッキリしているからなのかもしれない。私は私の役割を全うすれば良いので、迷う必要が無い。学校でも学級委員や生徒会役員をやることに抵抗はなく、むしろ自分の役割が明確であったので、どこにも所属しない学生であるよりも、私は気が楽だった。

 

私は、誰かの音に後から重なる分散和音アルペジオなのである。相手の音に合わせて和音を作ることで、自分の意味が、居場所が初めて生まれると思っている。しかし、人間誰もが常に周りと調和をとろうとしているわけではないし、意図しなくとも自然に和音が成立することもある。私の欠点は、自分だけの音を出せずに、いつでもどこでも和音を作ろうとしてしまうところにある。

独立した単旋律モノフォニーが複数ある場合、つまり誰も調和を求めていない時でも、私は不必要に重なろうとする。出せない音を出そうとする。無理をして音を出した結果、不協和音ディスコードを発生させてしまうこともあり、つまりは空気の読めない人になってしまう。自分の居場所が欲しくて、他人に合わせようと考えすぎた結果、自分の居場所を失くしてしまうのだ。

Discordで私が恋愛の話題をした際、友人から「別にそれが悪いとかじゃないんだけど、お前は恋愛の話が多めだよね」と言われた時、ついに言われてしまったと思った。私は話題に困ってしまうと、恋愛の話をしてしまう。別に恋愛の話が好きだとか、誰かの話が聞きたいとかではない。恋愛観は多くの人が持っていて、共感もしやすいしその人の考え方がわかりやすく、相手に乗っかりやすいのである。共通点を見出せず不安になり、何か皆で話せたらと思って話題にしたが、その場は特に盛り上げる必要も無く、各々が思い思いに話したいことを話したいときに話す場所だったので、私の発言は宙を舞い、メロディを持たないインターネットを漂う電子音になった。

恋愛は共通の話題かなと思って、と私が弁解していたら、「じゃあ好きなオニギリの具の話でもする?」と笑いながら言われた。ここに来てようやく私は、自分が無理をしていることに、そして今まで無理をしていたことに気付いた。皆で楽しく盛り上がれる話であれば、別にオニギリの話でも良かったし、私以外皆、別に盛り上がりたくて会話をしているわけではないのだ。そして恋愛というセンシティブな話でその人の人となりを探ろうだなんて、ある意味傲慢なのかもしれない、と。好きなものは好き、嫌いなものは嫌い。それでいいじゃないかと。その人が何を好きで何を嫌いかということが、その人を好きになったり嫌いになったりする理由にはならないのだと。学校の教職についていた時、「問題を起こした生徒に指導をする時は、生徒のした行為にだけ焦点を絞り、決して生徒の人格を否定したりしてはいけない」というルールがあった。気を付けながら指導は行っていたが、私はそんなことをすっかり忘れていた。裏を返せば、私自身が、その人の好き嫌いの内容で、知らず知らずにその人を評価してしまっていたということになる。そう思った時、恥ずかしくて、良い年して何をやっているんだろうと、自分が情けなくなった。

 

私はあまり自分の話をしない。自分が何を好きか、何を嫌いか、あまり発信することが好きではなかったし、SNSでもプロフ欄に何が好きかを書くことが恥ずかしいと思っていた。自分の好きなことを、趣味だと思っていることを、バカにされたり笑われたりすることが悲しかったからである。だからTwitterの投稿でも、私の人となりがわかるようなことはあまり書いていなかった。自分の職場や家族や友人、周りのことばかり書いていた。

時々私は、友達会った相手から、「何を考えているかわからない」と言われることがあった。そう言われたときは大抵「何も考えてないよ」と返していたが、実はどうやったらその人に嫌われないか逡巡している。思い返せば、そんなことを言ってくれていたということは、少なからず私のことを知ろうとしてくれていたのだと、今になってわかる。私が相手に合わせることばかりを考えていたが、相手も私に合わせてくれていたのである。そう考えたとき、今まで申し訳ないことをしたなと、反省した。寄り添ってくれる機会を、私は自ら避けていたのだ。

その結果、私には密にコンタクトをとったり共有したりするような、近しい友達はどんどん減っていった。昔つるんでいた仲間も、今はそれぞれの環境で自立していて、今や半分は連絡先もわからない。もし私がもっと自分のことを発信していたら、誰かから声がかかっていたかもしれないし、私のことがわからないから声をかけられなかったという人もいたのかもしれない。終わったことをいつまでも悔やんでも仕方ないが、勿体ないことをしたなと思う。

 

こんなことブログに書いているのを友人が見たら、「そんな面倒くさいこと考えながら今までやってきたの?疲れない?」とか言われそうだが、私は今も昔も、面倒くさいことを考える人間なのである。けど、友人には割と話したいことや言いたいことを言えている気がする。うまく言えないけれど、おそらく彼を信用しているのだ。私が何を好きでも、何を嫌いでも、私という人間を見てくれているのだと思う。ダメなことはダメと言うし、おかしいことはおかしいと言うし、その度に私は、こんな風に勝手に私自身を見つめなおす。

そしてその度に、私は友人の何か役に立っているのだろうかと考えていたが、これを機に考えないようにしようと思う。彼は私に何か役割を求めているわけではないだろうし、それを求めてしまうのは私の悪い癖で、烏滸おこがましいことなのだと思う。好き、嫌い、楽しい、苦しい。単純にそれが言える相手がいるということだけで、私は嬉しいのだ。

 

流石にSNSのプロフ欄に好きなものを並べるのはまだハードルが高いので、このブログのリンクでも貼っておこうと思う。人によってはそっちのほうが重いんじゃないかと思われそうだが、もしここまで読んでくれている人がいるのだとすれば、素直に嬉しいし貴重な時間をありがとうと伝えたい。私、こんな人なんです。

折角なのでここで私の好きなことを一つ挙げると、私はアイドルが好きである。見るのも聞くのも踊るのも好きである。特に踊る場合は、パートがあり、役割があり、そこに自分の居場所が出来るので、誰かと一緒に踊るのは性に合っていて本当に楽しい。昔一緒につるんでいた仲間は、ダンスユニットを組んでいたが、今は固定の誰かとやっているわけではないので、機会があればやってみたいと思う。界隈では今や古参となってしまった私は、お局扱いされて怖がられることもあるのだが、むしろ怖がっているのは私のほうである。怖がって新しい風に入っていけないのだ。

 

いっそのこと、ソロで踊ってYouTubeにでも投稿すれば誰かの目に留まると思い、ふと思い立って自分の踊りを映像に納めてみた。年齢の割には若く見えると勝手に自負していた私だが、撮影した動画を見ると年相応のおっさんがムチムチの身体で何やら動いている映像が完成しただけだったので、この企画は1日も経たずにお蔵入りになった。

単旋律モノフォニーを出せるようになるのは当分先かなと苦笑しながら、今日も部屋でダイエットを兼ねて往年のアイドル曲を踊り倒すことにしよう。

 

はじめてのハッピーバースデイ

退職まであと2週間。有給消化もままならず徹夜に近い形で提案書を作らされ、作ってメールを送った挙句に何のレスポンスも示さず提案書の担当箇所を全く作っていなかった担当営業に憤りを覚え、ストレスに任せて甘いものを貪り筋トレもせずに寝た結果、翌朝体重計に乗って絶望した。ストレスに絶望が勝ったのか、甘いものの効果か、一晩寝たら幾分か気が楽になっていた私に、家族のグループLINEに複数の通知が入っていた。

「誕生日おめでとう」

仕事でいざこざしていてすっかり忘れていたが、そういえば今日は私の誕生日だった。

 

先週までは覚えていて、一人で過ごすのもなんだかなぁと思い、友人に来週ヒマ?と連絡したところ、「週末から1週間、海外に行ってくる」ということだったので私は一人で誕生日を過ごすことを決めた。

思い返せば、社会人になってから誕生日は誰かしらと過ごしていた気がする。多くは付き合っていた人と過ごしていたし、そうでない時にはその時つるんでいた友達と過ごしていた。今はお付き合いしている人も居なければ、仲良くつるむような友達も居ない。4月からの新しい職場での仕事が慣れたら、少しはアクティブになろうかと思っていたが、直近の誕生日に関してはこれといって対処を考えていなかった。誕生日に対して対処という言葉選びはどうかと思うのだが、私はあまり集団の中心になるのが好きではないし、大げさに祝って貰いたいというタイプではないのである。

仕事で2つの大学を掛け持ちして担当している私が、それぞれの大学で退職する旨を伝えたとき、私はいいですと言ったにも関わらずそれぞれの現場で送別会を企画してくれ、来週は2回も送別会をして頂くことになった。こういう時は、ありがたいという気持ちと、自分なんかの為に申し訳ないという気持ちが交錯し、昔の私だったら申し訳なさを前面に押し出していたが、最近は嬉しそうに喜ぶことにしている。好意に甘えるというわけではなく、その方が送別する側もやってよかったと思ってくれるからである。私も、誰かを祝ったり送別したりするときには、どうせなら喜んでもらいたい。

Twitterは誕生日を設定しておくと、当日トップページに風船が飛ぶ仕様になっている。誰かが風船を飛ばしていると、素直におめでとうという気持ちになる。が、私は風船を飛ばしたくないので設定していない。不特定多数におめでとうを言われるのは苦手だし、言って欲しい人に言って貰えなかったら悲しいからである。昔はTwitterでの交流を良くしていたが、今は顔出しもしていないネタアカウントになってしまっており半分botのようになっているので、botが誕生日をアピールしたところで困惑する人もいるであろう。元々は、当時付き合っていた人が呟く内容にイチャモンを付けてきたため、そこからネタしか呟かなくなってしまったという経緯があり、今更感はあるが、そろそろTwitterでの振る舞い方も変えていこうかなぁとなんとなく考えている。いつかは風船を飛ばしたいが、まだ飛ばす気にはなれない。

 

友人が海外に行ってしまったので、これはもう1人でケーキでも買って食べるしかないなと意気込んでいたところ、「平日夜なら時間がとれそうです」と食事の予定を合わせていた別の友達から「火曜日はどうですか?」とお誘いがあった。その友達は、何人か集まった中で何回か会ったことはあったが、私とマニアックな趣味が一致していたので、いつか二人で語り合えたらいいなと思っていた人であり、私から連絡をとった。友達以上の関係は私は今のところ求めてはいないし、求めてくるようなタイプではない人なので特に気にしていないが、もし求められたら断ることはしないと思う。

二人きりで初めて会う人に「今日は誕生日なんです」だなんて言うつもりはない。仮に私が言われたとして興味が無い相手だったら物凄く困惑するし、何か期待されてるのかと疑わざるを得ない。だから今日は何も告げずに楽しく趣味の話に興じるのである。誕生日くらい誰かと過ごしなよと神様が言ってくれたのだと思って、今日はその好意に甘えることとしよう。

 

そして私は、自分の中でだけ、自分のことを祝うのだ。

ハッピーバースデイ、私。

 

最後の砦

仕事の話。

 

毎月定額で月に10回まで整体をしてもらえるというプランが近所の整骨院にあり、1月頃から週2回ほど整骨院で整体を施してもらっている。ここ2週間は毎日筋トレをしているにも関わらず時折腰が痛むので、どういうことなのかと自分の身体に問いただしたいが、問うたところで腹の贅肉はぶるぶると笑うばかりだったので、整体師のお兄さんに聞いてみることにした。「では身体の筋肉がどう使われているのかをチェックするプランがあるのでいかがですか」と言われ、お兄さんの爽やかさと私のNOと言えない性格がシンクロナイズしたため、1,500円程度のオプション料金を支払い、チェックをして頂くことにした。

キャバクラには行ったことはないが、おねだりされてついついお酒を頼む心理ってこういう感じなのかと思いながら、筋トレしてるからそれなりに筋肉はついてるんじゃないかなぁ、体格が大きいから人並みに筋肉はあるしなぁ、とナメてかかっていたところ、「お腹とお尻のインナーマッスルが5段階でいうと2ですね」と、これまた爽やかに現実を突きつけられた。学校の通知表ではほぼ4か5だった私にとって2という数字はあまりに衝撃的で、さらに筋肉から力が抜けていくのを感じた。

ボロボロの成績を元にインナーマッスルを鍛えるトレーニングをしながら、整体師のお兄さんと会話をする。ものぐさな私は、接客されている時に雑談をするのがあまり好きではなく、床屋で髪を切ってもらっている時なんかも会話を盛り上げる気持ちになれないのだが、流石に週2回も通っていれば慣れてきたのか、仕事の話をするようになっていた。トレーニングの後、いつも通りの整体の施術が終わったときに、お兄さんは今のプランとは別にインナーマッスルを鍛えるトレーニングの回数券があるんです、と私に話した。まぁ、そうなるよね、うん、そんな気がしてた、そう思いながら私は、これからのスケジュールについて話さざるを得なかった。

「今月で今の仕事を辞めて、来月から別の会社に転職するんです。新しい仕事のスケジュールによってはあまり通えなくなるかもしれないので、それはまた考えさせてください。」

お兄さんは残念そうな顔はせずに、「そうですか~それではまた新しい仕事が落ち着いたら、身体の調子を見てまた考えてみてくださいね」と爽やかな営業スマイルを添えて優しく言ってくれ、別にタイプではないけれど好きになっちゃってもいいですかと心の中で呟いた。

そう、私は今月末で今の会社を退職するのだ。

 

退職を決意したきっかけは2つあった。

 昨年の4月、私の職位は上がった。正社員の一般職のランクには2段階あり、ここでは上の段階をA、下の段階をBとすると、A・Bそれぞれの給与テーブルが細かく30段階ほどある。給与テーブルをそれぞれLv1~Lv30とすると、一般職のランクはBのLv1~AのLv30までで60段階あることになる。1年間の評価で上がるのはせいぜいLv3程度が通常らしいが、社内で最初の成功事例を成し遂げたこともあり、貢献度が高かった為か、BのLv15からAのLv10まで上がった。1年目でBからAになること自体かなり珍しいことのようだったが、給与テーブルとしてLv25も上昇したのも異例だったようである。

職位がBからAになる対象者は、人事からの説明と社長との面談があるということで、指定日に本社へ赴くことになった。当日は私を含めて5名おり、まとめて会議室で待たされた後、人事担当から新しい辞令と次の職位Aの給与テーブル月給一覧がそれぞれ配布され、各自で給与テーブルと号給を照合して昇進後の月給を確認することになった。給与テーブルを見ながら私が顔をしかめていたのに気づいたのか、人事担当が給与テーブルについて補足情報というには小さすぎる爆弾を投下してきた。

「BからAになったことで月給が下がっているのですが、賞与を含めると年収ベースでアップしています」

 虚を突かれたとはこういうことを言うのだろうか。言っていることは理解できるのだが、BのLv30からAのLv1では、BのLv30のほうが2万円程月給が上なのである。それなりに月給があるのであれば誤差と言えなくもないが、私たち一般職は薄給のためこの差はかなり大きく、生活レベルを考え直す金額である。幸いにも私はLv25上昇ということもあり月給が落ちていることはなかったが、それでも月1万円アップ程度だったため、糞デカ溜息をつきそうになるのを懸命に堪えていた。私以外の4名はおそらくそこまで昇給していないことを考えると、彼らの心中は計り知れない。彼らはテーブルを見つめたまま凍って時が止まっていたので、それ以上そちらを見るのが憚られた。

人事担当は説明を終え、「それでは社長がいらっしゃるまで暫くお待ちください」と会議室を後にした。時が止まった会議室に時間が戻り、リラックスしながらこの給与テーブルはなんなんですかね~と私の言葉を皮切りに雑談し、少なくともあの給与テーブルを見て嬉しくなった者は一人も居なかったことが確認できた。やれやれムードの中、社長が登場した。

「みなさん昇格おめでとう」と言った後に社長は何やら話し始めた。どんな話をしていたか覚えていないが、その程度の話だったのだろう。途中「○○という言葉を知っていますか?」と何度かこちらに横文字の言葉を問う場面があった。皆が知らないと答えると、「では帰ってから調べてみてください」と丸投げされた。説明しないんかい。せめてこれからのビジネスシーンにおいて何の役に立つかだけでも言わんのかい。と思ったが早く終わってほしかったので、はい、とだけ答えた記憶はある。なんかあまり好きになれないなこの社長、と思っていたところに今度は個人に話を振られた。君はいまどこで勤務していてどんな仕事をしているんだい、君は以前あそこで話をしたことがあったね、と本人にとっても他の人にとっても有益ではないだろう話を振っていた。最後は私であったが、私のこれまでの経歴についての話だった。「君は昨年入社してきたばかりだったね。前職は何をしていたんだい?」と履歴書を見ていないのかと思わせる質問をしてきたので、以前は教師をしていて、その前はIT系でSEをしていましたと答えた。今とはカテゴリの違う2つの業界だったので、職歴としては半端に見えるかもしれないが、この経験のお陰で仕事で成功を収めることができたので、その辺を掘り下げるのかなぁと思っていたら、社長はとんでもないことを言ってきた。

「君の経歴は、別にユニークでは無いね」

教師をしていた人は他にも社内に居るし、SEをしていた人も居るよ、と続ける社長の言葉に、二度目の虚を突かれた。えっ、なんのために聞いたの。喉まで出かかったが飲み込み、その後の社長の絡みはすべて当たり障りなくスルーした。

私が期待しすぎていたのかもしれない。昇給に関してはともかく、会社に貢献してこれから頑張って貰いたい社員を応援するような言葉を、社長はかけるものではないのか。思えば月に1回メールで送られてくる「今月の社長のお言葉」みたいなものも中身が無いし共感できた試しがない。上っ面の知識をひけらかしてポジションに胡坐をかいているような社長に尊敬の念を抱くはずもなく、この会社に長く居ることは無いな、と私はそのとき思った。これが転職を考えた1つめのきっかけである。

 

そんなこんなで半年過ぎた頃、常駐先では現場のリーダーとして程よく仕事を回していた私を上司が急に呼び出した。仕事後に現場の近くで上司と、私の現場の担当ではない営業が来て、「2日後から別の現場に行ってほしい」と要請された。私がポカをして左遷されるというわけではなく、別の現場で産休に入る担当者がおり、後任を充てていたのだが、顧客から後任の担当者にバツがついてしまい、その代わりも充てられず物凄く怒られているらしく、他に任せられる人がいないとのことだった。とはいえ、2日後から急に現場を離れるとなると、こちらの顧客も黙ってないだろう。私以外に人誰か居ないんですかね、と言ったが「貴方が最後の砦なんです」と上司に言われた。人材不足すぎるのでは。思うところはあったが、私も会社の正社員、私が断ることで会社の評価が悪くなるようなことはしたくなかったし、私の現場の担当者も業務に慣れて育ってきたところだったので、会社から顧客に説明をきちんとしてもらうことを条件に了承した。

上司に冗談っぽく、これで成功したら給料上がりますかね~、と言ったら「最終的にどのくらいの給料を希望しているの?」と上司に聞かれたので、このくらいですかね、と言ったところ「それくらいだと管理職にならないと難しいなあ」と言われた。私は決して吹っ掛けた金額を言っているわけではない。私の現場にも担当営業はいるが、私が顧客との調整や、担当者の教育や、見積書・提案書・契約書の作成や、新規部署のビジネス獲得を1人で行っているため、担当営業は放置していても問題ない状況だし、社内での話によると、こんな現場は他には無い。それにプラスして他の現場のトラブルを解決し更に案件獲得できるような人材であるなら、月給を数万円上げる程度、会社への貢献度からしたら大分コスパが良いと思うのだが。しかも管理職ですらそのくらいしか貰えないのか。社長の件はあれど、それなりに給料が貰えるのであれば頑張れるかな、と思っていたところにこの返答だったため、私のモチベーションの最後の砦は音を立てて崩れた。これが成功したところで私にはあまりメリットが無いし、成果を出しても見合う対価は無い。これが転職を考えた2つめのきっかけである。

新しく兼任となった現場では、トラブルを解決するどころか、このままずっと居てほしい、と名指しで言われるくらいには関係性が良好になったので、私が退職する旨を伝えたことで非常に落胆させてしまったのが残念である。なんとか私の後任が決まったが、決まったのが退職直前だったため、引継業務に追われ、さらに営業が作れないと泣きついてきたため私が提案書を作るハメになった。どれだけ放置してたんだと怒鳴りそうになったが、出来ない人に無理なことを要求しても仕方が無いし、私も中途半端なまま退職したくなかったので、残った有休はほぼ消化せずに月末を迎えることとなった。そして半年以上営業が作れていなかった提案書を、私は徹夜に近い時間までかけて2日で作り上げ、上司と担当営業にメールで送りつけたのが一昨日のことである。

 

30半ばにして中途半端な職歴の私にとって、転職活動は困難を極めたが、人の縁なのかタイミングなのか、運良く次の会社への内定を貰うことが出来た。通勤時間は1時間超から30分程度に変わり、年収も今の1.5倍はあるので概ね満足している。成果主義の文化らしいので、あとは私自身がどれだけやれるかにかかっている。

昨日は一仕事終えて寝不足のまま整体に行った。肩こりが酷い私は、仰向けの体制で肩の筋肉を指圧で小刻みに揺らされ、いつも腹の余分な肉が一緒に揺れて気になっていたのだが、昨日は疲れと仕事を終えた満足感のせいか気にならなかった。整体師のお兄さんと、来月からの新しい職場の仕事のことや、どうやってインナーマッスルを鍛えていこうか、などと話しながら、小刻みに揺れる私の腹の肉を眺めていた。

 

 

好きが来る前に

食にあまり拘りが無く、私は食べたいものを食べたいときに食べるので、案の定ブクブクと太り、年明けに行った健康診断で体重計に乗った際に自身の歴代最高記録を叩き出し、軽く眩暈を覚えた。ゲイ的にはガッチリでもデブでも無いしできれば細い体系でありたいので、ただのブタになってしまうと危惧した私は、2月の後半から食事の量を減らし、家で筋トレを始めた。外食が多かったので、節約も兼ねて夕飯を家で自炊することが多くなった。

とはいえ料理がそんなに好きではない私は、自炊と言っても人が聞いたら鼻で笑いそうなことしかしない。パスタを茹でて出来合いのソースをかけるだけ、これだけである。「パスタは炭水化物の中でも太りにくい」という、いつ聞いたのか本当かどうかわからないような記憶だけを信じてパスタを茹でている。しかもかけるのはパスタソースだけではなく、1個100円もしないレトルトのカレーだったりもする。本当はその上にチーズを乗せてレンチンしたいところだが、カロリーを考えてチーズという選択肢は捨てることにした。

近所のスーパーに行ったら、コロナの影響で乾麺が軒並み売り切れていて、その中で唯一残っていたゴツめのパスタ1kgを3袋と、パスタソースとレトルトカレーをいくつか買った。職場の昼休みに朝買ってきたパンを頬張りながら、そんな買い物事情を同僚の主婦と会話するのが結構楽しいのだが、最近の食生活を話したときに「パスタにレトルトのカレーかけるとかありえない」と笑われた。また、家には普通の鍋しかないので長いパスタを茹でるのが結構面倒なんですよねー急がないと入りきらない部分が焦げてくるし、と話してたら「パスタ半分に折って茹でればいいんじゃない?」とアドバイスを貰ったのだが、長くなかったらなんかパスタ感がなくなりませんかねと言ったら「カレーかけてる時点でパスタ感も何もない」と私の意見はバッサリ切り捨てられた。ちなみにズボラな私はフォークを出したり洗うのが面倒なので、茹でた菜箸を洗ってそれで食べてるのだが「パスタを箸で食べるとか、ウチのじいさんと同じ」と私のパスタ生活はボロ糞に言われた。

それにもめげず、連日パスタを茹でているのだがゴツいパスタは茹で時間に9分もかかり、茹で上がるまでの時間、物思いに耽ることが多い。ここ1週間くらいは、アプリで出会った人のことを考えていた。

 

1月に付き合っていた人と別れてから、とりあえずアプリに登録してマッチングの機能だけ楽しんでいた私だが、その中でも会ったみたいと思う人が居たのでメッセージを送り、ご飯を食べに行ったのが始まりだった。私はハキハキやウェーイとは無縁なので、落ち着いた感じのとは雰囲気が合い、会話も弾んで楽しく過ごすことができていた。ただ私と彼の間で大きな壁があった。

は私の一回り年下なのである。

私も彼も早生まれだったので、丁度12歳の差があり、つまり干支も同じ。年下と付き合うことはあったとはいえ、ここまで下だったことはこれまで無かったので、戸惑う部分や正体不明の背徳感があった。それでも彼はあまり気にすることもなく、私の年上というステータスをややイジりながら、会話をしてくれていた。教員時代に生徒から散々イジられキャラとして過ごしてきたので、特に不快に思うことはなく、むしろ楽しく食事を進めた。

食事が進み、私はお決まりの質問をした。

「いまお付き合いしている人はいるんですか?」

彼は少し回答に躊躇いつつも「います…けど良くわからないです」と答えた。

これは彼氏とは別れないけどセックスはしたいということなのか、と思ったが、私は特に彼氏もセフレも急を要していなかったので、棚に上げることにした。友達が少ない私にとって、楽しく過ごせる友達が増えればそれはそれで良いと思っていたので、彼が今の彼氏とどうなのか、何が良くわからない状況なのかは敢えて聞かなかった。ご馳走するよと私が言っても財布の紐を堅くすることはなく「自分の分は出します」と必ず自分の分は自分で払おうとし、もう少し甘えてくれてもいいのに、と思いながら私が気持ちばかり多めに支払った。

 

それから、私と彼は毎週末一緒に過ごした。

一緒にお風呂に行ったり、郊外を散策したり、なんでもない会話をしながら2人で出かけた。一度だけバスの中で手を繋いだが、それ以上のことは特に無かった。それでも楽しくて、毎週末の予定が決まるたびに、平日の仕事を頑張ろうという気になれたし、週末に予定があるって幸せだなと感じていた。いつからか、彼のことを恋愛の対象として少しずつ意識していったように思う。付き合ったらここ行きたいなとか、クリスマスはこんな風に過ごしたいなとか、パスタを茹でながら考えるようになった。けれど彼には彼氏が居るし、それを引き離してまで付き合いたいとまでは思わなかった。何より彼は若いしまだまだ遊び盛りだろうけど、ここまで年が離れていたら遊ばれてもいいかなと思っていた。

そんな風に過ごして1か月ほど経ち、コロナの影響で人混みに行くのがなんとなく憚られたので、家で映画でも見ようかという話になり、彼は実家暮らしだったので、彼が私の家に来ることになった。人が家に来ること自体久しぶりだったので、年末の大掃除をサボっていたツケが回ってきたなと思いながら、家のありとあらゆるところを掃除し、なんとか彼を家に招き入れることが出来た。

結論から言うと、彼とセックスをした。

あまり具体的に書くと生々しいので避けるが、相性は悪くはなかったのではないかと思う。事後はご飯を食べに行き、また来週会おうねと言葉を交わして別れた。

 

次に会う予定の日を決め、どこに行こうか色々考えていた予定日の2日程前、彼から連絡があった。

「少し体調を崩してしまったので、今週末はキャンセルでも良いですか」

ガッカリしたが、この季節だし体調が悪くなってはまぁ仕方ないと思い、身体を労わる言葉を送り、何も無い週末を過ごした。

週明け、彼はアプリにTwitterのIDを載せていたので、具合悪いのをボヤいているかと思って何気なくアカウントを見ていたら、週末はどうやらイツメンの友達と飲んでいたらしかった。体調が悪いところ無理に付き合わされたのかどうかはわからないが、見なかったことにして「体調は良くなりましたか?」とだけ連絡をしたら、「だいぶ良くなりました!」と返事が来たので、良かったです、と一緒に次の週末の予定を聞くことにした。すると「予定がわかったら連絡します!」と返事を貰った。特に私の予定を優先して欲しいわけではなかったが、なんとなくダメそうだなと思いながらも、わかりましたそれでは連絡をお待ちします、と返事をした。

それが彼との最後のやりとりになり、その後連絡が無いまま、週末を迎えた。

何がいけなかったのだろうかと考えたが、考えても仕方の無いことだったし、残念な気持ちもあるが、思っているほど傷ついても気にしてもいない自分がいた。彼を好きになっていたら、きっともっと苦しんでいただろうし、モヤモヤして眠れない日が続いていたかもしれない。とはいえ、予定があって忙しかったのかもしれないし、何か理由があったのかもしれないと、週末にアプリで彼の様子を見てみようとしたところ、そこに答があった。

彼はアプリで「今すぐ会いたい」ハウリングをしていた。

私は選ばれなかったのだ。

おそらくもう彼から連絡が来ることは無いだろうと確信した私は、LINEの友人リストから削除し、アプリでも彼をブロックした。この状況で私から彼にコンタクトをとることが彼にとって良いことではないし、未練がましい男だとも思われたくなかったので、短い間の良い思い出として心の中で処理することにした。少なくとも彼と出会えたおかげで私は健康にも気を遣い、徐々に体重を減らすことに成功しているので、感謝をしている。若い頃、同じように連絡をとらなくなってしまったことがあったことを思い出し、私には非難する権利など持ち合わせていないことを考え、今度は自分の番なんだなとしみじみ感じた。万が一また連絡が来るようなことがあれば、次からは一人の友達として接しようと思ってはいるが、果たして自分にできるだろうか。

 

ダイエットを始めて身体が整い始めてから、少しずつ自分に自信が持てるようになってきた。とはいえまだまだこれからではあるが、成果が目に見えるのはモチベーションに繋がる。そんな中、以前友人が話していたことを思い出した。

「前に家で何人か集まって飲んだりゲームしてた時にさ、ゲームで『自分の顔が良いと思っている人』を自己申告しなきゃいけないってのがあったんだけど、7~8人居て良いと思ってた人が自分ともう1人しかいなかったんだよね」

友人らしいなぁと思って聞いていたが、私も自分の顔は嫌いではない。昔は自分に自信が無かったのでそんなことは言えなかったが、いまこの年齢になって「自分、悪くないじゃん」と思えるようになった。ブタになりかけたここ最近の私に関しては目を瞑りたいところだが、思い返せばそこそこモテていたこともあった。そんな私なので、アプリの彼にどう思われようが、連絡がなかろうが、他に良いと言ってくれる人がどこかにいるんじゃないかと思っている。だから自分を磨く機会をくれた彼に感謝しているし、あの時付き合っておけば良かったなといつか思ってもらえるくらいになっていたい。

そんな風に自分に、そして自分の生き方に自信をもっていきたいし、おそらく友人は自信をもっているのだろう。それが鼻につく人もいるのかもしれないが、私はそういう友人が逞しくて羨ましい。友人のように沢山の拘りは無いけれど、こうありたい、という自分がなんとなく見えてきた気がする。

 

そんなことを沸々と思いながら、パスタを茹でる。パスタを折って茹でるのに抵抗があったが、いざやってみると茹でるのがとても楽だった。これで寸胴鍋を買う理由はなくなったが、折る時にパスタが周囲に多少飛び散るのが難点である。そのことを同僚の主婦に話すと「普通に折るんじゃなくてねじるようにすると飛ばないのよ」と、ぽたぽた焼きの裏面にあるおばあちゃんの知恵袋ばりのアドバイスを貰い、ねじりながらパスタを折るようにしているのだが、量が多いのかやり方が下手なのかまだ周囲に飛び散る。しかもグツグツいっている鍋のすぐ上でやるものだから、沸騰した水が跳ねて手を火傷しそうになる。

まだまだコツが要りそうだが、このパスタが飛び散らずに上手く折ることができるようになる頃には、また新しい出会いがあるかもしれない。その時には、今より素敵な自分で居られたらいいなと、今日もパスタにレトルトのカレーをかけ、箸で食べるのである。

 

ブログランキング・にほんブログ村へ